はじめに
二〇一一年三月一一日の東日本大震災と原発震災は、科学技術的な知とこれを担う専門家集団の社会的な責任があらためて大きく問われるきっかけとなった。タコツボ的な専門家集団が囲い込む科学技術知のあり方は、この国の構造的な利権の独占と閉鎖性に対する批判を再び呼び起こし、戦後日本の経済成長の内実を検証する気運をも生じさせた。もちろんこうした動きをより根源的な射程にまで深めれば、日本の明治維新以降の「近代化」の過程を敗戦をはさんで反省的に捉え返していく作業へとつながってくる。あるいはこの作業は、日本のみならずアジアと欧米の「近代」を相対化していくという、きわめて歴史的な認識に関わる課題へと私たちを導いていく。
本稿は、これらの問題に直接取り組むことを意図したものではない。本稿の目的は吉本隆明の歴史認識に関わる具体的な叙述を糸口に、三木清の『歴史哲学』と『哲学的人間学』を対象として、私たちが歴史の流れをどのように捉えていけばよいのかをより広い射程で検討することにある。けれどもこうした目的の背景には、冒頭で述べたように原発震災から「過去」へと遠望される「近代」の諸形態、あるいは原発震災へと帰結した「近代」の諸過程に対するラディカルな懐疑が存在している。私たちはこの点に、今現在、歴史を対象に据えることの根拠を求めていかなければならない。そのうえで歴史を主体的に捉え、「未来」を構築していく方途を探らなければならない。歴史認識は、まさに「現在」が提起してくる課題に規定されている。これらの点を前提的に踏まえたうえで、以下の検討に入っていきたい。
Ⅰ 「近代」批判と「現在」
「現在」的な課題を正面に据えるなら、私たちが主題的に考える歴史認識は、「近代」批判をその端緒としなければならない。吉本隆明の「近代」批判が歴史認識の方法論として明確に語られているのは、『アフリカ的段階について 史観の拡張』においてである。吉本はL・H・モルガンの『古代社会』における分類を批判しながら、次のように述べている。
「この分類に従うかぎり、人類は退行することがありえない文明の不可逆さを原理とし
て分類の法則が語られている。(中略)人類が精神の能力を増せば、文明は進展するとい
う近代主義の絶対性の線上が自明のように指定されている。(中略)生みだされたら進展
の方向にむかって止まらないその不可逆の認識が完成された姿を、絶対の近代主義の姿
とでもいえば、ヘーゲルの歴史哲学はいちばんよくかんがえられたその典型だった」(『ア
フリカ的段階 史観の拡張』)。
言うまでもなく、モルガンとヘーゲルの歴史哲学を問題としながら吉本が批判しているのは、文明をめぐる「進歩史観」である。ただここで文明がひとたび進歩の道を歩み始めるなら、それは決して後戻りすることのない不可逆性を持つことは必然的な過程であろう。たとえそうであるとしても、「絶対の近代主義」のなかには、この文明の進歩の不可逆的必然的な過程を全体として肯定してしまう歴史に対する楽観的な態度が含まれている。そこでは「過去」→「現在」→「未来」という歴史的時間の直線的な流れと、これにそって進歩するはずの文明の諸形態に対する懐疑はまったく見られない。この懐疑にこそ、私たちがあらためて探求する歴史認識への初発の動機が存在している。
三木清も、「進歩史観」に対する懐疑を吉本と共有している。
「この観念(進歩の観念―引用者注)は変化が単なる変化でなく、価値の増大なること
を表はす。然しこの観念に於ける特殊なものは、そこではかかる価値の増大が直線的な
向上として表象されるといふことである。(中略)このやうに直線的に進行する時間は、
後に説く如く、事実から抽象される限りに於ける存在としての歴史の時間である故に、
進歩の思想は事実を認めず寧ろ存在の立場に立ちとどまってゐる」(『歴史哲学』)。
三木は「直線的な向上」を「継起及び連続」とも言い換えているが、三木においても進歩の観念は、文明の「価値の増大」が歴史の「直線的に進行する時間」にそって展開していくことと捉えられている。そしてこうした歴史的時間に対する認識を、「存在としての歴史の時間」と呼んで批判的に述べている。ここでの「存在」とは、直線的な進歩を表わす歴史認識を意味している。問題は「存在」に対して対照的に言われている「事実」が、三木の歴史認識において何を意味しているかである。このことは、三木が「現在」を歴史的時間の流れのなかでどのように捉えているのかという点と関わってくる。
