「建国記念の日」に天皇制を問う ― 講演レジメ

2月11日「建国記念の日」が迫ってきた。「国民の祝日に関する法律」は、この日を「建国をしのび、国を愛する心を養う」としている。もっとも、同法には「建国記念の日」を2月11日にするとは書き込まれていない。「政令で定める日」とされているのだ。他の祝日にはないこの「記念の日」に限っての決め方。

「憲法記念日」は「憲法記念の日」とは言わない。5月3日と法がきちんと決めてもいる。「憲法」の誕生日が1947年5月3日であることは誰にとっても自明なことで動かしがたい。しかし、「建国」つまりは国の誕生日となると、一義的に決まるわけではない。人それぞれの考え方によって異なってくる。

よく知られているとおり、2月11日を「建国記念日」として祝日にしようという法案は、自民党が9回国会に提案して9回つぶれた。ようやく成立したのは、「建国記念の日」として、期日を特定しない法案だった。つまり、「建国記念の日」という名の祝日が先にできて、その日をいつにするかは、そのあとで決めたのだ。学識経験者の「建国記念日審議会」が半年間の審議をし(正確には,審議をした振りをし)、2月11日案を答申して、政令が成立したのだ。

紀元節復活を許すか否か。保守と革新の歴史観が衝突した大事件だった。言うまでもなく、2月11日は神話における初代天皇即位の旧紀元節。この「祝日」は、天皇制を考えるべき日である。この日は、多くの学習会や後援会の企画がある。私も下記のとおり小集会で講演をする。

ご参加いただいて、ご一緒に日本の歴史やナショナリズムについて考えていただけば、ありがたいと思う。

日時:2月11日 13時30分~16時30分
講演:「異常な令和フィーバーを考える」
講師:澤藤統一郎(弁護士)
場所:亀戸文化センター(カメリアプラザ5階)
亀戸駅下車歩2分 03ー5626ー2121
資料代:500円
問合せ先:090-8082-9598

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異常な「令和」フィーバーを考える
         ~「建国記念の日」に天皇制を問う

Ⅰ 安倍晋三の「令和私物化」を憂うる
☆安倍晋三は、国政を私物化し、行政を私物化し、
さらに時代と天皇までを私物化している。
言うまでもなく、天皇(制)とは、権力に利用される道具として存在している。
歴史的に天皇の権力が失われて以来、
権力者は天皇の権威を損なわぬよう留意しつつ、これを利用した。
安倍晋三も、政権浮揚の小道具として、天皇の交替を徹底して利用してきた。
新元号・令和の利用もその一端である。
☆元号・改元とは、天皇が時を支配するという呪術的権威のこと表象である。
安倍晋三は、天皇のこの呪術的権威をわがものとして利用した。
天皇交替と改元をことさらに世間の関心事と喧伝し、常にその「国民的関心事」の耳目を集めようと腐心してきた。(しゃしゃり出てきた)
☆安倍晋三・記者会見(2019年4月1日)
本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」(れいわ)であります。これは「万葉集」にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」との文言から引用したものであります。
元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くに渡る我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。この新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根差していくことを心から願っています。
(漢籍からではなく「初めて国書から撰んだ」とも)
☆安倍晋三・即位後朝見の儀 国民代表の辞(2019年5月1日)
謹んで申し上げます。
天皇陛下におかれましては、本日、皇位を継承されました。国民を挙げて心からお慶び申し上げます。
ここに、英邁なる天皇陛下から、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜りました。
私たちは、天皇陛下を国及び国民統合の象徴と仰ぎ、激動する国際情勢の中で、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を、創り上げていく決意であります。
ここに、令和の御代の平安と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。
☆10月22日 即位正殿の儀における 「テンノーヘイカ・バンザイ」
☆11月14日 宗教儀式(秘儀)・大嘗祭
☆臣民根性丸出しの数々の愚行が、国民のウケ狙いで行われていることの問題性。

