「日本会議」から見える日本社会の崩壊現象 (3) 

9/30,10/7(https://chikyuza.net/archives/77092)  (https://chikyuza.net/archives/77242) よりの続き

序論

3.「日本会議」的発想の淵源は国内の不安要因にある

既にみたように、日本の産業の再編成は、もはやどうにもならないところまで追い込まれているように思える。例えば原発の建設費も膨大なものなら、その廃炉のための費用も同じくらい莫大なものである。しかも企業にとって廃炉は生産に結びつかない全くの「無駄金」でしかないため、企業としてはできるだけ先延ばしにして避けたいというのが本音である。重化学工業生産のために作った巨大な設備も同様である。切り替え再編成にはとてつもない費用がかかるのであるが、それをまかなっていくだけの資金の余力がどこかの企業にあるだろうか。
なるべくならこの巨大な設備をそのまま残し、何とか使い続けることはできないかと企業側は考えているわけである。ロボット(無人)工場化などの方策で乗り越えようとしても、中国や韓国の後発工場が採用する近代的工場の効率にはかなわない。その上、向こうには安価な労働力がある。とても競争にならない(家電などはその例)。
結局は、途上国に工場を建設し、現地の安い労働力を使うか、あるいは多くのアメリカの大企業(自動車、電機など)が既にそうであるように、「投資会社」として生きていくかしかない(例えば、デヴィッド・ハーヴェイ著『資本の〈謎〉』作品社を参照)。
当然、国内には「産業の空洞化」が起きるし、失業者は増大する。また、低賃金と劣悪労働条件によりコスト節減を図ろうとするため、非正規労働者の割合が増大し、それと共に格差も増大する。更にそれは、正規労働者の労働条件の切り下げにもつながり、無理な長時間労働の押し付けや責任労働制(ノルマ制)の実施などで、自殺者を出し、社会問題化するほどになっている。
このように労働現場や庶民の生活において、特に若年齢層にあって、状況は今や将来を見通せない「不安材料のスパイラル」と化している。「希望は戦争」というニヒリズムが生み出される基盤が社会のうちに次第に厚く醸成されているのである。
目を転じて、労働運動の現状を眺めてみればおわかりのように、「労働者の権利を守るための労働組合」という「うたい文句」は、今や全くの「から文句」でしかないことは、誰の目にも明らかである。むしろ一般労働者を犠牲に供して(つまり「残業代ゼロ」や「原発再稼働賛成」などで、また職場労務管理の急先鋒を務めるなどして企業への積極貢献をし)、組合幹部が立身出世を遂げる足掛かりのために存在するにすぎなくなっているのである。かつての「労使協調」から、今や「労使一体」へ(実はこれも、「企業ファースト」として、「日本ファースト」と同じレベルに立つものである)と質的変貌を遂げたといっても良いのではなかろうか。
「希望なき時代」「虚無の時代」とは、社会的活力の喪失の時代ということと同義である。
言い換えれば、今まで曲がりなりにこの社会をリードしてきた支配層が、ここにきてその能力の無さをさらけ出し、虚しいスローガンを並べ立て、危機感ばかりを煽り、その実ひたすら自己保身に血道をあげる下劣な本性をむき出しにしてきたともいえる。
その意味で今日の「危機」とは、既成の支配者階級がその能力を失い、その結果、社会的混乱を招き、体制維持が甚だ難しくなったということに他ならない。
繰り返すようだが、逼塞状態に陥った日本資本主義の唯一の活路は、「平和憲法」を捨て、古い巨大な重化学工業設備を利用して、国内「軍需産業」を強力に育成し、武器の製造と輸出、また自ら軍事国家化する方向に邁進するということである。そのために軍事予算の大幅アップが要請されている(「防衛省は2018年度予算の概算要求で、米軍再編関連経費を含め過去最大の5兆2551億円(17年度当初予算比2.5%増)を計上する方針を固めた」とメディアは伝えている)。
また、巨額の資金(税金も含まれる)を費やして作り上げた原発は、何とか海外に販路を広げなければ身動きの取れない状態にまで追い詰められている。そのためにも、国内での安全宣言と再稼働はどんな犠牲を払ってでも実施したいというのが彼らの本音であろう。
しかし、実際にはこうした方向へのシフトの切り替えは、日本だけではなく、米国も、EUの主な国々も、ロシアでも既に行われているのであり、中国も交えての軍需・軍備競争という名の経済戦争は今後ますます熾烈になってくることは十分予測し得る。
そして彼らが虎視眈々と狙う新しい貿易市場は、地域戦争への介入や途上国への直接投資などによって拡大される。国際的なテロ組織と呼ばれているISは、一方での掃討作戦にもかかわらず、その裏でサウジアラビアからの資金援助(その背後にはアメリカの影が見え隠れする)も行われているとの見方は、今や広く世界の常識として流布している。地域戦争の継続と利用こそが、行き詰まった国内経済打開の唯一の道と考えられているのである。軍需・軍備競争とは、絶えず地域戦争を起こし、それを利用する以外に存在しえない(そうでないと、武器生産の意味がなくなるではないか)。
情勢はこのように極めて複雑怪奇な様相を呈しながら展開し、矛盾を一層深め、奈落への道を一気に駆け落ちる結果につながっている。
そしてこれに大いに棹さそうというのが「日本会議」に象徴される一派の考え方である(小池百合子の「都民ファースト」、橋下徹たちの「維新の会」などもその同類)。
彼らは一様に危機感を煽る。「中国が尖閣諸島に攻めて来る」「北朝鮮がミサイルで狙っている」「ロシアが北方領土を完全に自国領土としようとしている」「韓国が竹島を自分の領土としようとしている」…云々。
こういう「国難」を煽るやり方は、「大東亜共栄圏構想」を唱えた時代と変わらないし、ナチの「北方への進軍」とも同じである。
ここからは少なくとも二つの意味が読み取れる。一つは、「国際競争に勝利せんがためにこそ今は大同団結してことに当たる必要があるのだ」という「民族的大団結」論であり、そこから更に、「今や階級対立だの、貧富の格差だのというべき時代ではない」といった形での国内矛盾の隠蔽と左翼的大衆運動の排除(左翼的大衆運動は「民族的な団結を分断しようとしている」と看做される)が出て来る。
実際に「日本会議」の基本方針を眺めてみれば、彼らが何を考えているかが判る。
彼らの考えは、第一に「万世一系の天皇を奉じて、日本民族の民族的団結を確立すること」(「皇国史観」の再上程と憲法改定)、第二は日本固有の領土の死守(尖閣、竹島、北方四島)、そして第三番目は何と「日米安保体制」の維持強化(法制化)である。
不思議なことに、彼らは沖縄の米軍は自国領土を侵害しているとは看做さないのである。
そしてこの第三番目のところが、結局は対米追随でしかないのではないかとの批判(対米従属論)につながっている。
しかし、先ほどの議論を振り返ってみればわかるように、日本の進路はあくまで既存の重化学工業設備を使い続けながら「軍需・軍事」部門へと歩を進めることであるとすれば、米国との二人三脚は国益にかない有利であると、彼らが考えているらしいことはおおよそ推察できる。というのは今、世界で地域戦争をリードしているのは、ほかならぬアメリカを置いて他にないからだ。
その際、絶対的な自立か相対的自立かは問題にならない、何故なら先述したように、中国と米国ですら相互に寄り添いながら進んでいるではないか。これが日本の政・官・財、および「日本会議」の考え方ではないだろうか(この問題については本論の方で更に検討してみたいと思う)。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion7044:171021〕