(2022年12月7日)
11月30日、江沢民が亡くなった。私の心象の中で《尊敬すべき中国》から《野蛮な中国》へ変容したあの時期の、歴史の転換を象徴する人物の一人。この人に対する敬意のもちあわせはないし、弔意もさらさらにない。その点では、安倍晋三と似たり寄ったり。
この人、89年6月4日の天安門事件の後、当時の最高実力者である鄧小平によって党幹部に抜てきされた。その後、国家主席にして中国共産党総書記となり、党中央軍事委員会主席にもなった。昨日(12月6日)、その過去の肩書にふさわしい追悼大会が、天安門広場に接する人民大会堂の大ホールで挙行された。
葬儀委員長となった習近平以下、党や政府、軍など各界の関係者が参列し、《中国の経済発展の礎を築いた偉大な指導者》に最後の別れを告げた。党と政府は「全党、全軍、全国各民族人民に告げる書」を発表し、「崇高な威信を持つ卓越した指導者」と最上級の表現で追悼した。人民日報も「永遠に消えることのない功績を打ち立てた」と称えている。
追悼大会では3分間の黙とうが捧げられた。同時刻、中国全土に警笛や防空警報などのサイレンが鳴らされ、哀悼の意が示された。葬儀委員会は娯楽活動の自粛などを要請。全国の政府組織は半旗を掲げ黙祷した。証券取引所も外国為替市場も3分間取引を停止、ユニバーサルスタジオ北京は臨時休業した。江氏の死去後、新聞の紙面や政府機関のホームページ、スマートフォンの買い物や出前サービスのアプリは画面を白黒にして喪に服している。
習近平の弔辞は、故人の数々の業績を称賛して50分にも及んだという。こんな長広舌を聞かされる方は、さぞかし辛かったろう。習は「江氏の名、功績、そして思想は何代にもわたって人々の心に刻まれるだろう」と持ち上げたが、けっしてそうはならないだろう。スターリンのごとく、突然評価が逆転する日が到来するに違いない。その日の早からんことを切望する。
また、その弔辞は天安門事件にも触れたという。当時上海市トップだった故人について「動乱に反対する旗幟を鮮明にし、社会主義国家政権を守り抜いた」「上海の安定を維持した」「改革・開放を堅持した」「社会主義国家守り抜いた」「崇高な威信を持つ卓越した指導者」と改めて礼賛して、一党独裁への異論を許さない姿勢を重ねて強調した。
結局のところ、習の弔辞における江への評価は、「民主化を求める市民・学生を徹底して弾圧したこと」。そのことによって「人権と民主主義を制圧して強権による秩序維持に貢献したこと」「人民に銃口を向ける人民解放軍を作りあげることに大きな貢献をしたこと」なのだ。式の参列者は、習の見まもるなか、江の遺影に3度頭を下げたという。
最後に革命歌「インターナショナル」が演奏された。江沢民は、共産党独裁による体制を維持しながら、それまで労働者階級を代表してきた共産党に、企業家などの入党を認めて党を質的に変化させた人物。貧富の差を広げ、社会のひずみを拡大した人物。その追悼に革命歌「インターナショナル」は似合わない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.12.7より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20407
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