「真の歴史は過去の意味を有する歴史でなく、現在の歴史であり、このものは事実とし
ての歴史として一切の歴史的発展の根源である」(『歴史哲学』)。
「存在としての歴史は唯過去のものとしてある。(中略)歴史といふことが存在としての
歴史を意味する限り、歴史の概念と過去の概念とは離れ難く結び付いてゐる」(『歴史哲
学』)。
ここではまず、「現在の歴史」が「事実としての歴史」として特徴づけられ、一方で「存在としての歴史」は、「過去」の歴史に対応するものとして概念規定されていることを確認しておきたい。問題は「事実」と「存在」、あるいは「事実としての歴史」と「存在としての歴史」との間の関係である。
「存在と事実とを区別して見るとき、前者はそれ自身に於て寧ろ連続の性格を負ひ、後
者はそれ自身に於て寧ろ非連続の性格を担ふ」(『歴史哲学』)。
この一文は、先に見た三木の「進歩の思想」に対する否定的な評価に直接結びついている。そこで言われていた「直線的に進行する時間」とは、「存在」を特徴づける「連続」に対応しており、これに批判的に対置されているのが「事実」を特徴づける「非連続」である。三木の歴史哲学においては、「近代」批判の端緒に「現在」としての「事実」が置かれており、この「事実」に「非連続」という性格を担わせることで、「過去」→「現在」という直線的な歴史的時間はいったん切断される。こうした「近代」批判における「存在としての歴史」に対する「事実としての歴史」の基底性は、次のようにも表現される。
「歴史を作る行為そのものが事実としての歴史であって、これに対して作られた歴史が存在としての歴史であると考へられるのである。作ることは作られたものよりも根源的であり、(中略)事実としての歴史は存在としての歴史に先行するであらう」(『歴史哲学』
)。
三木は「存在としての歴史」と「事実としての歴史」を、それぞれ「存在」と「存在の
根拠」とも言い換えているが、ここでは「事実としての歴史」は、「歴史を作る行為」とし
てきわめて実践的な意義を付与されている。そうであれば「事実としての歴史」は、「未来」
をもまた構築していく人間の歴史的行為の根拠である。このように三木の歴史哲学では、
「現在」は「事実」あるいは「事実としての歴史」として、歴史的時間に対する価値判断
と実践のための最も重要な時間域の位置を与えられている。
そして私たちの直面する「現在」の歴史的課題にとって重要なのは、「歴史の基礎経験」
という概念である。
「事実としての歴史に就いて特に歴史的意識を與へる事実そのものが区別され得、また区別さるべきであって、私はかかる優越な意味に於ける―(中略)―事実を歴史の基礎経験と名付ける」(『歴史哲学』)。
「歴史的意識を與へる事実」が、特にここでは「歴史の基礎経験」と呼ばれている。今
現在、私たちの「歴史の基礎経験」の一つが、三・一一の東日本大震災と続く原発震災で
あろう。そしてこれらの惨事として現われた「歴史の基礎経験」は、私たちにある種の「歴
史的意識」を生じさせたはずである。三木は「事実は意識を生むものなのである。歴史は
生れた意識から始まるのでなく、却て意識が生れるといふところにこそ歴史の端緒はある」
(『歴史哲学』)とも述べたが、東日本大震災と原発震災は、より根源的な「近代」批判へ
の指向という「歴史的意識」を確かに生じさせた。そしてそのための「歴史の端緒」が、「事
実」としての「現在」である。私たちは、こうした「現在」から次にどこへ向えばよいの
であろうか。次節では、この点を検討してみたい。
Ⅱ 「過去」へ遡ること―<現在的過去>
吉本隆明は「現在」から「過去」へ遡ることの意義を、その「南島論」のモチーフを語
るなかで次のように述べている。
