「柳田法相が辞任―自民は問責連発で追い討ちか」

著者: 瀬戸栄一 せとえいいち : 政治ジャーナリスト
タグ: ,

国会答弁をめぐり失言した柳田稔法相が11月22日朝、首相官邸で菅直人首相に辞表を提出、受理されて辞任した。14日に地元広島で問題発言をしてから1週間かけての辞任である。菅首相はじめ民主党幹部は補正予算の早期成立を優先し、自民党など野党が参院に問責決議案を提出―可決するより前に柳田氏が自発的に辞任した形をとった。野党側が仙石由人官房長官や馬渕澄夫国土交通相らに問責決議の追い討ちを掛けるのを避けることを最優先。いったんは辞任に抵抗した柳田法相を説き伏せて自発的辞任に追い込んだ格好だ。
 そのいきさつを見れば実質的な更迭である。菅首相は直ちに仙石由人官房長官に法相を兼任させることを決めたが、自民党の逢沢一郎国対委員長は22日、早くも仙石長官、馬渕国交相らに対する問責決議案の提出方針を表明した。休日の23日を挟んで24日に与党側が補正予算案の採決―成立に踏み切るより前に提出する構えだ。
 もしそうなれば、問責ドミノを回避する目的で柳田法相を辞任させたのに、見通しがはずれ、補正可決前に「ドミノ」が起きることになる。支持率が急低落中の菅首相は一層窮地に追い込まれる。それでも柳田法相を更迭せずに抱え込んだまま、12月3日の会期末を迎えて会期延長してでも補正成立を図るという「冒険主義」を避けたのは、菅内閣そのものが求心力を失い中央突破を図る力もエネルギーも失っているからだ。
 1998年に当時の額賀福志郎防衛庁長官が問責決議を可決され、そのままポストに止まろうとしたものの、野党側は額賀長官が出席する委員会や本会議への出席を拒否し、結局、額賀氏は辞任に追い込まれた。それ以来、参院での個別閣僚に対し過半数以上を持つ野党が問責決議を提出―可決すれば、当該の閣僚は辞任せざるを得ない、との慣行が参院で固まった。
 この慣行を「破った」のが後の福田康夫首相で、多数を握る民主党など野党が福田首相問責を可決したのにこれを無視して首相を続投した。それでも半年足らずの後、福田首相は政権を投げ出した。問責が直接効力を発揮しなくても、参院での野党過半数という「ねじれ」の威力は圧倒的で、実質的には問責可決に屈したのである。

 ▽内閣支持率の旧低落
 こっけいなのは、昨年8月30日の衆院選圧勝で政権の座に就いた民主党が、仮に柳田問責を可決されても辞任させずに頑張り通す、という戦術でいったん乗り切ろうとしたことだ。自分たちが野党のときに福田康夫首相が問責を無視した前例を持ち出し「柳田法相が問責決議を可決されても続投は可能だ」と言い出した。このとき問責を提出―可決した野党の中心は民主党であり、額賀長官が辞任した先例を武器にさんざん福田首相退陣を叫んだものだ。
 ところが、鳩山由紀夫前首相と小沢一郎元幹事長のダブル辞任(6月2日)の直後、後継首相の座に素早く飛び乗った菅首相は、慌てて生煮えで持ち出した消費税引き上げ問題に足を掬われて7月11日参院選で大敗し、参院での与党少数への転落という痛手を被った。その直後に党内規約に沿って行なわれた代表選で小沢一郎氏に大勝し、参院19議席の公明党が協力してくれさえすれば「ねじれ」国会を乗り切って行ける、との光明にすがった。
 小沢氏に代表選で勝ち、しかも60%強の高い支持率を回復できたのは、重要人事を中心に「脱小沢色」を貫いたのが国民受けしたからである。ところが外交面での失敗続出で菅内閣支持率は20%台後半から30%台前半へと急落した。
 
 ▽固い小沢氏の国会説明拒否
 おまけに検察審査会が二度目の意見表明でも「小沢氏を起訴すべし」との結論を出し、小沢氏を起訴―公判開始の鉄格子の中に閉じ込めておくことが可能になった。事実、小沢氏は政治の表舞台から姿を消し、菅首相が政権運営をスムーズに進める環境が整ったかに思われた。自民党など野党、世論調査の傾向、マスコミの集中砲火の標的は小沢氏に向いている。
 ところが、小沢氏は岡田克也幹事長が直接説得しても、証人喚問はおろか政治倫理審査会に出席することを全面拒否したままである。岡田氏と会談することさえはねつけ、岡田氏は珍しく衆院本会議の席に就いた小沢氏に背後から話しかけてようやく30分間の会談に持ち込んだ。当然、自ら説得に臨むべき菅首相は「会談拒否」を恐れて、岡田幹事長に任せっぱなしである。
 
