コロナの時代、相変わらず「児童虐待」のニュースも途切れず、さらに、小学校・中学校の子どもたちや「女性」の自殺が増えているという胸の痛くなるニュースも飛び込んでくる。詳細はまだ分からないが、せめてコロナが、春の訪れとともに少しずつでも落ち着いてくれればいい、と今はひたすら願っている。
古谷経衡氏の『毒親と絶縁する』を読んだのは、2カ月前の12月の初め頃だった。日本社会の「家族」・「結婚」や「母」のあり様を考えているため、思わず手にした本である。しかし、「毒親」という命名にショックを受け、その命名に違わぬ内容に唖然として、しばしこの本から遠ざかっていた。
だが、著者古谷氏が「この書は、私が実の両親への恨み節を赤裸々に書くものではない」と切々と書いていた一節が思い出されて、もう一度その箇所を確かめてみた。
― 「教育虐待」という子供に対して「教育」(実際には受験競争での勝利というただそれだけの意味)という美辞麗句を用いれば、どんな加虐も正当化されるという、保護者の一部に存在する普遍的な闇を世間に知らしめるべく筆を執りたいと思った(p.⒗)。
さらに、こう付け加えてもいる。
― 教育虐待によって理不尽に精神を病み、不幸のどん底に叩き落され、その後遺症で二〇代になっても、三〇代になっても(あるいはそれ以上)その苦しみを言葉で表現して公論に問えない者のほうが多いだろう。まさに教育虐待による沈黙の被害が、この国には多く存在すると私は思う。そういった無辜の被害者の言葉を、心の叫びを、微力ながら私は、筆の力で代弁したいと思った(p.⒚)。
この箇所を読んで、改めて紹介しようと思ったのだった。
古谷氏の「教育虐待」の経緯
彼の父親は1947年生まれ、まさに戦後の「団塊の世代」ど真ん中の人である。その父のさらに両親(父方の祖父母)は満州の「軍属」であったらしい。戦後復員して、夕張市で暮らす。男の子4人。祖父よりも熱心だった祖母の功が奏したのか、その内3人が4年生国立大学に入学。次男だった彼の父親は帯広畜産大学に入学し獣医師免許を取得して、さらにその後札幌医科大学院に編入、修士・博士課程を修了する。だが、獣医師免許を持ちつつ開業医にはならず、研究職として地方公務員となったのだそうだ。
ところが、彼の長兄(古谷氏の伯父)は高校からストレートで北大理学部に合格。一方、北海道の地方公務員世界では「北大以外は大学ではない?!」世界。これらのことから彼の父親は「北大コンプレックス」の塊になってしまったようだ。因みに妻(古谷氏の母)は大学事務部に勤めていて出会い=結婚に至ったそうである。
さて、古谷氏の話を進めよう。
上記の背景があったためなのか、古谷氏は、幼稚園の頃から「高校は札幌西校」そして「北大入学」と父親に将来設計が敷かれていた。しかも彼の中学時代、札幌西高の学区内に早々と長期ローンを組んでマンションを購入し、家族全員で引っ越している。
ところが、古谷氏は中学の学校の勉強はほどほどに、気に入った映画、アニメや文学にのめり込んで行った。歴史学や文学にも手を延ばしたそうだ。当然、学校の成績は芳しくはない。それを見た父親は、顔を見ると「ゴミ!」「クズ!」「低能!」と面罵して、「これまで我々がお前にかけた費用(塾代、生活費、飲食代、小遣いなどもろもろ)を返せ!」と言い募り、「お前に投資したカネを返せ!」と怒鳴り続けた。
古谷氏はこのような父親の対応に無意識的に自己防御したのか、中学2年生の時点で「諦観」の境地に立ち至ったのだそうだ。1996年、「一切の会話を拒否して自分の精神世界に引きこもった」という。だが、この古谷氏の子どもながらの窮余の策も、父親にとってはさらに苛立たしいものだったろう。母親は息子・古谷氏との関係もあったのだろうが、ストレスからくる「潰瘍性大腸炎」に罹患し、当時の病院ではさっぱり埒もあかず、最後にはノイローゼも発症し、日蓮系のA宗団に入会してしまった。
