戦後の実務思想にかなりの影響を与え、一時は山口昌男などのライターを輩出した「思想の科学」はこの2,3年、一つの過度期を自ら実践し実演している。
社会法人団体から最近、自由な形の非法人思想集団となり、若い人たちを中心に再生を模索している最中だと言える。
会長などの人選で、いまだに戦後的な価値観やネポティズムへの傾向が感じられるが、「思想の科学」という戦後の一つの象徴が脱皮にもがく姿の一環としてこれを見ることもできる。
過去の遺産の共有を計りながら、現在時点での展望と批判を試みることも、新しい会員たちの仕事の一つになるだろう。一般に読書量が少ないままに実務家気取りのライターになれば上坂冬子たちの二の舞を踏むことは明らかだろう。
かといって、最近のように東大系ヘーゲル学者などの講義を企画しているのは丸山眞男などがいたころの官制アカデミズムへの接近の傾向を含むものかもしれない。実際、大学院系の連中の参加が増えている。
「思想の科学」の運動で大切な点は竹内好のように戦中戦後の継続の局面に激しい批判を持っていた人が、意外に70年以降から参加の頻度を増していることである。
実際、僕が「思想の科学」を物理的に知った時には大野力と森山次朗とかいうのが二つ顔を張っていて「思想の科学」とは昭和30年型の「実務学協会」みたいなもんじゃないかと思ったほどであった。
中核となる問題意識を組織する鶴見俊輔的人間がまだ誕生していない。テーマについては二番煎じを繰り返す恐れもある。
以前のように大学の外にある生活者の学問だなどと気を吐く前に、戦後の産業組織との連帯を生きた大学を解体して、市民性の原理を極めればいいのである。だから暴力論やテロの研究も非常に大切だ、、、と遠くからつぶやいている。
(思想の科学研究会会員)