Ⅱ「建国記念の日」とは何か
☆「建国」のイデオロギー
人には誕生日がある。果たして国にも誕生日はあるのか。
「国」をどう捉えるか。
フランスでは アメリカでは 中国では 韓国では そして日本では?
紀元節における天皇制ナショナリズム
高天原神話⇒天孫降臨⇒東征⇒神武即位
明治政府が初代天皇即位の日をBC660年2月11日と決めた。
さしたる根拠はなく、天皇即位を建国とするイデオロギーが重要だった。
この日を「紀元」として、皇紀を数えた。
☆明治政府は、天皇の権威をもって国民を統合し統治しようとの設計図を描いた。
天皇は神であり、道徳・文化の根源であり、大元帥であり、
それ故に、統治権の総覧者とされた。
国家権力が「神なる天皇」という虚構を「臣民」に教化した。
壮大なデマとマインドコントロールの体系として神権天皇制はあった。
理性を持つ者は、沈黙か面従腹背を余儀なくされ、あるいは非国民として徹底して弾圧された。
☆敗戦による民主化は、旧体制と断絶した新生日本を作り出した…はずだった。
新憲法によって天皇は神の座から引き摺り下ろされて「象徴」となり、
主権者でも、大元帥でもなくなった。
「臣民」に貶められていた国民は、主権を獲得した。
ところが、民族の歴や文化は連綿として一体であって、
「戦前と戦後は連続している」という考え方がある。
その表れが、皇国史観であり、「皇紀2680年」「明治150年」の思想である。
☆法的には、建国記念の日制定(紀元節復活)・元号法制定・国旗国歌法制定と  なり、さらに自民党改憲案での、憲法への取り込みがはかられている。

Ⅲ 天皇の交替は何を意味するか
☆天皇という公務員職の存在は、「国民の総意」によるとされる。
演出され、作りだされる、「国民の総意」。
主権者に強制される祝意。本末転倒・主客逆転の実態。
天皇制とは、「権力に重宝なもの」として、拵えられ維持されてきた。
☆日本の民主主義は、天皇制と拮抗して生まれ、天皇制と対峙して育ってきた。
象徴天皇制も、強固な権威主義と社会的同調圧力によって支えられている。
いま、この同調圧力に抗する「民主主義の力量」が問われている。
天皇批判言論の自由度が、表現の自由のバロメータとなっている。

Ⅳ 元号とは
☆天皇制を支える小道具は数ある。
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・歌会始・御用達・賜杯・天皇賞・御苑・恩賜公園……等々。そのなかで、元号が国民の日常生活と天皇制を結びつける最大の役割を果たしている
☆元号のイデオロギーとは、
皇帝が時を支配するという宗教的権威顕示の道具であり、
政治的には、支配と服属関係確認の制度である。
☆古代中国の発明を近隣小権力が模倣した。「一世一元」は明治政府の発明品。
新憲法下の皇室典範はこれを踏襲した。
元号は天皇制と一体不可分である。
国民の元号使用の蔓延が天皇制を支える構造にある。
☆しかし、元号は、「欠陥商品」である。
元号は国民の日常生活において使用される道具として、消費生活における商品に擬することができる。
「商品」とは、消費市場における消費者の選択によって淘汰されるもの。
☆元号は、紀年法として、不便・不合理極まる欠陥を有する。
元号は、賞味期限も消費期限もあまりに短い。
元号通用の地域限定性は、耐えがたい欠陥である。
しかも、元号は必然性なく突然に変わる。
一人の人間の生死や都合に、他の全員が付き合わされる不合理。
国民生活における西暦・元号の併用コストは許容しがたい。
☆元号は、不便・不合理を越えて有害である。
元号は、天皇制を支える非民主的な存在として有害である。
元号は、天皇を神とするイデオロギーに起源をもち、
政教分離の精神に反する存在として有害である。
また元号は、現体制への服属を肯定するか否かの踏み絵となる点で有害である。
歴史やニュースの国際的理解を妨げる。ナショナリズム昂揚にのみ資する。
☆元号は、これを使いたくないと考える国民に、事実上使用強制となる点で、
思想・良心の自由(憲法19条)を侵害するものである。
☆いまどき、そんな欠陥商品が、何故大売り出しされるのか。
戦後民主主義の高揚期には天皇退位論だけでなく、元号廃止論が有力だった。
その典型が日本学術会議が内閣総理大臣と、衆参両院の議長に宛てた「元号廃止・西暦採用の申し入れ」(1950年5月・後掲資料)
元号の不合理だけでなく、民主国家にふさわしくないことが強調されている。
ところが、保守政権とともに、天皇制が生き延び、元号も生き延びた。
1979年には元号法が制定され、2012年自民党改憲草案には憲法に元号を書き入れる案となっている。
合理性を追及するビジネスマインドからは元号廃絶が当然の理だが、改憲指向・戦前指向・天皇制利用指向・歴史修正主義・ナショナリズム指向の安倍政権には、新元号制定を「手柄」とし、政権浮揚の道具とする意図があったと考えられる。そして、残念なことに、少なからぬ国民とメディアがそれを許している。

