「平和憲法」を蹂躙する時代状況

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」――敗戦後の日本が、憲法第9条で世界に宣言した誓いである。

安倍晋三政権は、集団的自衛権を憲法解釈だけで、容認させようと企んでいるが、とんでもない暴挙だ。各紙は連日報じており、放置できない様相を深めてきた。こんな折、池澤夏樹氏の「文芸・批評」(朝日新聞63日付夕刊)の鋭い指摘が目に止まった。

 「交戦自由のアメリカの軍隊と、交戦権を持たない日本の自衛隊が同じ立場で肩を並べて戦えるものだろうか。その場合、憲法は停止状態ということになる。これは国家乗っ取り、すなわちクーデタと同じではないか」と指摘。次いで「国家には選ばれた国民を死地に派遣する権限があるのだろうか? 非常に危険率が高いとわかっていることができるのだろうか。それが自衛のためと言うならば、国の生存権と個人の生存権の関係についてはもっと議論が要る。(中略)イラクに派遣された自衛隊は1人も死なず、(たぶん)1人も殺さずに戻った。憲法第9条が彼らを守った。それでも帰還隊員ののうちの25名が自殺したという報道がある。聞くところによると、集団的自衛権を熱心に推しているのは外務省で、防衛省は消極的なのだという。戦争になっても外交官は血を流さない」との分析は論理明晰である。

羹尚中・東大名誉教授は最近の著書「心の力」(集英社新書)は、トーマス・マンの「魔の山」と夏目漱石の「こころ」に描かれた「心の在り方」を主題にしたものだが、時代状況と対比しながらの分析に感銘した。「猛烈なグローバリゼーションの嵐が荒れくるう中、多くの人びとの心が痛めつけられ、悲鳴を上げているように見えます。(中略)マンの言葉をかりれば、『外見上ははなはだ活気に富んでいても、その実、内面的には希望も見込みも全然欠いている』時代が訪れようとしているのだ」」との警鐘が心に響く。

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