「戦時体制下」のスペイン:その3

著者: 童子丸開 どうじまるあきら : スペイン・バルセロナ在住/ジャーナリスト
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バルセロナの童子丸開です。少しずつ非常事態が緩められつつあるスペインですが、たぶん、もう以前と同じような日常生活に戻ることはありえないでしょう。今回はその点を市民生活という面から突っ込んでみました。

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http://bcndoujimaru.web.fc2.com/spain-4/2020-04-20-Spain_in_wartime-3.html

 

「戦時体制下」のスペイン:その3

3月14日に国家非常事態宣言が出されてからすでに6週間が過ぎた。この間にスペインでは、非常事態が宣言された日に1万人に満たなかった感染者数(PCR検査により陽性と判断された人数)は20万人を超え、米国に続いて世界で2番目、300人未満だった死亡者数(病院で確認された陽性者中の死者)が2万5千人を超えて、米国、英国、イタリアに次ぐ第4位になってしまった。しかし感染者数にしても死亡者数にしても実際にはもっと多いはずだ。
だだその数値を詮索しても始まらない。スペインも世界も、今まで我々が(少なくともいま生きている世界の人間の大部分が)経験したことのない大変化の真っただ中にいることは間違いのないことだ。この新型コロナウイルス禍への対策として、ワクチン開発が1年や2年の短期間でできない以上、対処方法としては、感染地域を封鎖して隔離する方法と、集団免疫獲得つまり比較的感染の影響が少ない若い世代の人々の大部分に感染による抗体が作られるのを待つ方法の、2通りあるようだ。たまたま筆者が住んでいるスペインは前者の方法をとったのだが、国がどちらの方法を選ぼうとも、そこに住んでいるもう若くない自分としては、もちろんコロナに罹りたくない。あらゆる知恵と力を尽くして身を守るしかない。
この2通りの方法のどちらが正しいのか分からないが、「人を見たらコロナと思え」でとにかく他人との距離を取るし他人に近付く機会を減らす、「物を見たらコロナと思え」で何か手で触ってしまったら消毒して洗う、「自分自身をコロナと思え」で万一他人にうつしてはいけないからマスクをする、…、まあそんなことでも徹底するしかない。それでも罹ってしまったら、運命と思って諦めるしかないだろう。
今回は、少しずつ事態が落ち着いていき新しいステージに向かおうとしているスペインの姿を書き留めておきたい。本当は、新型コロナが重大な影響を及ぼす経済問題や労働問題、政治問題に突っ込みたかったが、まだ現在展開中で見通しの立たないことが多いため、それは次回の記事に回したい。

2020年5月5日 バルセロナにて 童子丸開

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●小見出し一覧
《街路に戻りつつある市民》
《「新たな日常」に向けて》
《日本について、ちょっとだけ》
《封鎖解除への4段階》

【写真:4月26日、6週間ぶりに外で遊ぶことを許された子供たち:プブリコ紙】

《街路に戻りつつある市民》

5月5日現在、スペイン政府の公表によれば、COVID-19(新型コロナウイルス)の累積感染者数はPCR検査による陽性者が219329、抗体検査を含めた陽性者は250561。死亡者数(病院で確認された数)は25613、回復者は123486人である。政府が毎日発表する数字を信用すればの話だが、5月5日の感染者数は867で前日の356よりは増えているが、非常事態宣言以後の最低レベルである。なにせ、ピーク時の3月31日の24時間で何と9222を記録したのだ。死亡者は、ピーク時には1日で960人(4月2日)が亡くなったのだが、5月5日には185人で、この1か月半の最低だ。数値としてはまだまだ大きいのだが、相当に落ち着いてきたと言える。一方で4月24日以降、感染者数よりも回復者数の方が多くなっており、感染の「第1波」は終焉に近付きつつあるようだ。

