「生活改善」でムラ再生  - 中米コスタリカの挑戦 -

戦後直後、日本の農村に導入された生活改善運動は、外からの援助に頼るのではなく、女性たちが小集団をつくって身近な課題を掘り起こし、かまど改良や保存食づくり、栄養改善といった実践を積みかさねた。一人ひとりが「考える農民」になることで、農村女性の地位向上をもたらした。そんな手法が21世紀の中南米諸国に紹介され、つぶれかけた共同体が再生する例も生まれている。

中米コスタリカは、九州と四国を合わせたほどの国土に490万人(2016年)の人が住み、「軍隊のない国」として知られる。私は昨年7月、首都サンホセの北西約70キロのプンタレーナス州ミラマールというまちからタクシーに乗り、山奥の共同体をめざした。
川の汚染によって数年前に閉山された露天掘りの金鉱山跡を経て、急な山道を1時間余りさかのぼる。アランシビアという村のはずれ、標高1200メートルの斜面に5軒の家が点在する集落がめざすAMAGRO共同体だった。雨期の午後はかならず雨が降り、セーターが必要になるほど冷え込む。コーヒー栽培にうってつけの気候である。
木造平屋建ての集会所に入ると、10人ほどの住民が集まっていた。
「この集会所も生活改善がはじまるまでは、だれも使わず朽ちかけていました」とAMAGRO代表のフランクリン・ヒメネスさん(50歳)は言った。
今は5世帯20人の住民が月に何度も集う。壁のペンキも塗り替え、屋根も葺き替えた。机や椅子も手作りした。雑草がきれいに刈り払われた庭の地面の下には5年前に浄化槽を設け、家々の下水を管で集めている。以来、どぶの汚水に発生していた蚊やハエが激減した。

廃墟になっていた集会所は美しく再生した。芝生の庭には浄化槽が埋め込まれている

 集落は1984年、農地改革によって36ヘクタールの農地を獲得した12軒が協同組合を結成して発足した。政府の支援で住宅やコーヒー農園、テラピアという淡水魚の養殖池などが整備され、コーヒーの売り上げから各世帯に賃金が支払われた。旧ソ連の集団農場コルホーズのような経営形態だった。
だが、経営が行き詰まって借金がふくらみ、組合の経営は破綻した。子どもの教育のためもあって、1995年ごろから1軒、2軒とまちに下り、5軒に減ってしまった。

国際協力機構(JICA)は2002年から、第3世界の地域振興の手法として「生活改善」に着目し、中南米やアフリカに広めてきた。従来の地域振興策は、家庭の収入を増やすことに主眼を置いたが、生活改善は生計と生活を区別し、かならずしも収入が増えなくても、創意工夫で生活の質を高めるというとりくみだ。
だが、中南米の農村は従来型の援助に慣れているから、その思想はなかなか理解されなかった。

AMAGROには2010年ごろ、農牧省のスタッフ3人が訪れて説明会を開いた。経済的な支援ではなく「考え方」を教えるだけだと聞いて、フランクリンさんも「お金がなくて豊かになれるわけがない」と最初は思った。だが、生活改善による日本の農家の変化を紹介するビデオを見て、「今あるものを使って、できることから変えていけるかもしれない」と思った。
AMAGROの人々は、山奥で借金まみれの苦悩の日々を送ってきたからこそ、わずかな「改善」に希望を見出したのかもしれない。日本でも条件の悪い地方の方が生活改善運動は盛んだった。

煙突を設けた改良かまどと、腰の高さにした洗い場(奥)について説明するフロールさん

 

フランクリンさんの妻フロールさん(44)はビデオを見て、台所の洗い場の位置を高くする例に注目した。自宅の洗い場は、太股ほどの高さで、腰をかがめて洗うから腰痛がひどかった。しかも煮炊きをするかまどと離れていた。洗い場をかまどのわきに移して、高さを腰の位置にかさ上げしたら腰痛が治った。かまどの煙で家中がすすけていたから煙突も設けた。薄暗い食堂の壁を抜いてカウンター型にしたら、風が抜けるようになった。
「新しい家でなければ快適にならないと思っていたけど、自分たちの力で、少しずつ改善できると気づきました」
牛や豚の糞をためてガスを発生させるバイオガスの施設もつくり、燃料代も大幅に節約できた。

家畜の糞でガスをつくる「バイオガス」プラントとフランクリンさん

 ロベルト・ベナビデスさん(62)とマルタ・ソラーノさん(56)夫妻は、共同体の外でしばらく暮らしていたが4年前にもどってきた。トタンの小屋に床はなく、雨が降ると家のなかまで水が入ってきた。まずはコンクリートの床をつくり、板切れで壁をつくって寝室や子どもの個室を設けた。
マルタさんは肥満で病気がちで呼吸も困難だった。それまでの食事はコメやマメ、ジャガイモなどの炭水化物ばかりだった。生活改善の活動で栄養の知識を学び、庭でさまざまな野菜を育て、サラダを毎日食べるようにした。塩や油、コーヒーに入れる砂糖を減らした。半年後、体重は71キロから61キロに減った。
「トウモロコシや豆は畑でつくっていたけど、野菜はバスで1時間半かかるミラマールで買ってたから、以前はめったに食べませんでした」と別の女性も振り返る。

ルイスさんの菜園。それぞれの家が小さな畑で自給用の野菜を育てている

 生活改善は、生計と生活を峻別し、カネ以外の部分で生活をよくするのが基本だが、AMAGROでは経済的な効果も生みだした。
住民たちは長年コーヒーを育ててきたが収穫は年々減っていた。生活改善を通して、毎年同じ仕事をするのではなく、少しでも能率を高めようと考えるようになった。収穫減の原因をさぐると、コーヒーの木の樹齢が25~30年に達していたからだとわかった。そこで少しずつ新しい木に植え替えた。数年後には収穫は3倍になった。化学肥料を半分に減らして有機肥料も使いはじめた。
「以前は個々人がバラバラで、毎年惰性で作業をつづけていた。生活改善によって、頭を使って、少しずつ確実に成長することや、お金を稼ぐより、人としてよりよく生きることが大事だと知りました」。子ども5人と平屋建ての家に住むルイス・ウレーニャさん(55)は話した。

AMAGROには子どもも多い。集会所の庭で遊んでいた10歳の女の子が「将来はお父さんとお母さんとコーヒーをつくりたい」と言うと、ほかの子たちも「私は果物をつくる!」「私は牛乳しぼる!」と応じた。以前は住民同士の会話も少なく、子どもが家の跡を継ぐことなど考えられなかったという。
かつての日本の農民もAMAGROの人々も、自ら大工仕事や土木工事、野菜づくりもこなす。「百姓」のもつそういった潜在能力を小集団を組織することで最大限に発揮させるのが生活改善だった。
消費生活に染まり、物づくりの技術と創造性を失ってしまった私たちはどうなってしまうのか。AMAGROの示した可能性は、現代都市住民の危うさを浮き彫りにしているように思えた。

<藤井満氏>東京都葛飾区生まれ。大学生だった1988年から89年にかけて内戦中の中米諸国を旅行。1990年から新聞記者として、能登(石川県)や熊野(和歌山県)、愛媛、島根、大阪などで勤務し、地方の農業や民俗文化などについて取材してきた。
著書に「北陸の海辺 自転車紀行: 北前船の記憶を求めて」「能登の里人ものがたり―世界農業遺産の里山里海から」など。

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