「安倍談話」と「1945年」の意味

「安倍談話」と「1945年」の意味         子安宣邦
「戦後70年」の「安倍談話」とは、「1945年」の意味を70年後の現在もう一度再確認することを求めるアジア諸国の問いかけに答えるものであったはずです。このもっとも重要な「1945年」をめぐる問いかけに「安倍談話」は答えていません。私は先頃ベルリンの歴史博物館で「1945年—敗戦・解放・再起」という特別展を見た印象をブログなどに書きました。それはヨーロッパ12カ国におけるナチス・ドイツの戦争と抗戦、そして敗戦と解放からそれぞれの戦後的再建にいたる歴史的記憶と体験とをヨーロッパとして共有しようとする志向をもったすぐれた展示でした。私はこの特別展を見て、なぜこのような「1945年」の回顧展がドイツでは可能であり、日本では不可能なのかを考え込まざるをえませんでした。私のこの疑問に今回の「安倍談話」は答えを与えたように思います。

「終戦70年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます」とこの「談話」は語り始めています。「安倍談話」の性格も、その本質もすべてこの語り始めにまさしく語り出されています。安倍は「70周年」のいま「1945年」の歴史的意味を再確認しようとしているのではありません。彼は「1945年」が日本にもつ自己責任的な問題の重大性を、「先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代」への「心静かな」な歴史的回顧によってえられるいくつかの教訓に読み替えてしまおうとしているのです。

「1945年」とは、アジア太平洋地域における日本軍国主義という全体主義的暴力の発動としての「日本の戦争」とその敗北的終結を意味します。「1945年」をこうとらえることによってはじめて、この「1945年」を問うことがアジアで普遍的な意味をもつことになるのです。日本の全体主義的軍事国家としての存立が15年にわたる中国における戦争とそれによる甚大な被害をもたらしたのだし、韓国の人びとに対する植民地的隷従をも強いていったのです。さらにアジアの諸地域、太平洋の多くの島嶼にまで戦争を拡大させ、無数の住民を犠牲者にしていったのです。そして忘れてはならないのは、日本国民もまたこの全体主義的暴力の犠牲者だということです。

「1945年」をこのように問うことによって、「1945年」の記憶と体験のアジア的共有をめざす「アジアの1945年」展も可能になるはずです。だが私が「アジアの1945年」展の日本での開催は不可能だというのは、「1945年」は日本では決して全体主義的軍事国家日本の自己責任の問題として問われ、追求されてはこなかったからです。戦後日本は戦前日本との断絶の意志を明確にすることはなかったといえます。断絶よりもむしろ連続性がひそかに、そしてたえず模索され続けていきました。戦後日本は本質的に歴史修正主義的であったように思われます。戦前との断絶の志向は孤立化し、経済大国日本の再興の中で失われていきました。安倍の歴史修正主義は戦後日本が隠微に持ち続けたそれを臆面もなく顕在化させたものです。

戦後日本が隠微に持ち続けてきた歴史修正主義的傾向は、靖国問題、教科書問題などとして顕在化し、中国・韓国による日本の歴史認識批判を繰り返しまねくことになりました、そして「1945年」の70周年のこの夏に、歴史認識問題をめぐる非な難と謝罪的弁明の応酬に終わりを告げるべき最終的な「謝罪」を意味する「談話」発表の責任が、まぎれもない歴史修正主義者である安倍首相に託されることになりました。これは歴史の皮肉でしょうか。それとも隠微に歴史修正主義的傾向を持ち続けた戦後日本が招いた必然の結果というべきでしょうか。

戦争責任の自覚的表明としての「謝罪」とは、その戦争をもたらした日本の天皇制的軍国主義という全体主義的な政治的・社会的・思想的・宗教的体制と自己否定的に訣別することの「実」、すなわち「行為的事実」をもって謝罪することです。この「実」をともなわない「謝罪」はただの言葉になります。ただの言葉はひたすら修辞を求めることになるのです。

「戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」というのはただの言葉です。もし本当にアジア・太平洋戦争の無数の死者たちに哀悼の誠を捧げようとするならば、「戦争放棄」という日本国憲法の平和主義的原則を守り通す決意の表明をもってすべきです。この日本国憲法の平和主義的原則こそ戦前日本の否定的再出発としての戦後日本の国家的立場を正当化し、その存立に普遍的意義をも与えるものであるはずです。

安倍は自分もその通りいったというでしょう。たしかにこの「談話」にも「事変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」という言葉はあります。だが第2次大戦後の世界体制をめぐる国連憲章的言辞をもってしたこの言葉は、日本国憲法の平和主義的原則を守り通す決意の表明では決してありません。むしろそれを巧みに隠した偽装の修辞といえます。これを偽装の修辞とはっきり見抜いているのは、安倍の〈集団的安保〉という国際的軍事体制への日本の括り込みに反対している日本国民です。この日本国民の闘争こそ「1945年」の回顧に立ってアジアの人びととあの戦争の体験と記憶とを共有しようとする私たちの「不戦の決意」の表明であり、行動の実をもってする本当の「謝罪」であるでしょう。

初出:「子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ」2015.8.18より許可を得て転載

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