Ⅴ 令和とは (ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」2019年4月1日抜粋)
通常の言語感覚からは、「令」といえば、命令・法令・勅令・訓令の令だろう。説文解字では、ひざまづく人の象形と、人が集まるの意の要素からなる会意文字だという。原義は、「人がひざまづいて神意を聴く様から、言いつけるの意を表す」(大漢語林)とのこと。要するに、拳拳服膺を一文字にするとこうなる。権力者から民衆に、上から下への命令と、これをひざまずいて受け容れる民衆の様を表すイヤーな漢字。
この字の熟語にろくなものはない。威令・禁令・軍令・指令・家令・号令…。
もっとも、「令」には、令名・令嬢のごとき意味もある。今日、字典を引いて、「令月」という言葉を初めて知った。陰暦2月の別名、あるいは縁起のよい月を表すという。
令室・令息・令夫人などは誰でも知っているが、「令月」などはよほどの人でなければ知らない。だから、元号に「令」とはいれば、勅令・軍令・号令・法令の連想がまず来るのだ。これがイヤーな漢字という所以。
さらに「和」だ。この文字がら連想されるイメージは、本来なら、平和・親和・調和・柔和の和として悪かろうはずはない。ところが、天皇やら政権やら自民党やらが、この字のイメージをいたく傷つけている。
当ブログの下記記事をご覧いただきたい。
「憲法に、『和をもって貴しと為す』と書き込んではならない」
http://article9.jp/wordpress/?p=3765(2014年10月26日)

自民党改憲草案前文の「和」が、新元号の一文字として埋め込まれた。「令和」とは、「『下々は、権力や権威に従順であれ』との命令」の意と解することができる。いや、真っ当な言語感覚を持つ者には、そのように解せざるを得ないのだ。
元号自体がまっぴらご免だが、こんな上から目線の奇なる元号には虫酸が走る。今後けっしてこの新元号を使用しないことを宣言する。

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資料1(日本学術会議の「元号廃止・西暦採用決議」)

昭和25年5月6日

衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣

日本学術会議会長 亀山直人

元号廃止 西暦採用について(申入)

本会議は,4月26日第6回総会において左記の決議をいたしました。
右お知らせいたします。

日本学術会議は,学術上の立場から,元号を廃止し,西暦を採用することを適当と認め,これを決議する。

理 由

1. 科学と文化の立場から見て,元号は不合理であり,西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は,もつとも簡単であり,明瞭であり,かつ世界共通であることが最善である。
これらの点で,西暦はもつとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に,現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれば,元号を用いるために,日本の歴史上の事実でも,今から何年前であるかを容易に知ることができず,世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく,天文,気象などは外国との連絡が緊密で,世界的な暦によらなくてはならない。したがって,能率の上からいっても,文化の交流の上からいっても,速かに西暦を採用することか適当である。

2. 法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。
元号は,いままで皇室典範において規定され,法律上の根拠をもっていたが,終戦後における皇室典範の改正によって,右の規定が削除されたから,現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば,「昭和」の元号は自然に消滅し,その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは,全く事実上の堕性によるもので,法律上では理由のないことである。

3.新しい民主国家立場からいっても元号は適当といえない。
元号は天皇主権の1つのあらわれであり,天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し,統治者であってはじめて,天皇とともに元号を設け,天皇のかわるごとに元号を改めるととは意味かあった。新憲法の下に,天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では,元号を維持することは意味がなく,民主国家の観念にもふさわしくない。

4.あるいは,西暦はキリスト教と関係があるとか,西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが,これはいずれも十分な理由のないものである。
西暦は起源においては,キリスト教と関係があったにしても,現在では,これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても,それは明白であろう。西暦に改めるとしても,本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば,あたかも本年末に改元があったと同じであって,今までの年にはかわりがないから,それがわからなくなるということはない。

資料2 元号法(昭和五十四年法律第四十三号
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

(2020年2月7日・連続更新2503日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.2.7より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=14257

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座https://chikyuza.net/

〔opinion9432:200208〕