その状況を受けてスペイン政府は従来の厳重な封鎖状態を徐々に緩める政策を取り始めた。4月26日(日曜日)の朝9時、スペイン各地の街路に大勢の子供たちの姿が一斉に現れた。それは、3月14日のペドロ・サンチェス首相による国家非常事態宣言以来、実に6週間ぶりに目にする光景だった。もちろん、コロナウイルス禍による感染と死亡が依然として続いている以上、条件が付いている。14歳未満の子供に限られ、保護者1名について3人まで、自宅から1km以内の距離で1時間以内の外出に限られる。遊具や乗り物を持って出てもよいが、他の子供や大人とは1.5m以上の「社会的距離」を取らなければならない。ただしマスクは「奨励」であって義務ではない。また公園内や歩道を歩いたり走ったりできるが、ブランコや滑り台などの遊具は使用禁止である。

このような規則に違反した場合、親に601ユーロ(約7万円)から1500ユーロ(約17万6千円)の罰金が科せられる。もちろんだが子供たちがそれほど正確に「社会的距離」を守るなどありえない。まして6週間もの長い期間、狭い家の中に閉じ込められて、友人とは携帯などで話をする程度、外食をすることもスポーツをすることも出来なかったのだ。したがってこの記事の写真にあるように、どう見ても1m以内の距離で大勢集まっている例があるし、親も注意していないようだ。ただ警察は少々のことは大目に見ているようだし、抱き合ったりじゃれあったりしていないだけ、まだましだろう。

そして同じ4月26日、前回記事『「戦時体制下」のスペイン その2』で紹介したマドリードの大型展示会場IFEMAを改造した臨時病院が5月1日に閉鎖されると発表された。ここには96のICUを含む1400床が用意されたが、3月29日の患者搬入開始以来、3811人の患者を受け入れ、そのうち95.5%にあたる3640人が完治して退院、0.4%の16人が死去し、164人が一般病床に、5人がICUにいた。5月1日までにそれらの患者を他の病院に移送するめどがついたわけで、「スペインの武漢」と化したマドリードを医療の完全崩壊から救うのに十分に役に立った。またそれだけ医療現場に余裕が生まれたことの証明である。

その後、状況が落ち着いていくのを確認して、5月2日には高齢者を含むその他一般の人たちの散歩とジョギングなどの個人的なスポーツが許可されることとなった。筆者も今まで食料などの買い物に出るついでにわざと遠回りして散歩をしていたが、これで大手を振ってうろつくことができるようになった。ただし、自宅周辺の歩いて30分ほどで1周できる狭い地区で、つい3週間ほど前まで感染者が70人ほどだったのに今は倍以上の180人になっているので、あまり近所は出歩く気がしない。もっとも今は全国的にPCR検査や抗体検査が積極的に増やされているので、3週間前にも実際には多くの無症状の感染者がいたのかもしれないのだが。

《「新たな日常」に向けて》

同じ26日、保健省機関である医療警戒・緊急事態協力センター所長のフェルナンド・シモンは、非常事態を徐々に解消する指針に関する記者会見で、この非常事態解除はコロナ以前の日常生活に戻ることではなく「新たな日常(una nueva normalidad)」への道を開くものだと説明し、「それは1年前に在ったものとは異なる」と付け加えた。ここで筆者は通常は「普通」「平常」などと訳される「normalidad」を「日常」と意訳したが、そのほうがここで生活する者にとって実感しやすいからである。これは少し前からシモン博士が語っていたことなのだが、明らかに、今の非常事態を緩めた後に予想されるCOVID-19の「第2波」「第3波」を意識したものだろう。

この前代未聞の難敵の「第1次攻撃」で散々の目に遭いながら何とか撃退できそうな状況にはなったが、この目に見えない大敵は「第2次攻撃」「第3次攻撃」を仕掛けてくるに違いない。今の感染者数の数値にほとんど意味がない、それは実際の感染者数よりはるかに少ないだろうからだ、とシモンは解く。感染者の数値が減っていったとしても無症状の者がどこに潜んでいるか知れたものではないうえに、外部からややタイプの異なるより強力なウイルスがもたらされる可能性もある。だからこそ、たとえ今の状況が落ち着いたとしても、今まで存在しなかったような新しい生活と医療と社会と政治の体制を「日常の状態」にする必要があるのだ。