「南島論とは何なのか。いまとおなじ言い方をすれば、ひとつは、基層を映像化することです。つまり国家の根拠よりもっと基層の方に掘り下げたところを映像化できるかどうかということです。(中略)イメージ化することで、いってみれば人類の普遍的な母胎のところに到達できるかどうかというのが南島論のひとつの課題だとおもいます」(『琉球弧の喚起力と南島論』)。
「南島が完全に内部から天皇制、あるいは日本国家というのを無化することができる、あるいはそれを切り崩すだけの根底を持ちうるのは、(中略)アフリカ的段階の南島というのを掘り下げたときだと思います」(同右)。
ここではまず「現在」の課題が、「天皇制、あるいは日本国家というのを無化すること」
に求められる。そしてこの課題を追求していくために、「過去」へと遡ることが意味づけら
れている。つまり「アフリカ的段階の南島」にまで「過去」を遡ることで、「現在」の「天
皇制」、「日本国家」とは異なる共同体の原基を探っていくわけである。言い換えれば「過
去」への探求の方向性は、「日本国家」という「現在」の共同体の特定の形態に規定されて
いる。ここでは共同体のあり方が、「過去」を評価する視軸である。「過去」に対する「現
在」の超越性は、この「現在」の帯びる規定性にある。こうした歴史認識における被規定
的な「過去」を、私たちは<現在的過去>と呼びたい。
吉本が語る「過去」へ遡ることについての歴史認識は、三木清ではより一般的に次のよ
うに言われる。
「事実としての歴史の要求するに従つて古き過去の歴史も若返り、新たにされる」(『歴史哲学』)。
「事実が存在に対して非連続的、超越的方面を有すればこそ、我々はまた現在の事実の立場から過去の諸体系の中へも自由に降りて行き、それにその独自性と絶対性とを認め得るのである」(同右)。
ここで言われている「非連続性」とは、「現在」から「過去」を評価する場合、「過去」
が「現在」へと至る歴史的時間の直線的な流れとは異なって、「過去」は「現在」の状況に
対する価値判断に規定されたうえであらたな秩序を付与されて立ち現われてくるというこ
とである。つまり「現在」は「過去」に対して「非連続」であるがゆえに、「超越的」であ
る。この意味で「過去」は、「現在」に規定された私たちの視線によって、きわめて主体的
に捉え返されることになる。その主体性は、前節末尾で見た「歴史的意識」と関連してい
る。
「歴史的意識は根源的には事実によって規定される。然るに事実は存在に対して主体的なものの意味を担ふ」(『歴史哲学』)。
「有意味性なるものは単に客体的な存在の範囲内に於ては考へられ得ず、主体的な事実との関係に於て初めて理解されることが出来る」(同右)。
先の吉本の天皇制批判の文脈から解釈すれば、「現在」の「天皇制」あるいは「日本国家」
の形態が「根源的な事実」であり、そこから始めて私たちは、「天皇制」あるいは「日本国
家」の無化という「歴史的意識」を生み出す。そしてこの「歴史的意識」の指向性は、も
とより「現在」あるいは「事実」の帯びる主体性に基礎づけられている。「歴史的意識」と
「現在」あるいは「事実」とのこうした関係構造を指して、三木は「主体的な事実」と述
べたのである。けれどもこの関係構造は、当然一回限りのものとしてあるのではない。三
木は「超越的な主体的事実が絶えず新たに意識を破るところに瞬間なるものの面影がある」
(『歴史哲学』)と述べたが、「現在」は絶えず私たちに、今まで抱懐していた「歴史的意識」
をあらたな視角から再構成し直していくことを強いている。そこにおいては「過去」ある
いは「存在」が、再び異なった意味を帯びて私たちに語りかけてくることになる。
「過去」へと遡ることの意義については、吉本はまたアメリカ原住民の生活を描写した
小説を評価しながら次のようにも言う。
「樹木がリズムのちがいで言葉を発し、その言葉を人(ヒト)が感受し、その意味を人(ヒト)が解している状態が疑う余地なく信じられている。これはアフリカ的な段階のアメリカ原住民が、自然にまみれて生きている正体を内側から描いていることだ。(中略)
人(ヒト)と他の生きものとの生活は現在、こういう交感が成り立たないほどかけ離れてしまった。そこで植物の言葉がわかるということは、思い込みとか妄覚とかに転化してしまった」(『アフリカ的段階について 史観の拡張』)。