とはいえ、古谷氏は、高校受験の前は、そこそこ受験勉強もし、父親の希望した札幌西高ではなかったけれど、それなりの中堅校に入学した。父親の失望は火を見るより明らかではあるが、しかし、その高校で上位5%の成績をとれば、北大も無理ではないと分かって以来、少し罵声も少なくなったとか。
ところが、中堅校で「上位5%」の成績を占めるということがどれほどの「絵に描いた餅」であることか。しかも古谷氏は中学時代からのめり込んでいた精神世界(カルチャー)にさらに深入りし、高校1年の最初の定期テストでは、1学年400人中386位、2回目の定期テストでも400人中389位という結果だった(ただし、社会と国語は最高評価だった)。そこから再び、父親のさらに酷くなる叱正・罵声が深夜に繰り返されることになる。
母親の虐待
父親自らの「北大コンプレックス」「小心者?ゆえの内弁慶」からくる息子への虐待に対して、母親がどのように振る舞うのか・・・ここでも、父親と息子の間に入って宥めるだの止めさせるだの、というある意味で「自立した母親」は稀有なようだ。大半は父親に同調して息子への虐待をさらに酷くしてしまう。
古谷氏の母親も、自分自身精神性の「潰瘍性胃腸炎」になりながら、「お前のせいで腸から血が出る」「お前のせいで私は死ぬ」と言い募る。中学時代は、実際に古谷氏をベッドに押しつけて彼の左耳を強く殴打し、結果として「左の鼓膜破裂」を起こさせてもいる。だが、高校時代になると、口をきかない=無視=ネグレクトとなる。これも古谷氏にとってはきつい。
また、高校に持参する弁当に「ゴミを入れたり」、冬のシャワーの時、わざとガスの元栓を閉じてしまって(「家計費の節約のため」とも言いながら)、冷水を浴びせたりすることもあった。さらに、古谷氏の部屋のゴミ箱のゴミを点検して、自慰行為の痕跡を摘発までしたのだと。その上、部屋のドアを蝶番ごと取り外して、薄い布を一枚垂らし、リビングから父親、母親の二人して、息子の一挙手一投足を監視できる「代用監獄」を作り上げもした。
これらをすべて「諦観」するとはいえ、体も心も正直だ。古谷氏は高校1年の終り(1998年12月)、いきなり「パニック障害」を起こしてしまう。
・・・それからは、この「パニック障害」を抱えながら最終的には京都の立命館大学に入学し、かなり年齢を重ねた後、ついに親がつけてくれた名前を、わざわざ平安時代の藤原経衡と同じ名前に変えることまでして、古谷氏は、この親たちと実質的に「絶縁する」(戸籍は変えられない)に至るのである。
少々長々しい紹介になってしまったが、この古谷氏の事例は、単に家庭内だけのはなしではないのだろう。日本の社会では、企業と学校が密接に影響し合い、それゆえに、家庭も又、それら二者と同じような価値観をもって関わり合っているのだろう。
官庁・公務員の世界や大企業の多くには、いまなお学歴主義が根を張っている。そこが生きる世界である限り、強者であれ、弱者であれ、男性の多くはこの学歴主義に取り込まれてしまう。一方、結婚して「子育て担当」となる女性たちの多くも、自分自身の唯一の社会的評価のために、子どもの偏差値・学力に一喜一憂するのかもしれない。
企業社会の内部、学校、そして家庭の内実・・・これら三者のトライアングル。三者が巧妙に絡み合っているからこそ強力である。さて、どのようにほぐしていけるのだろうか。コロナの時代を経験してもなお、この課題は厄介であろう。
最後に、もう一度古谷氏の言葉を挙げよう。
― 子供は、生まれ出る家庭を選ぶことはできない。が、精神的にも肉体的にも保護者から虐待を受けない権利を、これまた生れ出ると同時に持っているのだ。これは絶対に守られなければならない(p.⒙)。
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