 ▽姑息な対中国政策
 そうこうするうちに中国の漁船が日本の海上保安本部巡視船に二度にわたり頭からぶちかますという、尖閣諸島近海の事件が起きた。明らかに中国の国力急拡大と、沖縄普天間飛行場をめぐる日米摩擦という、二つを動機に日本の菅政権の対応力をテストする中国独特の嫌がらせと荒業であった。国内の格差への不満増大もある。
 事件発生は9月7日。民主党代表選挙がたけなわの時期であった。菅首相、仙石官房長官は「柳腰」路線を選択した。船長を逮捕―拘留しながらも、予想以上に中国が強面路線に出てくると、直ちに船長を釈放。衝突事件の重要証拠となるビデオ映像も封印し、数時間分をわずか7分弱に編集したものを関係議員にだけ見せるという姑息な手法を採用した。
 
 ▽「法と証拠」発言飛び出す
 おまけに船長逮捕や釈放―帰国許可など、すべての判断に首相官邸や政治家は介入しておらず、決断は那覇地検と海上保安部が行なったというだれもが信じない虚構で突っ張り通そうとした。ここからさまざまな自縄自縛が起きた。柳田法相の答弁はその副産物である。
 再三、国会答弁を強いられた柳田法相。11月14日に広島入りした柳田氏は地元の支持者に囲まれて気が緩んだのか、常識では考えられない失言をした。それを要約すれば次の通りだ。
 「私はこの20年近い間、実は法務関係は一回も触れたことがない。触れたことがない私が法相なので、多くの皆さんから激励と心配をいただいた。ちなみに法相はほとんどテレビに出ることがない。務まるかなと思った。法相はいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておけばいいんですから。個別の事案についてはお答えを差し控えます。これはいい文句ですよ。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。だいぶ(この答弁で)切り抜けてまいりましたけど、実際のはなし、しゃべれない。あとは法と証拠に基づいて適切にやっております。まあ何回使ったことか。使うたびに野党から攻められる。政治家としての答えがないじゃないかとさんざん怒られている。ただ、法相が法をおかしてしゃべることはできないというのは当たり前の話しです。法を守って私は答弁していますと言ったら、そんな答弁はけしからん、政治家だからもっとしゃべれ、といわれる。そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない」―。
 
 ▽ネット流出で答弁急増
 事実、衝突現場のビデオ映像がインターネットを通じて流出すると、柳田法相の答弁機会は急増した。広島でしゃべったとおり、テレビ中継で見る柳田法相は「法と証拠に基づいて適切に」を何度も繰り返し、具体的な事件については「個別事案については答えを控える」という、二つの柱を判で押したように繰り返した。
 国会軽視と決め付けるほどの重みはない。旧民社党から民主党入りした柳田氏が地味な存在であり、法律マタ―とおよそ関係がない政治家であることは答弁を一言聞いただけで分かった。
 
 ▽「暴力装置」発言狙う
 問題は、菅内閣の大黒柱を自認する仙石官房長官の「ある種の暴力装置である自衛隊」答弁である。「暴力装置」とは昔の左翼用語であり、現場の自衛隊員を傷つけるものだ。自民党は飛びついた。
 仙石長官の首を問責決議案で取れば菅内閣はひとたまりもない。その突破口として柳田法相を辞任に追い込む、自民党など野党が「問責ドミノ」で狙う戦術だ。事実、先週末の予算委では数人の閣僚が自分の不用意な発言を謝罪し、反省の弁を述べた。
 ドミノを警戒するあまり、柳田辞任の結論を出すまでに菅首相、仙石官房長官、岡田幹事長らは21日の深夜までかけて対応を協議した。柳田辞任で決着させたのは、仙石長官にまで野党の攻撃の矢は届かないとの情報を得たからか、それとも公明党の協力意思を確認できたからなのか、自民党に解散―総選挙に応じる準備が整っていないからなのか。
 政局勘に自信を持つ小沢一郎氏は側近の若手議員に対し「選挙準備」を指示する発言をし、菅内閣の反応を探った。果たして、支持率20―30%台に喘ぐ菅首相が、小沢氏のいう「やぶれかぶれ解散」になだれ込む勇気とエネルギーを持っているのだろうか。(了)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1096:101122〕