このところ、共産党機関紙「赤旗」の論調が少し変わってきたかに見える。2月の初めころは「党攻撃とかく乱の宣言――松竹伸幸氏の言動について」(2月8日)と激しく糾弾し、「日本共産党はこうした攻撃を断固としてはねのけ、前進するものです」と勢いよく宣言していた土井洋彦書記局次長が、2月の終わりになると今度は突然「弁明口調」に転じたのである。といっても、除名した松竹氏に対してではなく、党内外の「一部の識者」に対してである。「政党のあり方と社会のあり方の関係を考える、一部の疑問に答えて」(2月25日)と題する冒頭の一節は、次のような調子で始まっている。
――党の規約を無視した行動で除名された元党員の問題をめぐって、一部の識者から「共産党は自由な社会をめざしているのだから、党内のあり方も自由であるべきではないか」という疑問が寄せられています。日本共産党の発展を願って寄せていただいているものだと思います。そこで、日本共産党のあり方と、党がめざす社会との関係についてのべておきたいと思います。
私は2月24日の拙ブログで、「政党は国民と市民社会の中に存在している、別世界にいるのではない」と書いた。政党がその目的を達成しようとすれば、国民と市民社会の常識や合意を尊重しなければならない。それなくしては幅広い支持を得ることは不可能であり、やがては消滅していく運命をたどる。今回の除名問題は単なる共産党の「内部問題」ではなく、国民や社会の価値観にも共通する問題であり、それに合致した対応が必要だ――との意味である。
多くの識者からも(一部ではなく)同様の意見が上がっているというので、共産党も無視できなくなったのだろう。しかし、土井論文は「疑問に答える」だけの説得力あるものになっていない。以下、土井氏の論理を検討しよう(要約)。
――日本共産党は「民主的な討論をつくし、統一して行動」することを組織原則としています。それを「民主集中制」と呼んでいます。これは特別なものではなく、国民に責任を負う近代政党なら当たり前の原則だと考えています。公党として国民に責任を負うには、民主的な討論とともに、「行動の統一」が必要だということです。そのうえで、あらためて明確にしておきたいのは、「行動の統一」は個々人が自由な意思で加入する政党として、自主的・自律的にとっているルールであって、それを社会に押し付けることは決してないということです。自由な意思で加入する政党と、すべての構成員が生まれながらにして所属する社会とは、その点で性格がまったく異なっています。
――政党のあり方と社会のあり方、とりわけその政党が政権政党になった場合に、その社会がどのような社会になるのかは、もちろん無関係ではありません。民主的な社会をめざす政党ならば、その党内のルールにおいても民主的運営をつらぬくことが求められるのは当然であり、わが党はそのための努力を重ねています。同時に、社会を発展させるためには、政党としての団結したたたかいが必要であり、「行動の統一」が不可欠です。
ここでの問題は、前半では「個人が自由意思で加入する政党とすべての構成員が生まれながらにして所属する社会は性格が全く異なる」ことを強調しながら、後半では「政党のあり方と社会のあり方は無関係でない」と、前後で相矛盾する主張を展開している点にある。しかし、政党はもともと社会を母体にして形成されるものであって、社会と切り離された存在でもなければ別個の存在でもない。それが個人の自由意思に基づく組織であっても個々人が社会の一員である以上、〝母斑〟は色濃く残っているし、消すこともできない。旧ソ連や中国の歴史が示すように、社会と政党は相互規定的な存在であり、社会が後進的状態にあるときは政党もその制約を免れることが難しい。
共産党が「結社の自由」に基づく政治組織であり、「行動の統一」が政党の自主的・自律的ルールであることを強調するのはよいが、それを絶対視すると社会からの批判は「内部干渉」に映り、さらには党への「攻撃」と見なすようになる。民主集中制は、国民に責任を負う近代政党なら「当たり前の原則」だというが、その組織原則が社会の価値観や行動規範からずれているときは、国民から「責任政党」とは見なされなくなる。「結社の自由」は、言論の自由に基づく社会正義を前提にしているのであって、そうでなければ「カルト集団」との区別がつかなくなる。
この点に関して私が思うのは、共産党がめざしている〝統一戦線〟や〝野党共闘〟は、社会が生み出す「団結=行動の統一」の一つの形態である以上、それを発展させるための多様な討論は、政党の組織原則とは何ら矛盾しない――ということだ。土井氏の主張は、「行動の統一」を政党の組織原則・行動原理に限定し、社会と政党の行動様式は異なるものと見なすことが前提になっている。しかし、統一戦線や野党共闘を発展させようとすれば、政党の組織原則すなわち「行動の統一」を柔軟に適用することが求められるし、またそうしなければ統一戦線や野党共闘は成立しない。社会の行動様式と政党の行動原理の境界はあらかじめ確定できるものではなく、その時々の政治情勢に応じて歴史的変化するものと考えなければならないからある。
