「歴史的転換点」の東京都知事選 -最大の争点は原発問題だ-

著者: 岩垂 弘 いわだれひろし : ジャーナリスト
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 東京都知事選が最終局面を迎えたが、東京都内を歩いても都民の「代表」を選ぶ選挙らしい活気が感じられない。「都知事選なんてあるのか」といった感じさえする。なんとも低調だ。これも、一つには、新聞、メディアの報道の仕方に原因があるのではないか。今回も、例によって例のごとき従来通りの報道で、そのことが選挙の争点をぼかし、有権者の関心をそぐ結果になっている。そう思えてならない。

 長い間、選挙報道を見てきたが、そこにはメディアの習性がみてとれる。その一つは、国や自治体がかかえている課題を列挙して、各候補者がそれに対してどんな解決策(政策)をもっているかを紹介するという紙面作り、番組づくりである。こんな課題が山積している、各候補者はこれに対してこう言っている、有権者はそれを見たうえでだれに投票するかを判断を、というわけだ。一見、極めて公平な客観報道にみえるが、あれもある、これもあるという並列的な課題列挙では、今、何が喫緊の課題なのか、何が今最も重要な課題なのかといった視点が拡散してしまう。かくして、選挙の争点はあいまいとなり、有権者の関心は盛り上がらない。

 今回の都知事選でも、こうしたパターンが繰り返されていると思えてならない。総体的に見て、新聞・テレビは「東京都ではこんな課題が解決を迫られている」として、東京オリンピック、福祉、高齢者、防災、エネルギーなどの諸課題を並列的に並べ、候補者にその解決策を迫っている。もちろん、東京都が多くの課題をかかえているのは当然のことであって、そんなことはだれにでも分かる。が、メディアは、いくたの課題の中で今、何が喫緊の課題なのか、今、最も重要な課題なのかという問題提起はしない。つまり、積極的な争点づくりには深入りしない。これでは、都知事選の争点は浮き彫りにならないというものだ。
 なかには、ひどいなあと思わせられる選挙報道がよくある。選挙中、争点をきわだたせる報道をしなかったのに、選挙後、「争点がなかった選挙だった」とか「争点ボケの選挙だった」とか論評する新聞・テレビだ。

 そんな中、私の目を引いた記事があった。2月3日付の毎日新聞夕刊2面に掲載された「東京、そして この国はどこへ行こうとしているのか」と題する特集で、そこには「首都・東京の新たなリーダー選びは、東京とこの国の未来にどんな意味を持つのか。3回にわたって考えます」とあった。いわば都知事選がらみの企画記事で、初回のこの日は、ドイツ文学者の池内紀氏を登場させていた。
 記事の見出しは、大きな活字で「歴史的転換期の自覚を」の一本。その中で、池内氏はこう語っていた。
 「この国は岐路に立っている。原発と決別して新たな道を歩むのか、それとも原発再稼働を認める現状維持路線でいくのか――。重い選択を迫られている都民は棄権してはいけない」「歴史を振り返った時、今回の都知事選が転換期になるかもしれない」と。

 都知事選は、日本がこれから「脱原発」の道を歩むことになるのか、それとも「原発再稼働」の道を歩むことになるのかの転換点になる、というのだ。私もそのような見方をしていただけに、池内氏のこうした都知事選の位置づけに共感を覚えた。
 まさに都知事選こそ歴史的な分岐換点で、原発容認の候補が勝利すれば、安倍政権と電力業界は一気に「再稼働」に舵をきるだろう。逆に、脱原発派の候補が勝てば、脱原発運動は勢いを増すだろう。都知事選が今後の政治に与える影響は極めて大きい。
 都知事選の結果は、世界からも注目されている。なぜなら、3・11東電福島第1原発事故から3年を経た日本が、これから「脱原発」に向かうのか、それとも「原発推進」に向かうのかを注視しているからだ。東京都民に課された責任は重い。
  
 朝日新聞社が1月25、26両日に実施した全国世論調査によれば、現在停止中の原発の運転再開には「賛成」31%、「反対」56%だった。国民の多数は脱原発派なのだ。
 それだけに、都知事選で脱原発を目指す陣営が候補者を一本化できなかったことは、なんとも残念だ。脱原発派が分裂したままでは、脱原発に込めた票は両陣営に分散してしまい、勝利はおぼつかない。
 
 もう遅いかもしれないが、世界史の故事を思い起こしたい。一つは、フランスとスペインで成立した「人民戦線」、もう一つは中国であった「国共合作」だ。どちらも、共通の目的のために政治的立場を超えて手を結んだ、世界史上でも稀に見る政治的共闘であった。
 
 フランスでは、1930年代、ファシズムの台頭に危機感を深めた社会党、共産党、急進社会党、労働組合、それに、知識人、婦人などの諸組織が1935年に「人民総結集組織委員会」を結成した。いわゆる「人民戦線」である。1936年の議会選挙で人民戦線派が勝利し、社会党のレオン・ブルムを首相とする人民戦線内閣が成立した。スペインでも、右派勢力に対抗して1936年、共和国主義者と社会党穏健派が人民戦線を結成し、共産党もこれに参加。同年の総選挙で人民戦線側が勝利し、左派共和国主義者を首班とする人民戦線内閣が成立した。
「国共合作」とは、日本による中国侵略に対して、敵対関係にあった中国の国民党と共産党が、1937年に抗日民族統一戦線を結成したことをいう。

 今から80年前近くの出来事である。学ぶことが多いのではないか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔eye2537:140207〕