「浜の一揆」控訴審敗訴判決。しかし、これで終わりとはならない。

5年をかけた「浜の一揆」訴訟の控訴審判決が敗訴となった。弁護士にとって敗訴は辛い。勝たねばならない事件の敗訴はなおさらのことである。

判決言い渡し後、仙台弁護士会の会議室を借りて、3時間に近い報告と意見交換の集会が開かれた。
もちろん、まずは無念が語られた。原告の一人は、「今、家族に敗訴の結果を知らせた。電話を受けた息子ががっかりしていた」と発言した。しかし、その人も、これから何をなすべきかの議論に加わった。

この場の発言に敗北感はなかった。道理はこちらにあるとの確信のもと、むしろ怒りが語られた。このままでは終わらない。新たな許可申請も、知事との交渉も、水産庁交渉も、世論への訴えも、訴訟も、できることはやり尽くそう。

敗訴が、あきらめではなく、決起の機会となった。「浜の一揆」にふさわしいというべきだろう。5年前この訴訟を始めた時とくらべて、支援の輪も広がり、団結も強くなっている。当時は知らなかった資料や知見を手に入れもした。岩手県側の言い分も十分に心得た。5年前と同じことを繰り返すのではない。はるかに有利な地点から、闘いを始めることができる。

道理が通らないはずはない。道理の通らない行政を変えられないはずはない。これが、原告漁民の共通の思い。かつての「一揆」もこのようなものだったろう。

われわれの主張の骨格を以下に、記しておきたい。

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平成30年(行コ)第12号 サケ刺網漁不許可取消請求等控訴事件

第1 何がどのように問われているのか
1 漁民がサケを獲ることは基本的権利である
三陸沿岸の海洋を回流するサケは無主物であって、これを捕獲することは、本来誰もが自由になしうることです。控訴人ら漁民が生計を立てるためにサケ漁を行うことは、憲法上の基本権(営業の自由)として保障されなければならず、その制約には、厳格に合理的な必要性が要求されます。この点の認識が、本件を考察する出発点でなくてはなりません。
2 サケ採捕に対する制約は2点の根拠ある場合に限られる
漁業法65条の授権にもとづいて岩手県漁業調整規則は、沿岸の刺し網漁を県知事の許可漁業とした上で、漁民からの刺し網漁許可の申請に対しては、許可すべきことを原則にしつつ、「漁業調整の必要」と「資源の保護培養の必要」がある場合に限り、これを不許可とすることができると定めています(同規則23条)。
従って、本件各許可申請を不許可として、控訴人らのサケ採捕によって生計を維持する権利を制約するには、この2点の具体的な根拠を行政庁において明確にし、挙証し得た場合に限られることになります。
3 本件の争点の骨格
枝葉を払った本件の主要な争点は、本件各不許可処分の根拠とされた、「漁業調整の必要」と「サケ資源の保護培養の必要」があることの根拠について被控訴人(岩手県)が具体的な主張と挙証に成功しているかに尽きるものなのです。以下、この点に絞って陳述します。

