(2021年11月5日)
政党間の共闘が成立するのは、それぞれが共闘によるメリットを確信するからだ。小選挙区制を前提とする限り、4野党がバラバラでは議席を獲得することができないのは理の当然。共闘によって候補者を調整し、一本化された共闘候補者への投票の集中が議席の獲得を可能とする。だから共闘は必然である、とも言える。
しかし、各政党はそれぞれに理念も信条も異なり、活動の歴史も人脈も別である。本来はむしろ激しく競い合うべき間柄で、信頼関係の形成は難しく、その共闘は至難の技。政策協定も、候補者調整も、共闘候補者の議会活動も、実はとてつもない難事というほかはない。
だから、安易な共闘に走ることなく、それぞれが自党の党勢の拡大をはかることに専念すべきだという意見も、当然に根強くある。永年のうちには、政党の消長が進行して、自党こそが単独で政権を担うことになり得るという期待を込めてのもの。
とは言え、百年河清を待つこと余裕はない。格差貧困問題も、労働条件も、社会保障も、税負担の不公平も、改憲阻止問題も、ジェンダー不平等も喫緊の課題ではないか。野党の共闘を求める声の高まりが、野党の共通政策となった。
そして、実務的な候補者調整の作業が進行して今回の総選挙を迎えた。野党共闘の成果はどうであったか。部分的には議席獲得に成功したものの、部分的には善戦したが議席獲得に至らず、また部分的には明らかに失敗した。全体としては、共闘参加の野党の議席を減らした。元気の出ない野党共闘の結果である。
現実には期待された結果を出せなかった野党共闘だが、野党共闘あったがゆえのこの結果であったのだろうか。むしろ、野党共闘あったにもかかわらずの結果と言うべきではないだろうか。もっと早い段階で、もっと深い信頼関係を築き、共通政策を選挙民に訴え切ることができていたら、事態は変わっていたかも知れない。
企業社会では、「シナジー効果」が語られる。1+1の結果が2で終わらず、3にも4にもなることをいう。企業の提携や合併による収益の向上の相乗効果を語る言葉。政党間の共闘でも、シナジー効果(相乗効果)が大いに期待されるのだが、現実のものとはならなかった。
政党間の共闘は不可避だが、共闘による相乗効果の発揮は容易なものではない。その難しさは内部的な問題にあるだけでなく、外部からのの悪意のトゲが投げつけられる。
野党共闘成立以来、「反共」という悪罵の嵐が吹き荒れ、いまだに終熄しない。国民意識の中に潜在する反共意識を煽り誤導しようという言動が一定の効果を発揮しているのだ。
反共意識は、支配の側が作り出して民衆に刷り込みを試み、一定の成功をおさめている。古くは、「天子に弓引く不忠不義の共産党」であり、「私有財産を否定して社会を紊乱する共産党」であった。また、天皇が唱道する戦争に反対するという、「とんでもない非国民・共産党」でもあった。
治安維持法は何よりも共産党弾圧を主たる目的として立法された。天皇制政府の弾圧の対象となった共産党は「恐るべき政党」であり、同時に「共産党との関わりを疑われると恐ろしいこと」になったのだ。この残滓が今も残っている。企業社会では有用なものなのだ。
こうしてつくられ今なお残っている社会の反共意識を、ライバル政党は徹底して利用した。中国共産党のイメージの悪さも、大いに悪宣伝に使われた。4野党の共闘が期待したほどの進展を見せなかった大きな原因が、いまだにこの世にはびこっている反共意識の所為のように見える。
「反共意識」の蔓延は、民主主義の未成熟度を表すもので、「共産党を支持しない」見解とは大きく異なる。議会制民主主義と政党政治の健全な発展のために、「反共意識」の克服は重大な課題だと思う。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.11.5より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=17878
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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