その内容は次の4点の集約される。「公衆衛生への扶助の強化」、「疫学的な監視体制の確立」、「感染源の早期の封じ込め」、そして「集団的防御手段の維持」である。次の攻撃がどのようなものかは予測しがたい。この難敵は第1次攻撃で撤退する際に国内に膨大な数の「隠れ兵士」を残していくだろう。それがどこか外からの攻撃に呼応して第2次攻撃を仕掛けるだろう。常に敵の攻撃に対する備えをしながら毎日を過ごすことが、この「新たな日常」の確立なのだ。無意識のうちに今まで普通に行っていたことを、意識して変えてしまわねばならない。それは決して「平時」ではなく「戦時下の生活」の続きなのだ。

第1点目の「公衆衛生への扶助」は、当然だが、敵の第1次攻撃で崩壊した医療システムだけではなく、同じく崩壊に追いやられた老人施設や養護施設などの福祉システムを含んでいるだろう。第2点目の「疫学的な監視体制」には、PCR検査と抗体検査を拡充することが含まれる。スペインはいま、千人中のPCR検査実施人数(22.3人)ではOECD諸国の平均程度だ(ちなみに日本は1.8人でOECD諸国のほぼ最下位)が、いまこれを積極的に増やしつつあり、さらに地理・年齢・性別などあらゆる範囲で6万人を選んでの抗体検査を開始している。これが敵の第2次攻撃を撃退するための貴重なデータを提供してくれるだろうし、第3点目の「感染源の早期封じ込め」で威力を発揮するだろう。科学にとって豊富で幅広いデータほど重要なものはない。そしてその活用にとって必要不可欠なものが、第2、第3の戦いを勝利に導く、観察力と判断力と決断力を持つ優秀な政治家と専門家であることに間違いはない。

しかし我々一般の住民にとって最も重要なのは第4点目の「集団的防御手段の維持」だ。他人との距離を十分に(1.5~2m)とり他人との接触を避けること。うかつに市中にある物に触れないようにし、触れたら手を消毒すること。自宅や職場を常に消毒すること。できる限りマスクとゴム手袋(使い捨て)を着けること。外出から戻ったら手と靴を消毒すること。消毒しない手で顔を触らないこと。…。とにかく、「人を見たらコロナと思え」、「物を見たらコロナと思え」…、ということだ。ついでにこれらの標語中に「自分自身をコロナと思え」を入れなければならない。自分が無症状の感染者で他人にウイルスをうつすかもしれない行動を決してしてはならない、ということだ。

もちろん一般の生活と同様に、各種の産業や教育の現場でも、オンライン方式を含む「集団的防御手段の維持」が浸透していかなければならないのである。しかしそれらは、医療や人々の生活様式だけではなく教育や生産や消費といった社会の在り方を大きく変えてしまうことになる、果ては経済や政治の在り方まで変えてしまうだろう。この「コロナ危機」と同時進行し始めた経済危機と社会的危機の中で起こるだろう変化は、いままでの我々の常識をことごとく塗り替える「新たな日常」を生むことになるかもしれない。

生活様式と習慣の話に戻ると、イタリア人やスペイン人のような地中海民族はお互いの身体に触れ合う文化を持っている。それが新愛と信頼を確認し合う方法だからだ。しかしこの文化はCOVID-19に対して致命的な弱点になる。さらに外履きの靴のまま自宅に入り、食事の前にすら手を洗う習慣を持たない。これでは、病原体を伝播する速度を何十倍にも高めてしまうだろう。必然的に上記のような「社会的距離」「徹底的な消毒」といった行動が必須になるのだが、はたしてスペイン人が、いままで慣れ切った日常を投げ捨ててすんなりと「新たな日常」を獲得できるだろうか。さらに、製造業や建設業などの職場の中で「社会的距離」を保つことが可能なのだろうか。少々疑問だが、いずれにせよ、それができなければ、決定打となるワクチンと効果的な治療薬がよほど早期に作られない限り、いずれ来る第2次攻撃、第3次攻撃が、我々の社会を完全に打ちのめすだろう。