第2 「漁業調整の必要がある」とはいえない
1 「漁業調整」の意味するもの
本件許可申請を不許可とする根拠として語られる「漁業調整」とは、「有限なサケを希望者皆に捕らせることはできない。別の漁業者には捕らせるが、その漁業者の不利益にならないように、オマエには一匹も捕らせない」という、行政権力による差別化を意味します。「調整」という名で、敢えて行政が不公平を行う宣言をしているのです。はたして、こんな不公平を行政がなしうるものでしょうか。
2 法が予定する漁業調整の理念とは
この点については、二平章氏の意見書(甲22)において、要領よく分かり易く述べられています。要約すれば、以下のとおりです。
「漁業調整とは、漁業主体間の利害対立状況の調整ですが、次の理念のもとに行われるべきです。
第一は漁業者の優先です。他人を使用して事業として漁業を行う者よりも、実際に漁業を行う者を優先するということ。
第二に弱小零細漁民の保護です。大きな漁業者の事業的な利益よりは、零細漁民の生存権的な利益を優先させるべきです。
一方的にどちらを勝たせるとか、すべての利益を一方に独占させるという意味ではなく、現実に利害の対立があり摩擦が生じている局面でこれを調整するための指針としてこの二つの理念があるのです。」
これが、戦後の経済民主化立法として、農業の農地改革と軌を一にする、漁業法の理念であり、漁業の「民主化」を目的に掲げた漁業調整のありかたなのです。
3 現実はどうなっているのか
その漁業法の理念に照らして、岩手県沿岸におけるサケ漁をめぐる漁業主体間の利害対立状況の現実は、いったいどのようになっているでしょうか。
「サケは大規模な定置網漁業者だけに捕らせる。刺し網を希望する小型漁船漁業者には一匹も捕らせない」という、不公平の極みではありませんか。漁業者優先の理念も、零細漁民の保護の理念もまったく無視されています。どうしてこんな無理無体,理不尽がまかり通っているのでしょうか。だから、漁民は岩手県の水産行政を、藩政時代と同じだと言っているのです。
もちろん、「営業の自由」も、公共の福祉による制限には服さなければなりません。しかし、公共の福祉とは、経済活動の自由の名の下に市場で横暴な振る舞いをする経済的な強者に対する規制の根拠として意味があるもので、強者を保護するために、弱者の権利を奪い取る、この倒錯した論理に納得できるはずはありません。司法が、この偏頗な行政の不見識に加担するようなことがあってはなりません。
しかも、このような不公平による軋轢、不平・不満は1980年代から顕在化しているのです。その最初の爆発が、1990年の「一斉水揚げ強行事件」です。その後30年も、漁民はサケ刺し網漁の許可を求める要求と運動を続けてきました。それでも事態は変わりません。それが、本件「浜の一揆」訴訟提起の原因となったのです。
4 誰と誰との利害の調整なのか
問題は、こんな露骨な不公平行政を取り繕って「漁業調整の必要があるから申請を不許可とする」という弁明の余地があるのか、ということです。
実は、県政のいう漁業調整の具体的内容は、本件各処分時にはまったく特定を欠き、いまだに明確とは言い難いのです。以下に、必ずしも明確とはいいがたい被控訴人の幾つかの主張を検討します。その検討においては、誰と誰との間の利害の対立を調整したのかを明確に意識することが重要で、そのことが漁業調整の必要があるという被控訴人の判断の不合理をより鮮明にします。
被控訴人提出の資料によれば、岩手県沿岸には82ケ統の定置網があります。そのうち、個人経営が12ケ統、漁業生産組合経営8ケ統、有限会社経営6ケ統、漁協・個人共同経営10ケ統となっています。その余の46ケ統が、海水面漁協の単独経営です。
つまり、漁業調整において、控訴人らと対峙している業者の半数近くが純粋に私人なのです。私的な事業者の利益確保のために、被控訴人らが譲らねばならない理屈はありえません。
5 定置網漁業者に優先権はない
被控訴人は「固定式刺し網漁業によるサケの採捕を解禁すれば、母川回帰前のサケがことごとく先取りされ、定置網漁業者との関係で著しく不公平な結果となり、漁業調整上の深刻な摩擦を生むことになる」といいます。
これは、「ことごとく先取りされる」という前提が虚偽ないし誇張の主張です。少なくも何の立証もありません。仮に、定置の漁獲量に影響があったとしても、定置網漁の許可が取り消されるものではありません。定置網の漁獲が多少でも減る恐れがあるから、刺し網の許可ができないというのは、現状の馬鹿げた不公平をあるべき秩序と容認して始めて成り立つ「理屈」でしかありません。とりわけ、個人・会社・漁業生産組合などの定置網漁の漁獲を保護する理由は成り立ち得ません。
6 孵化放流事業の振興策は刺し網禁止を合理化しない