日本共産党第27回大会決議(2017年1月18日採択)には、次のような一節がある(『前衛』2017年4月臨時増刊号)。
――日本共産党は、2015年9月19日、安保法制=戦争法案の強行採決という事態にさいして、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を提唱し、全国規模での野党の選挙協力の追及という新たな道を踏み出した。この提唱は、「野党は共闘」という多くの市民の声にこたえ、「私たちも変わらなければならない」と思い定めてのものだったが、野党と市民の共闘の発展への貢献になった。わが党が、こうした決断ができた根本には、社会発展のあらゆる段階で、当面する国民の切実な要望にこたえた一致点で、思想・信条の違いをこえた統一戦線によって社会変革をすすめるという、党綱領の生命力がある。
ここには、これまで金科玉条の如く「自共対決」を唱え、政策の一致がなければ野党共闘などあり得ないとしてきた共産党が、「野党は共闘」との市民の声にこたえて「私たちも変わらなければならない」と決断したことが大会決議に記されている。このことは「対決路線」から「共闘路線」へのいわば〝綱領レベル〟の転換である以上、党規約もそれにふさわしい柔軟な性格へ変えなければならないことを意味する。「自共対決」というまるで戦時体制のような方針の下で実施されてきた「民主集中制」を柔軟な組織原則・行動原理に変え、党内における自由かつ多様性のある意見や主張の存在を認め、それらを社会行動の中で実践的に統一していく形に改めることが求められる。意見の相違や異なる主張を「外部=社会」に漏らしてはならないといった「行動の統一」は、政党と社会を分断するものでしかなく、政党の異質性を際立たせるものでしかない。
さはさりながら、志位共産党委員長は依然としてガチガチの発言を繰り返していていっこうに改める気配がない。2月27日の「赤旗」は(紙面全体が縮小されているにもかかわらず)、全紙を使って前日のBSテレ東番組「日曜サロン」における芹川日経論説フェローとの一問一答を大々的に掲載した。その中で「日本共産党の指導体制と指導部の選出方法について」の質問には次のように答えている(抜粋)。
――かりに直接選挙で党首を選ぶということになりますと、党首に相当権限が集中しますよね。党首がたとえば幹事長あるいは幹部を任命しますよね。そういう力が非常に集中するわけですけど、そういうやり方が、私たちは必ずしも民主的だとは思っていません。直接選挙で党首を選ぶということになれば、多数派を形成するために派閥ができてきます。私たちは、政党として民主的な討論をつくして方針は決めますけれども、いったい決まったらみんなで実行する。つまり行動を統一する。これは国民に対する責任だと考えております。
このやり取りを読んだ何人かに感想を聞いてみたが、全員から「よくいうよ!」「絶句した!」との回答が返ってきた。民主集中制に基づく「行動の統一」で全党の権限が集中している志位委員長が、あろうことか党首公選制が権限集中をもたらすという倒錯した主張を堂々と述べていたからである。政治家を直接選挙で選出することではじめて近代政治が成立したことを思えば、その担い手である近代政党が党首公選制を否定することなどあり得ない。志位委員長が頑張れば頑張るほど、共産党は「社会のあり方」からますます遠ざかり、「国民の党」「責任政党」とは見なされなくなっていくこと間違いなしだ。
共産党に対するこうした見方は、指導部選出にかかわる前近代的体質からも裏付けられる。一般社会では一部の事例を除いて、民間企業であれ公共団体であれ幹部の「任期制」と「定年制」があまねく普及している。ところが、共産党には役員の任期も定年もなく、「革命には経験に富んだ幹部が必要」との(屁)理屈で90歳を越える古参幹部がいまなお指導部に居座り続けている。組織のマンネリ化を防ぎ、新陳代謝を促進し、活性化を図るためには必要不可欠な「任期制」「定年制」の組織原則が共産党では通用しないのである。これでは共産党のいう「政党のあり方」はますます「社会のあり方」から乖離していく。
結論的にいえば、今回の除名問題は、民主集中制という〝古い器〟に野党共闘という〝新しい酒〟を盛ろうとしたことから生じたものであって、単に党員個人の「反乱」といった単純な問題ではないのである。これを「行動の統一」などといった一片の規約問題に矮小化し、それで乗り切れると思っているところに前近代的体質が赤裸々に露呈している。改めるべきは〝古い器〟の方であって〝新しい酒〟ではないのである。
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