『ポトナム』1月号に歌壇時評を書きました。「歌壇」には疎いので、若い同人の書き手にバトンタッチしたいです。

読みづらいようでしたら、下記をどうぞ。
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歌壇時評
昨年は、『短歌研究』と『現代短歌』の発行、編集に変化がみられた。朝日新聞社やNHKのカルチャーセンターのいくつかの短歌教室の閉鎖、センター自体の撤退の報もあった。
その一方で、「短歌ブーム」は続いている。「ブーム」というより、とくに若者の間では、自己表現、自己実現の手段の一つとして定着して来たのではないか。
昨一一月号本誌の「歌壇時評」は宮崎哲生さんが指導する光陵高校の実践を踏まえて、高校生の短歌コンクールについて評されている。全国高校生短歌大会は「短歌甲子園」とも呼ばれ、啄木にちなみ盛岡市主催で二〇〇六年から開催されている。準決勝まで進んだ光陵高校の「バス停で進路用紙を握ってる/走れと諭すように/夕立」(題「走」柳原萌々子)が朝日新聞の「天声人語」(二〇二五年八月一九日)に紹介されていた。二〇一一年から日向市主催で開催されている「牧水・短歌甲子園」と二つの「甲子園」については『歌壇』(二〇二五年一一月号)でも詳しく報告されている。「高校生萬葉バトル」は、高岡市主催で二〇一五年から、同じ年に、大学短歌連盟主催、角川『短歌』の後援で「大学短歌バトル」もスタートしている。競い方は様々だが、こうしたコンクールで入選、活躍した学生の中から、個性的な歌人が生まれている。さかのぼれば、東洋大学開催の「学生百人一首」が始まったのが一九八八年、応募歌数は年々増加し、二〇二二年には七万八〇〇〇余首を記録している。
俵万智の『サラダ記念日』の出版が一九八七年、口語短歌の普及により、短歌の作り手も読者も増え、学生対象の「コンクール」が若者と短歌の親密性を高めたと言えよう。
また、「新聞歌壇」の入選をきっかけに、その選者の結社に入会するというケースは、今の若い人たちにも意外と多いのに気づかされる。結社で学ぶというよりは、根拠地が欲しいのかもしれない。対面での歌会への参加も魅力らしい。
なお、それ以上に「短歌ブーム」を支えているのはインターネットの普及であり、これまでとは異なる風景が見えて来る。SNSによる短歌の投稿や意見交換の気軽さを体験すれば、結社に入会し、会費を払うこともなく、選者や同人たちに気を遣うこともない。歌数の制限もなく、作歌や交流を楽しむことができる。メディアや著名歌人の目に留まり、短歌総合誌のみならず、マス・メディアからも声がかかる。後先はあっても何かの賞を取ったりして、出版された歌集が、ベストセラーになり、有名になれるかもしれないのである。
ただ、そんな中で様々な可能性を持って浮遊する短歌が、言葉遊びやつぶやき、片言にも思える短歌や仲間内でしか分らないミームを頻用したり、エピグラムや衒学的にも思える言葉を散らしたりする短歌が本流になってしまわないかと不安でもある。短歌との出会いとその先はもっと自由なはずである。(『ポトナム』2026年1月)
初出:「内野光子のブログ」2026.1.2より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2026/01/post-eea255.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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