吉本は、人間が植物や動物と「交感」できるアメリカ原住民の生活やそのアニミズム的
な自然観を肯定的に評価している。そしてこの「過去」の遺産への評価は、もちろん吉本
の「現在」に対する否定的な判断に規定されている。動植物との「交感」を「思い込みと
か妄覚」と疑うのは、文明の「現在」的段階を表わしたものでもあるが、吉本はこれを「近
代主義の皮層な人間理解」(『アフリカ的段階について 史観の拡張』)とも述べる。三木は、
「現在」の帯びる否定性が「過去」へと遡る根拠となることについて次のように指摘する。
「存在としての歴史が運命として受取られるのは、もと事実としての歴史のうちに運命的なものが含まれるためである。我々はかかる運命的なものを事実としての歴史の含む否定の契機と解した。我々はそれをば、自由を予想しつつそれの否定としての必然的なもの、実践を前提しつつそれの否定としての観想的なものと考へた」(『歴史哲学』)。
「事実は否定的なものを含む故に、自己を実現するに際して過去の歴史に結び付かざるを得ないのである」(同右)。
歴史的時間が単に「過去」から「現在」へと直線的に進行する流れとしてだけ捉えられ
るなら、「事実」としての「現在」は、人間があらたな「未来」の構想へと実践的に投企し
ていくことの不可能な「運命的なもの」、「必然的なもの」としてのみ現われてくるに過ぎ
ない。すると人間は、自らが作り出した歴史の帰結にこれからも服従していくしかないと
いうことになる。「近代」の「進歩史観」は、これが反転すれば人間の自由に対する桎梏と
なる。けれども「事実」としての「現在」は、逆に「過去」からの出来事として既にある
「否定の契機」を含むからこそ、私たちは「過去」に存在していた肯定の契機を探求して
いかなければならない。三木は歴史的過程における人間の実践への指向とその端緒を、こ
のように「事実」としての「現在」、あるいは「事実としての歴史」に定めた。一方で「存
在としての歴史」は、この意味での「事実としての歴史」をその根拠に持つ。そして私た
ちは、肯定の契機として「現在」から主体的に捉え返された「過去」もまた、先に名づけ
たように<現在的過去>と考えたい。
Ⅲ 「現在」への回帰―<過去的現在>と<場所的現在>
前節で析出した<現在的過去>から、ここでは再び「現在」へと回帰してこなければな
らない。なぜなら私たちは、「現在」が繰り出してくる課題に直面するなかで「未来」の来
たるべきあり方を構想するからである。けれども後に明らかになるように、回帰してきた
「現在」は、「過去」へ遡る端緒として最初に見定めた「現在」とは異なった性格を担う「現
在」である。
吉本隆明は「文明状態の人間にも野蛮の下層状態が風俗や習慣として曳きずられている
し、どんな過去の瞬間の状態も歴史はかならず存続させているからだ」(『アフリカ的段階
について 史観の拡張』)と述べたが、「現在」に残存している「過去」はさまざまな影響
を「現在」に対して与える。三木清は「単に今が昔になるばかりでなく、昔がまた今であ
るところに歴史はある」(『歴史哲学』)と言い、「過去」が「現在」に浸潤していることに
歴史認識の意義の一つを見い出している。
例えばこうした歴史的時間の流れの様態について、吉本は具体的に新宿の安田火災海上
本社ビルが非公開であることを指摘しながら次のように敷衍している。
「わたしたちは古代の都市国家や、わが国の高地性集落、環濠垣内集落、中世の居城、豪農の住居のような防御装置をもった集落の系譜を、この種の非公開性の超高層ビルから感ずる」(『ハイ・イメージ論Ⅰ』)。
ここでは東京に集中した高度な文明の職域空間に、古代あるいは中世の居住空間の特性
が探り出されている。つまり「過去」は「現在」において、さまざまな形態を取って同時
に痕跡として存在している。私たちが<現在的過去>から「現在」へと回帰していくと言
う時、まずこうした「現在」における「過去」の重層的展開を指している。それは、「現在」
という表層に湾曲して現われた「過去」のさまざまな地層である。こうした事態は、三木