《日本について、ちょっとだけ》

ところで日本では今ごろになってようやく「医療崩壊」が叫ばれているようだ。前回の記事『「戦時体制下」のスペイン その2』にある「《地獄に向かいつつある日本》」で書いたことだが、日本の医療システムは感染症に対してきわめて脆弱な欠陥システムである。というか、「平時」ならそれで十分に通用したわけだが「戦時」には全く対応できず、最初から崩壊するようにできている。どうやらその実態を明らかにされたくない政府はマスコミに「医療崩壊を書くな」と圧力をかけているらしい。しかし日本でも、例えば東京の自衛隊中央病院は感染症に対する十分な知識と技能を持つ人材、防御服などの豊富な装備と設備、一般の患者と感染症患者を分離する優れたシステムを持っており、クルーズ船の患者を治療した際に一人も院内感染者を出さなかった。そういう実例があるのだからそれを全体に広げればよいだけなのだが、なぜか中央官僚と政府はそうしようとしない。

またこのボロボロの国スペインですら、「第2波」「第3波」に対する準備のかたわら、治療薬やワクチンの開発(いまスペイン国立高等科学研究所は開発中のワクチンの動物実験に取り掛かろうとしている)を見据えて、検査を促進して大量のデータを集めようとしている。ところが世界第3の経済大国日本はPCR検査数を増やそうとせず(1000人中1.8人)、検体中の陽性率が異様に高い。どうやら霞が関の中央官僚が検査数を限定しているようだ。近頃やっと民間施設や訓練を受けた歯科医が検査できるようになりつつあるらしいが、疫学的な判断に必要なデータ数を積極的に集めようとしているとは思えない。これでは有効な治療薬の開発にも差し障るし、国産ワクチンの開発など到底望めそうにもない。まあハナから開発する気も無いようだが。

ひょっとすると日本の中央官僚はこの「対コロナ戦争」を最初から本気で「集団免疫獲得」戦術で進めるつもりでいるのかもしれない。それなら、「コロナ対策」の責任者に感染症対策や疫学にド素人の経済再生担当相を据えた理由も、保健所にすべての責任を押し付けて検査を最小限に抑えるやり方を頑強に変えようとしない理由も解るし、それはそれで一つの方法だ。「都市や国の封鎖」よりも経済的な犠牲が小さく立ち直りも早いかもしれない。この2種類の戦術のどちらが正解なのかは、結果を見るまで分からないことだ。

しかし、日本人が集団免疫を獲得する(70%ほどが陽性になる)までには、膨大な人的犠牲を覚悟しなければならないだろう。この戦術をとるスウェーデン(人口は日本の13分の1、面積は1.3倍)は5月5日時点で感染者22721人、死者が2769人になっているのだ。ブラジルのボルソナロ政権や米国のトランプ政権もこの路線に向かおうとしているようだが、人的な犠牲と経済的な犠牲のバランスがどうなるのかは非常に判断が難しいだろう。そのうえ、集団免疫の獲得が本当に有効なのかまだ分かっておらず、ワクチンの開発がいつになるのか不明である以上、これは「賭け」だ。

その「賭け」に勝つ確率を高めるためには、感染や免疫の有無のデータを大量に集めなければならず、犠牲者を無用に増やさないために感染症治療にあたることのできる人員をそろえ、必要な装備・器具の備蓄と量産体制を整え、PCR検査をち密に行って、一般病院・病棟・医院と感染症専門の病院・病棟を厳密に区別し、医療システムを整理する必要がある。ところが日本国内に全くその動きが無いのだ。日本国政府と中央官僚は、あらゆる苦痛を医療と介護の現場に押し付けて、単に「放っとくだけ」を続けている。

私は首をかしげる。こんなことで、もし日本国家の指導者集団が「集団免疫獲得」戦術を採っているというのなら、太平洋戦争で無謀な「賭け」に出て自滅した経験を持ちながら、データと人材、整備されたシステムと豊富な物量が勝敗を決めることを、いっさい学ばなかったことになる。もしそうなら、そんな国家は滅亡するか「ガラパゴス」になる運命しか持たないだろう。

《封鎖解除への4段階》

もう疲れるだけだから我が母国についての話はここまでとしたい。4月28日にペドロ・サンチェス首相は「新たな日常」に至るまでの4段階の非常事態解除を発表した。と言っても、それぞれの段階に明確な期間があるわけではない。それぞれに「最小15日間」という日にちが与えられるのみで、もし最短距離で行けば6月末に「新たな日常」に入ることになる。それは国全体で統一された歩調で進められるわけではなく、スペイン国家を形作る50の「県」ごとに進められるプロセスである。