被控訴人は、固定式刺し網漁は「県の人工ふ化放流事業と相容れず,定置網漁業者との間に漁業調整上の深刻な摩擦が生じる」とも説明しています。しかし、これまでの主張の交換と書証とによって、この主張が成り立ち得ないことは明らかとなっています。
前述のとおり、県内には個人経営の12ケ統、漁業生産組合経営の8ケ統及び、有限会社経営の6ケ統が、いずれもサケ孵化場の経営と無縁でありながら、サケ採捕の権利を得ていることが明白です。また、漁協・個人共同経営の10ケ統における個人経営者も、同様の利益に与っていることになります。また、県内に28のサケ孵化場のすべてが海面漁協の経営というものでもありません。浜の有力者たちは、個人として、生産組合を形成する形で、あるいは、有限会社を作って、「自らは孵化事業に関わることなく、」定置網漁による利益を得ているのです。
さらに、孵化事業のサイクルは、母川に稚魚を放流した時点で完結します。この稚魚は無主物で、岩手の河川と北太平洋との恵みを受けて育った成鮭を孵化放流事業者が優先して採捕する権利などまったくありません。
また、控訴人らはすべて漁協の組合員です。漁協が経営する孵化事業の成果である成鮭の採捕という「直接の利益」を等しく享受すべき立場にあります。
なお、各孵化事業の経費は、いずれも公的資金の投入と漁獲高の7%に当たる分担金の拠出によってまかなわれています。分担金の負担は、孵化事業の主体であるか否かで変わるところはありません。定置も延縄も同一である。漁協も個人もです。刺し網も同一の条件になるものと考えられ、そのような運営で何の支障も生じようがない。
7 形式的な民主主義手続は刺し網禁止を合理化するか
被控訴人は、「固定式刺し網漁業によるサケの採捕の全面的禁止は、県漁連や海区漁業調整委員会での民主的な合意形成によるもの」と主張します。
しかし、県内漁業者の総意でサケの固定式刺し網漁が禁止に至ったという経緯はありません。そもそも県漁連や海区漁業調整委員会は、実質において、一部の県内有力漁業者の利益実現のための機構で、県内漁民の意見の集約機能を持つものではありませんでした。サケの孵化事業は、県内の有力漁業者が、自らの持つ大規模定置網漁業の利益をもたらすものとして発展させたものです。従って、固定式刺し網漁業によるサケの採捕全面的禁止は、県漁連や海区漁業調整委員会の幹部を兼ねた、有力業者が自らの利益のためにしたもので、提出の陳述書や書証のとおりなのです。
控訴人らは、長く漁民個人のサケ漁の解禁を求め、その実現のための手続的変革の努力もしてきました。現在の岩手県海区漁業調整委員会の公選委員に、原告らのうちの2人を当然させて送り込んでもいます。しかし、それでも事態はまったく変わりません。その本来の権利実現のためには、司法手続によって、本来の権利を実現するしかない事態なのです。
8 漁協の自営定置は刺し網禁止の理由になり得ない。
被控訴人は、「人工ふ化放流事業によるサケ漁業による利益は,漁協に内部留保されるばかりでなく,地元自治体への寄付を通じて地域へ還元され,出資配当金等の支給により組合員にも還元されている。」といいます。
しかし、被控訴人のこの点の立論は、定置網漁業者がすべからく漁協だという前提において既に誤っています。控訴人らは、漁協の自営定置を止めよと主張していません。「自営定置の漁獲減少の恐れがあるから、組合員の漁業許可を許さないというのは水協法4条に照らして本末転倒だ」と言っているのです。
漁協が適法に行いうるすべての事業は、「組合員のために直接の奉仕をすることを目的とする」事業に限ります。組合員の漁業経営を圧迫する恐れのある事業をできるはずはありません。
9 隣接道県との協議の必要も刺し網禁止の理由になり得ない。
隣県宮城でも、岩手同様、孵化放流事業もあり、定置網漁も行われている。しかし、刺し網も許可されています。仮に、協議の必要があれば、許可の上で協議をすればよいだけのことで、隣接道県との協議の必要があることが、刺し網禁止の理由とはなり得ないことが明白です。
10 親魚確保のためとする刺し網禁止の理由はなり立たない
井田齊意見書と証言に詳細ですが、採卵のための親魚としては,河川親魚の確保が重要であって、海産親魚に頼るのは邪道なのです。河川親魚の確保のためには、しかるべき時期に複数回河口を開けて、成鮭が母川を遡上する機会を作ることになります。その点において、定置も刺し網も本来的な優劣はありません。恒常的に河口を防ぐ位置に敷設される定置網よりは、常時に網を下ろすことのない刺し網に優位があるともいえます。また、控訴人らは定置網漁を止めよとの主張はしていなません。飽くまで共存しようという態度で一貫しているのですから、仮に何らかの事情で海産親魚の捕獲が必要な場合は、定置網漁が引き受ければよいだけのことで、刺し網を禁止する理由になり得ないことは明白なのです。