の次のような言説と重なっている。
「「現はれる」といふことは、我々が存在としての歴史の根本的な性格として指摘したかの「既に」を意味するのである。(中略)存在は現象としての性格を含み、存在に於て事実は自己を現はす」(『歴史哲学』)。
つまり「過去」はすでに<現在的過去>として措定されていたからこそ、「現在」におい
て私たちの認識に「現われる」のである。<現在的過去>に「現在」における意義を付与
するのは当の「現在」であり、これが「存在に於て事実は自己を現はす」ということの意
味である。言い換えれば「過去」は、あくまでも「現在」においてその歴史的意義を獲得
しながら再生する。吉本の指摘する新宿の安田火災海上本社ビルの「現在」には、「非公開
性」という歴史認識のための主体的な事実に基づいて、古代の集落や中世の城の「過去」
が浸潤している。私たちはこうした意味での[現在]を、先の<現在的過去>と関連づけ
ながら<過去的現在>と呼びたい。
けれども一方で、「過去」は「現在」と対立する位相も持つ。この点を三木は、「存在と
しての歴史は事実としての歴史に対立し、これに働きかけ、これを圧迫する性質を有する」
(『歴史哲学』)と述べた。これは「過去」が、「現在」においてそのままの形で伝承されて
くるわけではないからである。「過去」は「現在」に対して否定的な形態で再生することも
あれば、「現在」のなかに肯定的な契機を痕跡として残していることもある。例えば後者の
場合を吉本は、次のように表現している。
「人類の歴史の理想形態というようなものを描けるとすれば、それはまさに村落共同体、つまり、古代の、あるいは<アジア的>な村落共同体が持っていた相互扶助形態が、高度な別の次元で成立したときに描きうるものです。それを理想の社会とおもわざるをえないところがあります」(『ドキュメント吉本隆明① <アジア的>ということ』)。
「高度な別の次元」で成立する古代の「相互扶助形態」という吉本の捉え方は、「過去」
が「現在」あるいは「未来」において形態変容して伝承されてくる場合を指している。し
かもこの形態変容は、「過去」の「相互扶助形態」の肯定的な契機を抽出していく方向での
形態変容である。私たちが<現在的過去>が<過去的現在>において再生すると言う時、
これはこうした肯定的な契機が変容して残存しているか、あるいは「未来」へ向けてさら
に転態する可能性のある場合を意味している。三木は、この歴史的時間の流れの様態を次
のように述べる。
「文化―我々のいふ存在としての歴史―は、(中略)いかにもそれ自身の論理と法則性とをもつてゐる。(中略)文化は単に凝結し、固定せるものでなく、却て生の発展が要求するに従つて運動せしめられ、過去の文化も蘇るに至る」(『歴史哲学』)。
「過去」は、まったく変化することなく「現在」へと伝えられることはあり得ない。「過
去」は「現在」に対して影響を与えるが、一方で「現在」は「過去」に対して変容を迫り、
このことは繰り返されるからである。私たちは前節で、三木の言う「主体的な事実」を「歴
史的意識」と「現在」との関係構造として解釈した。そしてその時点での「現在」は、各々
の「現在」が担う「主体的事実」に促されて一定の形態の「過去」を変化させていくので
ある。三木は「歴史の発展はメタモルフォーゼであって、進歩Fortschrittとは異なる」(『
哲学的人間学』)とも述べたが、<現在的過去>の形態変容がなければ、もとより私たちは
「未来」への構想も描き得るはずがない。
これらの点に関連して、三木は次のようにも述べている。
「もろもろの世代は、それら凡てがまた円環的に限定されて一つのものに於て同時存在的であると考へられねばならぬ。さもなければ、過去が現在に働くといふことも考へられないであらう」(『哲学的人間学』。
「それ(歴史の発展―引用者注)は単に直線的に進行するのでなく、円環の外に円環を描きつつ転化するのである」(同右)。
<現在的過去>は<過去的現在>において形態変容して現われるが、そこでこの二つの
歴史的時間の位相は「現在」において<空間域>を形成する。三木の言う「円環」あるい
