「政治とカネ」論議は無駄 「日本の軍拡」(に反対すること)こそ目下の課題

 野党もマスコミも、連日自民党の「政治とカネ」を追及しています。だが、いくら追及しても、無駄です。何も変わらない。政治に金がかかるのは、当たり前です。肝心のテーマから国民の目を背(そむ)けさせるための「目くらまし」かもしれない。
 いま追及すべきは、日本の軍拡です。
 殺傷能力のある軍需の輸出が閣議決定で進められようとしています―戦闘機の日英伊共同開発。
 これに対して、公明党が異議を唱えています(野党は沈黙)。
 バイデンに言われて岸田政権が二つ返事で請け負った「防衛費倍増」―国会での野党の追及は、「役に立たない旧式兵器を買わされる」と、ずれています。それさえ、あとが続かない。
 国際政治での日本の立ち位置は、戦後最大の転機を迎えています。
 日本だけではない、ウクライナとイスラエルの二つの戦争が立て続けに起きた今日、国際政治そのものが、大国の覇権争いのさらなるエスカレーションか、大国の覇権争いの解消か、の岐路に立っています。
 衰退するアメリカは、日本を対中国包囲体制の要にしようとしています。そのために、自衛隊を米軍の指揮下に組み込もうとしています。
 20年前は、アメリカは自衛隊をまともに相手にしなかった。無制限に使える米軍基地が「日米安保条約体制」の実態だった。今は違う。自衛隊に「敵基地攻撃能力」をもたせ、自衛艦を空母化し、太平洋諸国の「防衛」を自衛艦が引き受けさせる。
 日本を非武装化して「平和憲法」をある意味で「押し付けた」のはアメリカ占領軍でしたが、いまは、「米軍の指揮下に入る日本の軍事化」を対中国戦略の要にしています。
 
 「非武装中立」は、「左翼」も「リベラル」も語らなくなった。
 「自らを守る軍事力があってこそ一人前の主権国家」であり、これこそが「リアリズム」だ、この「リアリズム」を否定するのは「平和ボケの理想主義」とされる。
 果たしてそうでしょうか?
 「非武装中立」―今日風に言い換えれば「非同盟」こそが大国の際限のない武力覇権競争を終わらせる「リアリズム」です。
 再言すれば、ウクライナとイスラエルの二つの戦争が国際政治における「非同盟」の潮流を生み出し、これが19世紀末以来続く「英のち米」対「独のちソ」による世界の軍事覇権闘争に終止符を打つ世界史的局面を生み出しています。
 日本は、経済大国にして唯一「武力行使を対外問題の解決手段として行使しない」「戦争放棄・戦力不保持」を憲法に謳う国家です。
 「暴力には暴力を」「武力には武力を」ではなく「暴力には非暴力の抵抗を」「武力には武力非保持を」を対置することこそが、いまや対外戦略の「リアリズム」になっていると考えます。
 
 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion13559:240216〕