政府は「原発ゼロ」を目標とする新エネルギー戦略を決めた。その目標は「2030年代に原発ゼロ」である。一方ドイツは日本の原発惨事から教訓を得て、10年後の2022年に完全「脱原発」をめざしている。この決断に比べれば、日本は今から20年以上も後というのんびりした足取りである。
新エネルギー戦略を大手紙社説はどう論じたか。その視点は賛否両論に分かれている。東京、朝日、毎日の3紙社説は賛成派であり、一方、読売、日経の社説は「原発ゼロ」に異議を唱えている。脱原発への道は平坦ではない。(2012年9月16日掲載)
政府は2012年9月14日、関係閣僚らによるエネルギー・環境会議を開き、2030年代の「原発ゼロ」をめざす新エネルギー戦略を決めた。この新エネルギー戦略をめぐって大手紙社説(9月15日付)はどう論じたか。大別すれば、賛成派(東京、朝日、毎日)と反対派(読売、日経)に分かれている。各紙社説の見出しは以下の通り。
<賛成派>
*東京新聞社説=もっと早く原発ゼロへ ― 政府のエネルギー方針
*朝日新聞社説=原発ゼロを確かなものに ― 新エネルギー戦略
*毎日新聞社説=実現への覚悟を持とう ― 原発ゼロ政策
<反対派>
*読売新聞社説=「原発ゼロ」は戦略に値しない 経済・雇用への打撃軽視するな ― エネルギー選択
*日本経済新聞社説=国益を損なう「原発ゼロ」には異議がある
以下、各紙社説の要点を紹介し、<安原のコメント>をつける。
(1)東京新聞社説の要点=電力に依存し過ぎた暮らし方を変える
世界三位の経済大国が原発ゼロを掲げたことは、国際的にも驚きだろう。持続可能な社会をともに目指そう。二〇三〇年代にと言わず、もっと早く。
「ゼロ」というゴールは、曲がりなりにも示された。意見聴取会やパブリックコメントなどを通じて、国民の過半が選んだ道である。もちろん、平たんではない。消費者も、電力に依存し過ぎた暮らし方を変える必要に迫られている。だが、私たちには受け入れる用意がある。
全国に五十基ある原発のうち、今動いているのは、関西電力大飯原発3、4号機の二基だけだ。それでも、暑かったことしの夏を乗り切った。私たちは、自信をつけた。二〇三〇年までに原発はゼロにできると。
<安原の感想> 持続可能な社会のために
東京社説は、新戦略を具体化するには、市民参加が何より大切であり、さらに原発ゼロ達成は、社会と暮らしを変えるということ、すなわち持続可能で豊かな社会をともに築くということと指摘している。当然の指摘である。しかしゼロ達成が「二〇三〇年までに」ではいかにも遅すぎるのではないか。国民の多くは「直ちにゼロ」を求めている。そうでなければ持続可能な社会を築くことは無理であろう。
(2)朝日新聞社説の要点=「原発ゼロは現実的でない」という批判を排す
野田政権は当初、全廃には慎重だったが、最終的に「原発稼働ゼロを可能とする」社会の実現をうたった。原発が抱える問題の大きさを多くの人が深刻に受け止めていることを踏まえての決断を評価したい。
どのような枠組みを設ければ、脱原発への長期の取り組みが可能になるだろうか。一つの案は、法制化だ。原子力基本法の見直しだけでなく、脱原発の理念を明確にした法律があれば、一定の拘束力が生じる。見直しには国会審議が必要となり、透明性も担保される。
「原発ゼロは現実的でない」という批判がある。しかし、放射性廃棄物の処分先が見つからないこと、原発が巨大なリスクを抱えていること、電力会社が国民の信頼を完全に失ったこと、それこそが現実である。
簡単ではないが、努力と工夫を重ね、脱原発の道筋を確かなものにしよう。
<安原の感想> 「懲りない面々」を封じ込めるとき
「原発ゼロは現実的でない」という批判がある ― という指摘は軽視できない。前向きの改革の脚を引っ張ろうとするグループはつねに見え隠れしている。この曲者たちの正体は何か。原発推進に利益を見いだしているグループ、すなわち原発推進複合体(電力会社を中心とする経済界のほか、政、官、学、メディアなどからなる複合体)を担う「懲りない面々」である。これを封じ込めなければ、「原発ゼロ」は夢物語に終わるだろう。
(3)毎日新聞社説の要点=原発拡大路線を180度転換
政府が2030年代に「原発ゼロ」を目指すことを明記した新しいエネルギー・環境戦略をまとめた。従来の原発拡大路線を180度転換させる意義は大きい。