は「同時存在的」とは、<現在的過去>と<過去的現在>という二つの<時間域>が「現
在」において交差することで、<空間域>を形成することを意味している。「現在」という
歴史的時間は、<時間域>だけではなく<空間域>の視座を導き入れて初めて、「未来」を
構想するうえで人間にとって投企的な意味を持ち得る。なぜなら歴史的時間は、特定の<
場所>においてのみ具体的な相を現わすからである。「時間」は「空間」がなければ存立し
得ない。こうした意味での「現在」を、私たちは<場所的現在>と呼びたい。
Ⅳ 「現在」と「未来」と「過去」―<過去的未来的現在>へ
歴史的時間は、今まで見てきたように「現在」と「過去」との往還運動を含むだけでは
ではなく、「現在」と「未来」との関係を投企的に構想する相を持つ。「現在」と「未来」
との関係について、まず三木清の次の言説から考えてみたい。
「凡ての行為は自由を含んでゐる。如何なる自由もないところには、本来行為といはるべきものはない。その限りに於て事実としての歴史はまさに自由である」(『歴史哲学』)。
「我々にとって行為の概念は未来といふ時間概念と結び付いてゐるのがつねである。我々の行為は絶えず未来への関係を含む」(同右)。
人間が「未来」へ向けて歴史を作り上げていく営みの特性が、ここでは「行為」と「自
由」という表現で語られている。つまり「未来」への投企は、本来きわめて実践的で主体
的な性格を持っている。この意味で「事実としての歴史」、つまり「現在」は、さしあたり
人間の歴史を作っていく「行為」が「自由」であることの根拠として捉えられている。あ
るいは三木は、こうした「未来」へ関係づけられる「現在」を「瞬間」とも述べている。(『
歴史哲学』)。もちろん「瞬間」としての「現在」は、「過去」から「未来」へと直線的に進
行する時間の通過点に過ぎないものではない。「現在」は「過去」から非連続であり、切断
を含むがゆえに「瞬間」であり、こうした歴史認識においてこそ人間が歴史を構想してい
く「自由」が存在している。
けれども「現在」は、「自由」を意味するだけではない。三木は言う。
「感情は運命(我々は運命的なものをかかる否定的なものとして規定した)の体験としてその固有なるものであり、意志は自由の体験としてその固有なるものであるとも見られ得よう。運命の感情及び自由の意志に於て事実は主体的に、且つ全く根源的に自己を表出する」(『歴史哲学』)。
「自由の条件は自由そのものと共に必然であり、併しそれは自由によって実現さるべく、従つてその成立は偶然に属してゐる。かくの如き矛盾の統一として歴史は存在する」(『哲学的人間学』)。
私たちは前節で「過去」は「現在」と対立する位相、つまり「現在」に対して否定的な
形態で残存することがある場合を見た。三木はこの事態を、「過去」は「現在」を「圧迫す
る性質を有する」(『歴史哲学』)と述べたが、それはここでは「運命」あるいは「必然」と
いう言葉で語られている。一方で私たちは、「過去」の肯定的な契機が形態変容して「現在」
にその痕跡を留めている場合を<過去的現在>と規定した。けれども「現在」は、「過去」
の肯定的な契機と否定的な契機とを同時に併せ持つことで自己を形成している。そしてこ
うした「現在」の条件のもとでのみ、人間は「未来」を投企的に構想せざるを得ない。三
木の言う「矛盾の統一としての歴史」とは、この意味である。
私たちはここで、特に「過去」の肯定的な契機を発展的に変容させて「未来」を構想し
ていく方向での「現在」の位相を、<現在的未来>と呼びたい。「未来」への歴史的時間の
流れは、三木の言うように確かに「矛盾」としての「現在」に根拠づけられてはいる。け
れども私たちは、「現在」のなかの肯定的な契機をそれこそ「主体的」に見い出すことで「未
来」を形づくってきたのではないだろうか。そしてその肯定的な契機は、各々の<現在的
未来>によっても変容していく。
だが歴史的時間の流れは、一方で「現在」から「未来」を見通すとともに、他方で「未
来」から「現在」をも逆に照射する。吉本隆明は、この歴史的時間の位相を具体的に「都
市の市街地の高層や中層のビルも、住宅地やそのなかの商業ビルも、いわば地質的な表面