いま「県」と書いたのはprovinciaの訳だが、これは1933年にブルボン王朝政府によって国土統一のために定められた行政区分である。強力な中央集権主義を進めるブルボン王朝にとって、カタルーニャやバスクといった地理的な概念は意味を為さなかった。例えばカタルーニャ自治州には、バルセロナ、ジローナ、タラゴナ、リェイダの4つのprovinciaがある。フランコ独裁終了後にこの4県からなるカタルーニャ自治州が誕生したのだが、未だに我々が中央政府機関に提出する住所に自治州の欄が存在しない。「スペイン国カタルーニャ州バルセロナ市」ではなく「スペイン国バルセロナ県バルセロナ市」なのだ。手紙でもこれを書かなければならない。

このことはスペイン国家の本質的な在り方がフランコ死後も変わっていない証拠の一つであり、カタルーニャ人やバスク人などにとっては憤慨の対象でしかない。ところがサンチェス政権はこともあろうにこの「県(provincia)」の単位で非常事態解除のプロセスを追っていこうとしているのである。当然、この政府の方針は、内容以前にその点でカタルーニャ州やバスク州から激しい反発を受けており、産業界や野党からも経済復興の面から攻撃されている。しかしそれはさておいて、この4つの段階一つ一つ見ていくことにしたい。

その最初の段階である「フェイズ0(ゼロ)」は、4月26日の年少者たちの散歩の解禁で、すでに始まっている。そして5月4日には14歳以上の市民の散歩、ジョギングなど他者の身体に触れない市民スポーツが解禁された。またプロ・スポーツでも練習場での個人の練習は認められる。さらに、レストランで料理の持ち帰りや配達の業務、理容室などで電話予約で待ち客を無くして行う営業など、いくつかの種類の営業が認められた。そしてその間に一つの県の中で感染者の減少が続けば、5月11日の週から第2段階の「フェイズ1」が始まる。ここでは、高齢者や既往症を持たない少人数の人々の集まりが認められる。また雑貨屋や文房具店、衣料品店などの一般商店が、客数の制限と客同士の距離を保つ条件で開店を認められる。

この「フェイズ1」で問題なのはレストランやバル(喫茶店)で、歩道や広場に置かれた席でのみ営業してよいが、以前の座席の30%までという制限がついている。もちろんこれでは営業が成り立つはずもなく、当然のようにレストラン業界から激しい反発を受け、すぐに50%に変更された。ホテルはラウンジやレストランなどの共有スペースを除いて(つまり部屋での宿泊のみ)開店できる。文化行事やイベントは、屋内なら30人以内、屋外は200人以内で、距離を保つ椅子席でならOK(そんなイベントに来るヤツおるんかいな?)。博物館や美術館も、以前の実績の30%以内の訪問者数と社会的距離を守る形で開けることができる。スポーツは身体を直接に触れ合うものでなければよい。他、限られた人数と十分な距離をとれば宗教行事や通夜・葬式が許される。

各県内で新たなウイルス感染者が順調に減り続ければ15日間で次の「フェイズ2」に移る。ここでは新たに、多数の商店で形作られる商業センター(日本で言えばスーパーに分類されるイオンなどもたぶんこれに当たるだろう)の開店が許されるが、やはり客数とスペースの厳しい制限がある。レストランとバルでは店内での営業が認められるが、これも従来の3分の1までの客数で、席の間隔が十分に保たれる必要がある。夜間の営業とディスコは禁止。映画館と劇場、観光施設と展示会場も、収容人数の3分の1まで。またコンサートは屋内なら座席の3分の1、屋外なら500人まで入れてもよい(行きたくねえよ、そんなコンサート)。宗教行事は座席の半分以内で行える。両親が働く家庭の子供のために学校の教室が開かれ、また大学進学準備の生徒のための教室も再開される。結婚式や個人的な集まりも小規模で健常者なら許される。県内であればセカンドハウスに行くことが許される。(以上の数字は改められる可能性があるが。)

