8月30日、おびただしい人々が国会議事堂周辺につめかけた。国会で審議中の安全保障関連法案の廃案と安倍政権退陣を求めてだ。労組などの組織に属す人々もみられたが、自分の意思でやってきた人々が目立ち、「安保法案反対」は今や国民各層に深く浸透しつつあることを印象づけた。もし、安倍政権がこうした広範な国民の声を無視したら、国民の激しい怒りに直面するのではないか。
今度の国会包囲行動を主催したのは「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」である。この実行委は、自治労や日教組が参加している「戦争をさせない1000人委員会」 、全労連などでつくる「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」、市民団体の「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」など19団体で構成されている。
行動は午後2時から始まると聞いていたので、私は午後1時40分、地下鉄有楽町線の永田町駅に降り立った。ホームからエスカレーターを昇り改札口に向かったが、改札口に至る通路はおびただしい人々で埋まり、身動きもできない。皆、国会議事堂へと向かう人々だった。ようやく改札口を出て地上に出る。そこは、国会議事堂裏の国会図書館前交差点だったが、ここも人の波で埋まり、なかなか先に進めない。
なんとかそこを抜け出て、参院議員会館、衆院議員会館前の歩道を首相官邸方向に向かう。その歩道も、すでに色とりどりの労組や平和団体、民主団体の旗やのぼりを押し立てた人々で埋まっていた。「教え子を戦場に送るな」と書かれた日教組の横断幕があり、その周辺に北海道から九州までの各県教組ののぼりがはためく。「全国動員したんだな、日教組は」と、思った。
歩道を途中で引き替えして国会図書館前の交差点から、国会図書館前の歩道を憲政記念館方向に向かう。国会議事堂の正門前に行こうと思ったからだ。でも、歩道はすでに人、人、人でぎっしりと埋め尽くされ、前に進めない。と、近くの樹木にくくりつけられた拡声機から甲高い音声が響き渡った。どうやら議事堂正門前に設けられたステージでスピーチが始まったらしい。
民主、共産、社民、生活の野党各党代表があいさつ。生活の小沢一郎共同代表が「今までこういう集会に顔を出したことはほとんどありませんけれども、今回だけは、何としても、いい加減でばかげた、そして危険な法律を阻止して、安倍政権を退陣に追い込む、そういう思いの中で皆さんの前に立ちました」と声を高めると、私の周りの人々から拍手がわき起こった。
拡声機からはいろんな人の声が流れてきた。ルポライターの鎌田慧氏は「安倍政権は、岸首相が進めた日米安保条約改定以来、55年ぶりに現れたウソつき内閣だ。ウソをつきながらやりたいことを実現しようとしている。ウソを許してはいけない。安倍首相は積極的平和主義を掲げているが、この言葉の生みの親のヨハン・ガルトゥング博士は、安倍首相が唱える積極的平和主義は真の積極的平和主義とは異なると言っている。安倍首相が掲げるそれは積極的戦争主義だ」と話した。
有田芳生・民主党参議院議員は、スペイン市民戦争で、人民戦線に結集した市民がファシストのフランコ将軍派に対して「奴らを通すな」をスローガンに戦った例を引き、「私たちも今こそ、民主主義を破壊する者に対して『奴らを通すな』と言おう」と呼びかけた。
袖井林二郎・元法政大学教授は「安倍談話は、あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません、と言っている。とんでもない談話だ。日本が戦争で殺したアジアの人たちは2000万人にものぼる。私たち日本人はこれから先、ずっと謝り続けなくてはならない」と訴え、「アメリカ式のコールで行こう」と、「ノーモア アベ」を英語で発声、参加者に唱和を求めた。
スピーチの間に、ステージに立っているらしい若い女性の主導で、何度もシュプレヒコールが繰り返された。
「9条守れ」「戦争法案絶対反対」「戦争法案いますぐ廃案」「強行採決絶対反対」「安倍政権は直ちに退陣」「直ちに退陣」……そのたびに怒濤のような大音声が国会議事堂周辺にこだました。
人の列をかき分けかき分けしてようやく議事堂正門前にたどり着いたのは午後3時30分だった。正門前を見渡して、目を見張った。広い正門前の車道が人また人で埋まっていたからだ。この車道が国会を目指すデモ隊に開放されることは極めてまれ。車道を敷き詰めたように集結した人々を見て、私は国会包囲行動が極めて大規模なものに達したことを実感した。
その時だ。灰色の空から雨が降ってきた。が、人々は帰ろうともせず、そのまま車道に立ち尽くし、声をあげ続けた。車道の一角には、「創価学会有志」を名乗る人たちが集まっていた。
午後4時、実行委関係者の「国会包囲行動は成功しました。実行委が集約した参加者は12万人です」という報告に参加者から万雷の拍手。その後、「戦争法案いますぐ廃案」「安倍政権は直ちに退陣」のシュプレヒコールが数分間続いた。
限られた見聞で私が強く感じたのは、国会包囲行動に参加した人たちの圧倒的多数が、何かの組織の指示でやってきた人たちではなく、自分の意思でやってきた人らしいということだった。独りで来た人、職場や地域の仲間とやってきた人、友人・知人らと連れだってやって来た人、そして、家族連れ……。年代的には高齢者、中年、青年、大学生、高校生、子どもなど、あらゆる世代にわたっていた。子どもを乗せたヘビーカーを押す若いママ、車いすの障害者、盲導犬を連れた視覚障害者にも出会った。全体的に見て、半数が女性と思われた。
それと、独りでプラカードやプレートを高く掲げて議事堂に向かって立ち尽くす人が多かったことだ。そこには、その人それぞれの主張や要求、願いが書かれていた。そこには、国会包囲行動に加わった1人ひとりの堅い決意が見て取れた。こんなことは、60年反安保闘争、70年闘争でも見られなかったことだ。「60年」も「70年」も、集会・デモの主役は労組と学生組織だった。「戦後70年。この間、自立した個人を重んずる民主主義が確実に定着してきたとみていいのではないか」。そんな思いを抱きながら、私は帰路についた人々でごった返す地下鉄の駅へ急いだ。
実行委の発表によれば、この日、全国47都道府県の計300カ所で同様の集会やデモが行われたという。
議事堂正門前の車道の一角で、「公明党よ、本当に平和の党
ならば目を覚ませ」と訴える「創価学会有志」を名乗る人たち
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