層に同一化してしまうというランドサット映像の特徴」(『ハイ・イメージ論Ⅰ』)に見られ
るとして、次のように述べる。
「ランドサット映像の視線が、かつて鳥類の視線とか航空機上の体験とかのように、生物体験としての母胎イメージを、まったくつくれないような未知のところからの視線だということに、本質的な根拠をもっている。いわば、どうしても人間や他の生物の存在も、生活空間も、映像の向う側にかくしてしまう視線なのだ」(『ハイ・イメージ論Ⅰ』)。
超高度のランドサット衛星から送られてくる地表面の映像では、吉本の言うように市街
地のビル群や人々の日常生活の営みは地形的な起伏のなかに埋没してしまい、まったく視
覚に映ずることはない。吉本はこうしたランドサット映像を、「未知」つまり「未来」から
送られてきたものと捉えている。ここで「未来」は、ランドサット映像に乗って「現在」
へと浸潤している。その浸潤の形態は一つの「像」であり、私たちは「イメージ」の形態
で「未来」からの「視線」を認識できるわけである。吉本はこうした「未来」からの「像」
を、「未知」を具体化するものとして少なくとも肯定的に評価している。
けれども三木は吉本とは異なり、「未来」における否定的な契機から「現在」への歴史的
時間の流れを論じている。
「歴史は現在から書かれると述べておいたが、今や進んで、歴史は未来から書かれると云はねばならぬであらう。(中略)現在のうちに含まれる未来が現在に対して否定的なものの意味を担ってゐるために、現在は瞬間であるのである」(『歴史哲学』)。
「現在」と比較しながら、来るべき「未来」はこうであってはならないとして歴史的な
発展を予期すれば、三木の言うように「未来」は確かにそのうちに否定的な契機を含む。
しかしこうした歴史認識は、あくまで「現在」のうちにある否定的な契機に基づいて「未
来」を見通していることになる。私たちは先に、「過去」の肯定的な契機を変容させて「未
来」を構想していく「現在」の位相を<現在的未来」>と名付けた。この意味での<現在
的未来>に関連づければ、「未来」はこのようにあるべきだとして「未来」において実現さ
れるべき肯定的な契機が探求されることになる。そしてそのうえで、「現在」の肯定的な契
機があらためて評価されてくる。私たちはこうして捉えられた「未来」からの「現在」を、
<未来的現在>と呼びたい。
さて今までの論述のなかで、歴史的時間を「現在」を起点として「過去」へと遡る<現
在的過去>、「過去」から「現在」へと回帰する<過去的現在>、さらに「現在」を起点と
して「未来」を構想する<現在的未来>、「未来」から「現在」へと回帰する<未来的現在
>の四つの位相に区分して考察してきた。このようにあくまで「現在」に視座を定めて「過
去」と「未来」へ視線を向ける歴史認識は、「過去」と「未来」とをどのように関連づける
ことができるであろうか。例えば吉本は、次のように課題を提起している。
「内在(精神)史としてアフリカ的段階をおなじ眼の高さから内在化する課題が、同時に外在(文明)史的な未来を認知することと同義である方法を、史観として確立することだ」(『アフリカ的段階について 史観の拡張』)。
吉本では、「過去」へ遡ることと「未来」を構想することとが各々異なった次元のもとで
規定されている。それは前者では「内在(精神)史」であり、後者では「外在(文明)史」
として捉えられる。言い換えれば、人間の精神文化の肯定的な契機の根源を「過去」に遡
って探索することで、人間の「未来」における物質文明の展開を肯定的に基礎づけていく
ことが可能ではないかと問われている。「過去」の精神文化の肯定的な契機を「未来」の物
質文明の展開に不断に繰り込んでいくことで、「近代」以降の歴史的時間を組み直すことが
求められている。これが、「同義である方法」ということの意味であると解釈したい。三木
の次のような言説は、吉本のこうした提起と関連している。
