先日、大阪の後期高齢者の方と議論をしました。 今をときめく橋下氏率いる「維新の会」が掲げる「大阪都」構想についてです。 彼が曰く、橋下氏は、閉塞した大阪を立て直すために、「改革」の妨げにしかならない「大阪市」と「堺市」を廃して「大阪都」を実現することを掲げている、「改革」は必要である、云々と、とにかく発言中に幾度となく「改革」を大声で発されたのです。
橋下氏については、「お笑い系」弁護士ぐらいにしか観ていない私にとっては、その政治手法は、小泉流の「改革」連呼による詐欺的集票手法が気になるぐらいでした。 彼は、弁護士としては優秀であったのでしょうが、政治家としては、未知数でした。でも、今の趨勢は、彼流の大衆迎合の手法が成功しつつあるのかもしれません。 ウルトラC級の知事辞職から市長候補への転身を果たされたのですから。
しかしながら、知事に投票した有権者へは納得出来る説明があったのでしょうか。 大阪府知事の職を任期途中に投げ出して、「取り潰す」ために大阪市長へ乗り換えるべく立候補するのは道義的に如何なものでしょうか。
その点を不問にしましても、「大阪都」構想は「維新の会」が主張されるように薔薇色のものなのでしょうか。 私が、観るところでは、法・行政の専門領域に関わる研究者は、概ね、疑問・反論を連ねる方々が多く、また、地方自治の実務に就いている自治体労働者は、その大半が反対の意向を示しているように思えます。
例えば、阪神間の地方自治・都市問題の研究者として名高い高寄昇三先生は、「大阪都構想と橋下政治の検証―府県集権主義への批判 (地方自治ジャーナルブックレット)」、及び「虚構・大阪都構想への反論―橋下ポピュリズムと都市主権の対決 (地方自治ジャーナルブックレット)」を連続して上梓され、「大阪都」構想を「虚構」と一刀両断されています。 私も、全面的に同意いたします。
http://www.osaka-shisei.jp/documents/07takayose.pdf
虚構大阪都構想への実証的反論 高寄昇三
橋下氏の政治手法は、極めて危険なヒトラー流のファシズム(「ハシズム」ですか?)の流れをくむものと思われます。 松明行列こそしないものの、自らが仕立てた敵に徹底した攻撃を加えて大衆動員を仕掛け、閉塞状況から光明が見えるかのような幻想を振りまく巧妙なすり替えを行うのです。
最近の例では、職員の分限免職に関わる条例制定が挙げられます。 彼の応援団からは拍手喝采がありましたが、地方自治の現場にある者は、殆ど空虚な思いで観ておりました。 「地方公務員法」があるのに、そんなものが必要なの?-と言う訳です。 こんな例は、大衆迎合の地方政治家、特に首長がよく使う手です。 法律学の初歩ですが、憲法第94条にはこうあります。「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」。 つまり、条例は法律の下位にあり、法律に反する条例は無効なのです。 地方公務員に関して「免職」の規定が法にあるのに、改めて、条例を制定する必要など全く存在しないのです。 更に言えば、法律に反する規定は当然無効ですので、「地方公務員法」より厳しい規定は盛り込むことが出来ないのです。
それでは、何のために新条例を制定するのでしょうか。 人気取りです。 よくありますでしょう? 「○○市●●宣言」とか「○○市安心安全条例」とか、あんなもの、百でも千でも、いくら作っても何の意味もありません。 でも、一般市民受けはするのでしょうね。 「××憲章」なんて言うのもありますが、条例や規則とは何のためにあるのかを理解しない人達が作る「遊戯」に等しい愚かな行いです。 私は、法律家の橋下氏も同じことをするのか、と空しい心情になったものです。
阪神間、特に、大阪には、歴史的に東京に対する対抗心があり、自らの地盤沈下に傷つき、自尊心が損なわれ、将来への疑心暗鬼に不安が広がる趨勢にあります。 こうした心情に訴えて集票を重ねる政治手法は、ワイマール憲法下の経済破綻を基盤として勢力を拡大したナチスに準えることが出来ます。
大阪府民は、デマゴギーに惑わされず科学的に自らの「まち」を見詰めることが大切です。 各種統計では、大阪は、最早、東京に対抗出来得る経済的地位には無く、一地方に過ぎません。 例えば、一人当たり所得は、大阪府民は、東京都民の七割少ししかありません。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/sonota/kenmin/gaiyou2.pdf
(1) 1 人当たり県民所得 内閣府
大阪の現状は、過大な経済拡大は望むべくも無く、地に足を付けた地道な「まちづくり」を続けるしかないのです。 政権の栄枯盛衰を重ねた歴史を見続けた京の都の人達が、如何に時代に持て囃されようとも家業の拡大を望まず、市井の人達とともに生き延びた結果が、京都流の事業経営として今も存在しているように、大阪も昔からあるものを大切にした生き方を模索しなければならない、と思います。 本当に美味しいものをギューと押し詰めて「箱寿司」に仕立てるように。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0683 :111112〕