新戦略は、「原発に依存しない社会の一日も早い実現」を目標に掲げた。40年運転制限の厳格適用、安全確認を得た原発の再稼働、新設・増設を行わない、という3原則を示したうえで、「30年代に原発稼働ゼロが可能となるよう、あらゆる政策資源を投入する」とした。
「脱原発」か「維持・推進」か。国論を二分した議論に、政府が決着をつけたものとして評価したい。国民的議論を踏まえた決定だ。安易な後戻りを許さず、将来への責任を果たすため、国民全体が実現への覚悟を持つ必要があるだろう。
脱原発には、再生可能エネルギーの普及拡大や節電・省エネの促進が欠かせない。そのための規制改革や技術開発への支援策づくりを急ぐよう求めたい。
<安原の感想> 「2030年代にゼロ」は雲散霧消の危うさも
「国論を二分した議論に、政府が決着をつけたものとして評価したい」という採点は甘すぎるのではないか。ドイツは日本の原発惨事を見て、10年後の2022年の完全「脱原発」を決めた。この素早い決断に比べれば、日本は「2030年代に原発ゼロ」というのだから、間延びしているだけではない。「2030年代にゼロ」という20年以上も先の方針自体、どこで雲散霧消となるか分からないという危うさもある。
(4)読売新聞社説の要点=日米同盟にも悪影響避けられぬ
電力を安定的に確保するための具体策も描かずに、「原子力発電ゼロ」を掲げたのは、極めて無責任である。
原発の代替電源を確保する方策の中身も詰めずに、約20年先の「原発ゼロ」だけを決めるのは乱暴だ。
経団連の米倉弘昌会長は、「原発ゼロ」方針について、「雇用の維持に必死に頑張っている産業界としては、とても了承できない。まさに成長戦略に逆行している」などと、厳しく批判した。
米国が、アジアにおける核安全保障政策のパートナーと位置づける日本の地位低下も心配だ。日本が原発を完全に放棄すれば、引き続き原発増設を図る中国や韓国の存在感が東アジアで高まる。日米の同盟関係にも悪影響は避けられまい。
<安原の感想> 経団連会長や日米同盟は神聖な存在なのか
原発ゼロという選択に対し「無責任」、「乱暴」という感情に囚われた言葉を投げつける。これではまるで不良少年の乱闘騒ぎのような雰囲気である。しかも経済界代表の経団連会長の肩を持ち、同時に「日米同盟に悪影響も」と一種の脅迫めいた言辞も辞さない。経団連会長や日米同盟(=日米安保体制)を侵すことのできない神聖な存在と考えているらしいが、いまやこれをも批判の対象にすべき存在とはいえないのか。
(5)日本経済新聞社説の要点=原子力の放棄は賢明ではない
政府は「2030年代に原子力発電所の稼働をゼロ」とするエネルギー・環境戦略を決めた。「原発ゼロ」には改めて異議を唱えたい。
間際になってぶつけられた異論や懸念を踏まえて調整した結果、エネルギー戦略はつぎはぎだらけで一貫性を欠く。選挙を控え「原発ゼロ」を打ち出したい打算が政策判断をゆがめている。
福島第1原発事故を経て原子力への依存は減る。しかし原子力の放棄は賢明ではない。資源小国の日本は積極的に原発を導入し、石油危機以降は、原子力と天然ガス火力などを組み合わせ脱石油依存の道を歩んだ。
今は自然エネルギーをもうひとつの柱として伸ばし、電力の安定供給と温暖化ガスの排出削減をともに実現すべき時だ。原子力の維持は国民生活や産業の安定をかなえる有用な選択肢だ。かつての化石燃料依存に戻るのはいけない。
<安原の感想> 時代錯誤もはなはだしい国益論
日経社説の見出しは<国益を損なう「原発ゼロ」には異議がある>となっている。ここで使われている「国益」とは何を意味するのか。辞書によれば「国家の利益」である。市民、民衆、大衆の意志、希望である脱原発に背を向けるのが目下の「国益」という認識らしい。しかしこういう国益論を今振りかざすのは、いささか古すぎないか。国益論で脱原発の動きを封じ込めようとするのはしょせん時代錯誤の所業にすぎない。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(12年9月16日掲載)より許可を得て転載
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