「過去も未来も現在に働き掛けるものである限り、現在は単に過去からの時間の延長としてではなく、過去の方向から流れて来る時間と未来の方向から押し寄せて来る時間とが相接触し相撞著するところと考へられねばならぬ。現在はこのやうな矛盾の集中点として動的であり過程的である」(『哲学的人間学』)。
ここでは「現在」が、「過去」からの歴史的時間と「未来」からの歴史的時間とが交差す
る結節点として捉えられている。この三木の歴史認識に「過去」と「未来」における肯定
的な契機を見い出せば、「現在」は私たちの言う<過去的現在>と<未来的現在>とが双方
ともに認識し得る起点としての意義を持つ。そしてこの起点は、当然「過去」と「現在」
との肯定的な契機をともに「未来」へ向けて投企的に構想し得る肯定的な「現在」である。
私たちはこうした「現在」を、<過去的未来的現在>と呼びたい。吉本の言う「過去」へ
の「内在(精神)史」と「未来」への「外在(文明)史」も、吉本における<過去的未来
的現在>に基づいているはずである。
<過去的未来的現在>はすでに言及したように、具体的には私たちが吉本や三木ととも
に「近代」をどのように評価するのかということに結び付く。<過去的未来的現在>は、「近
代」が「過去」から「現在」にもたらした否定的な契機を識別しながらその痕跡としての
肯定的な契機と、加えて「未来」からの来るべき構想とが結実していく時間点である。そ
して<過去的未来的現在>は、第Ⅲ節の末尾で析出した<空間域>としての<場所的現在
>の視座と交差させることで、「未来」へ向けての「近代」の歴史的時間の様態を特定の「現
在」と「場所」という具体的な時・空間のもとで企図し得るように思われる。
「歴史的意識」から「危機意識」へ―<危機の基礎経験> ―あとがきにかえて―
私たちは第Ⅰ節の末尾で、三木清の「歴史的意識を與える事実」として「歴史の基礎
験」という概念に言及した。そして「現在」における「歴史の基礎経験」は、三・一一の
東日本大震災と原発震災ではないかと述べた。さらにこうした「歴史の基礎経験」から生
じた「歴史的意識」として、根源的な「近代」批判への指向を指摘した。「意識」の問題に
関連して、三木は次のようにも言う。
「危機は瞬間から瞬間へ飛躍する非連続的な時間に於て考へられることができ、かやうな時間は客観的時間でなくて主観的時間である。危機意識は客体に対する主観の超越の関係の意識として生じ得るものである」(『哲学的人間学』)。
さらに三木は「現代は危機として捉へられることによって最もよくそれの現在性を顕は
にする」(『哲学的人間学』)とも述べたが、根源的な「近代」批判としての「歴史的意識」
は、「危機意識」に裏付けられることで、三木の言うようにより「主体的」に自覚される。
この主体性は、「現在」から「未来」への歴史的時間の流れが「非連続的な時間」、つまり
私たちの言う肯定的な「未来」へと構想された<現在的未来>への「行為」として結実し
なければならない。「歴史的意識」は、こうした「危機意識」のもとで培われなければ、歴
史的時間の流れを「連続」から「非連続」へと質的に転換することができない。
そして「歴史の基礎経験」が東日本大震災と原発震災であれば、「危機意識」を生み出す
経験は、二〇一二年の第二次安倍政権の成立ではないだろうか。第二次安倍政権は、「過去」
から「現在」への歴史的時間の流れを否定的な意味で「非連続」とし、あるいは切断した。
私たちはこうした経験を、<危機の基礎経験>と呼びたい。この<危機の基礎経験>から
生まれる「危機意識」として、「現在」は一方で敗戦後の日本の「近代化」の歩み、あるい
は少なくともポスト冷戦期のいわば「空白」の歴史的時間を批判的に捉え直す指向と、他
法で「現在」に対する異議申し立てを肯定的な契機として<現在的未来>へと投企してい
く指向との二つを私たちは経験している。三木の言う「歴史の基礎経験」と「歴史的意識」
が、私たちの言うこうした<危機の基礎経験>とそこから生まれる「危機意識」へと展開
してこそ、吉本隆明と三木清の歴史論はまさに肯定的に「現在」において活かされると考
えたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study624:141028〕