第3 サケ資源の保護培養上の必要性があるとはいえない
1 固定式刺し網漁は、サケを取り尽くさない
サケ資源の保護培養の必要の根拠として、被控訴人がまず述べるのは、「刺し網が漁獲効率が高い漁法であり、それゆえにサケ資源を取り尽くす」ということです。
しかし、その主張自体が具体性を欠けるものとして失当であること、そもそも「漁獲効率の高い漁業」は許可できないという発想が間違っていること、なによりも「漁獲効率の高い漁業の解禁は,サケ資源の確保に悪影響が大きい」との主張が、こと孵化事業が進展しているサケに関しては、間違いというよりは虚偽であることは明らかというべきです。
2 固定式刺し網漁は、孵化放流事業に支障をきたさない
次いで、「刺し網では、親魚として利用することができないこと」が挙げられますが、これも苦し紛れの弁明でしかありません。河川親魚としての確保こそが重要であって、そのためには、定置も刺し網も本来的な優劣はありません。井田意見書と、井田証言に明らかなところです。
3 控訴人らへの刺し網漁の許可は際限のない参入者を生まない
本件各申請に許可を与えた場合、これに続いて他の漁民からの許可申請があるか否か、申請があるとしてどの程度の人数になるかは、分からないというしかありません。これを予測する合理的な根拠も資料もないからです。
しかし、「分からないから不許可」というのは基本権をないがしろにした不合理極まる結論というほかはありません。判断すべきは、処分時点での当該申請を許可すれば、サケ資源の保護培養に支障が生じるか否かの一点であって、将来の不確実な事情を許可申請者に不利益に考慮することは許されません。
被控訴人申請の山口証人も、サケが豊漁であった時期でさえ、延縄漁が十分に経済的に成り立ちうる漁業であったのに、岩手の漁船がこぞって参加することなどなかったことを認めています。現実には、多くの漁船がこぞって参入することなどあり得ないことは、数字を挙げて反駁したところです。
仮に、「サケ刺し網解禁」によって、漁民の減少に歯止めが掛かることを歓迎する立場判断からは、控訴人らに続く許可申請者を受容すれば良いのです。また、仮に刺し網漁の増加を歓迎しないという判断であれば、合理的な漁獲総量を均分した各刺し網漁業者の漁獲量の上限を年間10tではなく下方に修正して調整すればよいだけのことです。公平ならざることに不満はあっても、公平で資源確保のために合理性ある規制に漁民が納得しないはずはありません。
合理的で必要な最小限の規制はあって然るべきですが、現状の全面禁止を維持する合理性は、いささかもありえません。
4 判断の基準点を動かしてはならない
言うまでもなく、判断基準時は本件不許可の時点です。これを動かし、当時は予測し得なかったその後の事情を、つまみ食いして行政に有利に考慮するようなことがあつてはなりません。
なお、サケ漁獲量の減少や台風の被害は、定置網漁業者だけでなく、控訴人ら零細漁民にも深刻な影響を及ぼしています。だからこそ、控訴人らのサケ刺し網漁の解禁要求は切実なものというべきで、基準時以後の定置網事業者の被害のみを語ることは不公平も甚だしいと言わねばなりません。

以上のとおり、漁業調整の必要も、サケ資源保護培養上の必要も、あるとはいえないにも拘わらず、本件各申請を不許可とした岩手県知事の各処分は違法として取り消されなければなりません。

(2020年2月25日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.2.25より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=14375

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座https://chikyuza.net/

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