本年8月3日付「ちきゅう座」掲載の早川洋行滋賀大学教授御執筆による「敗訴報告~法と現実をめぐる諸問題」を大変興味深く拝読いたしました。 実は、教授が以前に滋賀県との確執を御投稿になって以来、望ましい解決を願っておりましたが、訴訟の経過は残念な結果になってしまいました。 ただ、教授が至って意気軒昂な御様子が頼もしく思えます。
当該の訴訟に関しては、経過の全てについて通暁していない者による無責任な論評は慎まなければなりませんが、文中にあった頂門の一針とも言うべき文言が私の肺腑を衝きました。 そこにはこうあります。「今回の経験、裁判の過程で得たものも多い。それは色々あるが、何はともあれ、地方自治体が、法律をあまり理解していないということを知ったのは新たな発見だった。」
地方自治体も行政庁である限りは、「法律による行政」の命題の下にその作用は全て法律に根拠が無ければならず、これが所謂「法治国家」の由来です。 時代は、地方分権。 現今は、「地方主権」と喧しいものがあります。(私は、「地方主権」には聊か異論がありますが今は主題から逸れますので擱きます。)
ところが、その実態は、あるべき姿とは隔絶しています。 行政庁では、主に自らの業務の依って来るところである「行政法」に通じているものと誰もが思われるのですが、教授のように行政庁(ここでは「地方自治体」)と正面から向かわれた方は、正直言って唖然とされることでしょう。 私自身の、とある官庁での勤務経験から言っても、業務遂行の知識以外に、憲法の価値体系を踏まえて所管の法令について齟齬無く理解しているような職員は、一握りでしょう。
元々「行政」に関わる法律は、無数にあり学問体系としても膨大になりますので、昔の法律学の体系で言いますと、所謂「行政法総論」(個別の法律に通じる理論的体系)から「行政法各論」(個別の法律解釈を中心とした解釈学)までを一応理解するのには、せめて大学の法学部で公法学を学ばないことには不可能です。 しかし例え公法学を一通り学んだ者でも、税法等は、また専門に勉強しなければなりません。 更に時代的要請は、環境法の分野でも「特殊法」として原理原則からして個別の研究分野になっています。 情報公開の分野でも同様のことが言えます。 ざっと観ましても、予備的知識無くして、とても地方自治体の一般職員では理解が叶いません。
勢い、所管の法律については、中央官庁の職員が執筆した法律解説本の鵜呑みになりますし、また、法律制定時や改正時等折りにつけて出されます「通達」どおりの執務になります。 地方自治体が制定する「条例」や「規則」についても、中央官庁から出されます「標準条例」に従うことが多いのですから、実態的には、「地方自治」等は何処にも存在しません。
また、この「中央官庁の職員が執筆した法律解説本」が問題で、時代錯誤の古びた行政法理論に基づいて書かれることが多いもので、訴訟にでもなれば敗訴が免れないような「理論」が堂々と掲載されていますので、実際に業務執行の際には薄氷を踏むような思いをすることがあり噴飯ものです。 実例は多々存在するのですが、公務員の「守秘義務」に触れますので割愛させていただきます(笑)。
訴訟になり法律実務家の出番になっても、弁護士や裁判官でも行政法の勉強を充分にせずに実務家になった方々も多いのですから、教授が呆れられるような「理論」に遭遇することもあります。 わたしも友人が原告になった事件の公判の場で、思わず笑ったことがありますし、行政法の勉強をしている者にとって「無知」としか言えない行政庁の対応には、怒りより呆れ果てます。
でも、この状況は、一般国民にとって不利ばかりに作用しないことは確かでしょう。 憲法の価値を実現するためには、実定法である個別の行政法を一般国民のものにすることが重要なのですから。 法律そのものも、その解釈と適用も憲法の価値原理に従わせるべく「闘争」の洗礼が必要なのです。 かのイェーリング(Rudolf Von Jhering)が著したように「権利のための闘争」が求められるのです。 早川教授。 頑張って。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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