「台湾有事=日本の存立危機」は本当か

――国連憲章51条とウクライナ戦争から見た論理の破綻

 はじめに

近年、日本の安全保障論において「台湾有事」が頻繁に語られるようになっている。とりわけ、高市早苗首相が国会予算委員会において「台湾有事は日本の存立危機事態になり得る」と発言し、これに対して中国政府が強く反発するという事態は、日中関係のみならず東アジアの安全保障環境全体を緊張させる深刻な局面を生み出している。

しかし、この発言は直感的には理解しやすい一方で、国際法、とりわけ国連憲章51条(自衛権)の構造に照らすとき、複数の論理的飛躍を含んでいる。台湾海峡の緊張を軽視することなく、むしろその重要性を正面から認めたうえで、本稿では、台湾有事を「日本の存立危機」と直結させる言説が、どの段階で国際法的・制度的な連関を飛び越えてしまっているのかを検討する。

 1 国連憲章51条が想定する自衛権の条件

国連憲章は、武力行使を原則として禁止し(2条4項)、例外として次の二つのみを認める。

1. 安保理による集団安全保障(憲章7章)

2. 武力攻撃が発生した場合の個別的・集団的自衛権(51条)

51条の要件は明確である。

 「武力攻撃が発生した場合」に限られる

 集団的自衛権は「攻撃を受けた国家」の要請を前提とする

自衛権は、危険の可能性や戦略的重要性を根拠に発動できるものではない。

 2 台湾という「国家であり国家でない存在」

台湾は、実効的な統治能力を備えた政治体である一方、

 国連非加盟

 日本を含む多数国から国家承認を受けていない

という法的宙吊り状態にある。

このため、

台湾が武力攻撃を受けても

 それ自体が51条の「武力攻撃を受けた国家」には該当しない

したがって、

> 台湾が攻撃された

> → 日本が集団的自衛権を行使する

という論理は、国連憲章上は成立しない。

本来、台湾有事はまず「国際秩序に対する武力的挑戦」として、国連の場で違法性が問われるべき事案である。

 3 米軍が攻撃された場合の正当な筋道

一方、台湾周辺に展開する米軍が中国から攻撃を受けた場合、構図は一変する。

 米軍への武力攻撃

  → 米国という国家への武力攻撃

  → 国連憲章51条の発動要件成立

この場合、米国は日本に集団的自衛権行使を要請でき、日本は日米安保条約と51条に基づき、国際法上も整合的に参戦可能である。

ここでは、日本独自の「存立危機事態」という概念を前面に出す必要はない。

 4 なぜ「存立危機」が先に来るのか

「台湾有事=日本の存立危機」という言説が採用される理由は明確である。

それは、

 米軍がまだ直接攻撃されていない

 しかし台湾海峡が戦場化し

 日本のシーレーンや在日米軍基地が危険に晒される

という 「未攻撃段階」 を想定しているからである。

しかしこの段階では、

日本も米国も「武力攻撃を受けていない」

 51条の要件は満たされていない

にもかかわらず、

> 将来の重大な危険

> → 存立危機

> → 武力行使の正当化

という論理が先取りされている。

これは国際法上、予防的自衛権に近い発想であり、長年、合法性が否定的に扱われてきた領域である。

 5 比較:ウクライナ戦争では何が強調されたか

ここで注目すべきは、日本政府がウクライナ戦争に際して用いた言説との対照である。

ロシアのウクライナ侵攻に対し、日本は一貫して次を強調してきた。

 国連憲章違反

 主権国家への武力侵略

 国際秩序への挑戦

つまり、国連中心主義と国際法秩序の擁護である。

ところが台湾有事を語る際には、

 国連

 安保理

 国際的違法性認定

といった要素が急速に後景化し、

> 危険がある

> → 日本の存立

> → 武力行使もやむなし

という短絡的構図が前面に出る。

これは、規範の適用が事案ごとに変化していることを意味する。

 6 規範を弱体化させるのは誰か

この論理が常態化すれば、日本は次の立場を事実上受け入れることになる。

 国際法は抑止力にならない

 危険を感じた国が先に動く

 同盟が正当性を代替する

この構造は、ロシアがウクライナ侵攻で用いた

「安全保障上の脅威」論と、論理形式においては同型である。

内容の正邪ではなく、規範を飛び越える回路そのものが問題なのである。

おわりに――問われているのは台湾ではなく日本である

台湾海峡の安定が日本にとって重要であることは疑いない。

しかし、

> 台湾が攻撃される

> → 日本の存立危機

という短絡は、国連憲章51条の構造を逸脱し、国際秩序の手続きを自ら空洞化させる。

最終的に問われているのは、台湾の帰趨ではない。

日本は、国際法秩序の内側で行動する国家であり続けるのか。

それとも、「例外」を積み重ねる側に足を踏み入れるのか。

その選択こそが、台湾有事をめぐる真の争点である。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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