そして最後の「フェイズ3」で、商店やレストランなどでは定員の50%まで客を入れてもよいが、客同士で1.5mの距離が保たれる必要がある。ディスコや深夜のバルを開けてもよいが、客は定員の3分の1以内。また海岸の日光浴は十分に安全な間隔をとって、海辺で人が接近しないように行わねばならない。と、まあ、こうやって、最短でも6月末に「フェイズ3」が終わって「新たな日常」が始まるわけだが、それまでの2か月間は、仕事や親族の不幸などのやむを得ない用事以外では、他の県に入ることができない。セカンドハウスが他の県にある場合にはどちらも同じフェイズ3でないと行くことができない。またもちろん、「新たな日常」が始まっても感染予防の行動を続ける必要があるだろう。

ふむ…、しかし…、これで…、7月までスペインの経済がもつんかいな? 消費が冷え込み、観光客などどこからも来そうにないぞ。少々どころか全く心もとないのだが、ここでは「県単位でのプロセス」が抱える問題点に触れたい。もちろんだが、歴史的な経過もあり、カタルーニャ自治州の与党である独立派政党は一斉に激しく反発している。だがそれ以外に、こちらのカタルーニャの地図とカタルーニャ内でのCOVID19の感染者分布(拡大するにつれ詳しい市町村別になる)を見ても解るとおり、一つの県といっても、人口でも産業・経済でも非常に異なる多くの市町村で成り立っている。バルセロナ市とその周辺のバルセロナ都市圏にはカタルーニャの感染者総数約5万人の大部分がいるのだが、同じバルセロナ県でも周辺部では全く様相が異なる。

例えば、カタルーニャには日本の保健所に対応する保健機関の管轄地区があるが、バルセロナ都市圏には人口1万人当たり80人以上の感染者がいる地区が非常に多く、中には140人を超える地区もある。ところが同じバルセロナ県でも内陸部のソルソナ地区では1万人当たり20人ちょっとになる。そのソルソナの隣にリェイダ県に含まれるアルト・ウルジェイュ・スッ地区があり、ここでは1万人中約23人でソルソナとほぼ同じである。ところが同じリェイダ県の中心都市リェイダでは1万人中約84人だ。さて、同じ県だからといって、バルセロナとソルソナを、リェイダとアルト・ウルジェイュ・スッを同じ扱いにできるのか。またソルソナの人が隣のアルト・ウルジェイュ・スッに行くことが、なぜ危険として禁止されなければならないのか。

こういった実際の細かい地理的な分布とその地の事情まで中央政府が掌握できるわけもない。これらはカタルーニャならカタルーニャ自治州政府の責任で管理すべきものだろう。もちろんカタルーニャ州政府やバスク州政府は、段階的な解除は自治州の権限で行われるべきものだと主張して、痛烈にサンチェス政府を批判している。それは独立運動とは切り離してとらえるべきものだ。他の有力な州政府もまた経済問題を絡めて中央政府への批判を強めており、サンチェスは方針の見直しを迫られるかもしれないのだが、もしあくまでも自治州の権限を無視して中央政府が全てを管理するというのなら、それは恐るべき権威主義的中央集権主義でしかない。

社会労働党とポデモスの左翼連立政権が今年の1月7日であり、このほぼ水と油のような関係の両党派の方針を調整し、同時に各分野の官僚組織に新政権の系統の人員を配置して、ようやく体制が整ったと思ったとたんに勃発したのがこの「対コロナ戦争」である。その意味では同情を禁じ得ないが、この『21世紀の「人民戦線」』がコロナウイルス禍に引き続いて対面しなければならないのは、おそらく1929年に始まった世界大恐慌を上回る規模かもしれない経済危機なのだ。「非常事態=戦時体制」は疫病と経済の両方の面で何年間も続くだろう。ひょっとすると、それを分かっているからこそ、サンチェスは強引ともいえる中央集権主義を打ち出しているのかもしれない。

次回(第4回)は、スペイン内でのコロナがらみの政治問題、深刻化する労働問題と経済問題、国民の生活危機、スペインに重大な影響を与えるEUの危機的状態などを中心に纏めてみたい。

【『「戦時体制下」のスペイン:その3』 ここまで】

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4721:200507〕