反面教師とは人に対して言う言葉である。こういう人物には、高校以来、ずいぶん沢山会ってきた。その都度、こういう生き方だけはしまいと思ってきた。しかし、本になると「反面教師」は意外と少ない。書店の店頭や図書館の書架の前で内容を一応確認してから読み、どうにもならない本はその段階で排除するせいであろう。だが、皆無ではない。中には「こんな風に本は書いてははいけない」、「少なくともこんな本を最後まで読むべきではない」というような本もある。
紀野一義『遍歴放浪の世界』は私にとって、数少ない反面教師的書籍であった。最後まで読んだのだが、まるで印象に残るものがなかった。理由を考えてみた。紀野が書いたものは、空也、西行、一遍、木喰、円空、といった歴史に名を残した人物(主として僧侶)ばかりだ。勿論その人物たちが遍歴放浪の暮らしをしたことは事実だ。しかし、いくばくかの例外(円空、木喰)を除いて、彼等は遍歴によって暮らしを立てていたわけではない。他の生活の場を持ち、あるいは定住者の援助によって放浪を続けていただけだ。放浪がいやになればいつでもそれを中止することができた。だから、当たり前のことだが、「遍歴放浪」の辛さは、そのなかで生活の糧を得る「道々の輩」のそれとは質的に違ったものとなる。
紀野が紹介した人々のほとんどは「芸術作品」を残した。しかし、「道々の輩」の多くはそれとは逆に、何も残さなかった。「道々の輩」は自らが底辺に生き、そして底辺に近いところで生きている常民を相手に暮らした。そんな「道々の輩」には何かを残すような仕事は本来できなかったともいえるし、仮に一時的に残ったとしても、無名のままに失われていった可能性が高い。
紀野が紹介したのは「遍歴放浪の芸術家」というよりも「遍歴放浪したことのある芸術家」である。かれらの「芸術作品」が残っていなければ、たぶん、かれらの放浪が語られることもなかった。そしてかれらの作品は「遍歴放浪」の中で出来たものもあれば、「遍歴放浪」とは無関係に作られたものもあるという意味で、その作品には「遍歴放浪」は不可欠のものではなかった。紀野が紹介した「遍歴放浪の芸術家」はその上、僧侶というこの時代の高学歴者であった。紀野がそのような人物を選ぶのは勝手であるが、生活を何に求めるかということに関して、かれらと「道々の輩」とでは大きな差がある。紀野はそれを明らかにしておくべきではなかったか。
「道々の輩」は決して芸術家ではない。彼らは本来「遍歴放浪」の中で生きた常民である。「遍歴放浪」なくしては彼等の生活はなかった。そして彼らが「遍歴放浪」のなかで何かを作ったとしても、それは底辺の常民の生活のなかで消耗されるものにすぎなかった。そういうものを作らなければ「道々の輩」は生きては行けなかった。だから「道々の輩」が作るものは本来「残す」ことを目的にしたものではなかった。何も残らない、何も残さないことは、むしろ「遍歴放浪」を生活とする者の本来の姿ではないのか。たとえ、それが「道々の輩」の「遍歴放浪」の辛さと寂しさを物語るとしても、である。
紀野の本には印象に残るものはなかったが、紀野が対象とした「遍歴放浪する芸術家」との対比において、芸術作品を残さなかった、残すことのできなかった「道々の輩」の辛さと寂しさを考えることができた。つまり、「遍歴放浪」する芸術家をある種の反面教師として、「道々の輩」の生き方を考えることが出来たように思う。その点においてのみこの本は意味のある本であった。またその理由から、この本を読むことを薦めようとは思わないが、この報告は読むのを薦めることを目的としたものではないと考えたい。
紀野一義『遍歴放浪の世界』(日本放送出版協会、1993)
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