「私はだまされない」

著者: 小原 紘 : 個人新聞「韓国通信」発行人
タグ: , ,

韓国通信NO588

 NHK首都圏ニュースの振り込め詐欺キャンぺーン「私はだまされない」。NHKから「騙されるな」と言われるのは片腹痛い。
 公共放送NHKは身近にあるメディアとして強大な影響力を持つ。「不偏不党、真実及び自律を保障することによって表現の自由を確保」、さらに「健全な民主主義の発達のために公平さと中立性」を放送法は求めるが、NHKはそれとは程遠い存在になってはいないか。不偏不党、公平、中立を損ねた事例は枚挙にいとまがない。「一事が万事」という言うつもりはないが、教育テレビの番組改変事件、籾井会長発言、最近の「森友」スクープ記者の左遷問題の三つを象徴的な事件を指摘すれば十分だろう。
 「韓国通信」はこれまで、たびたび韓国の放送労働者の闘いを紹介してきた。韓国の二つの公共放送、MBC(文化放送)とKBS(韓国放送)が直面した政治権力と報道の自由の問題は、NHKと共通するものが多い。政府権力がいったん公共放送を手中にしたら、それを奪い返すことがどれほど困難なことか。韓国の二つのテレビ局の労働者たちは、奪われた放送の自由を「国民に返せ」と血みどろの闘いを繰り広げた。

<ドキュメンタリー映画『共犯者たち』>
 韓国のドキュメンリー映画『共犯者たち』を見て、腰が抜けるほど感動した。2008年、李明博17代大統領就任直後から始まったMBCとKBSに対する政府による干渉の実態と、5年にわたった両労組の闘いの記録である。
 監督はチェ・スンホ。登場人物は放送局を解雇されたジャーナリストたち、解雇した主犯の大統領の「共犯」役を務めた社長、役員たちだ。監督自らが社長、役員、さらには警護の間隙をぬって李明博元大統領にまでインタビューを試みる。
 「夜討ち朝駆け」という言葉がピッタリの突撃インタビューによって、社長たちの口から、政府が放送局を自家薬籠中のものとした事実、「解雇は止む得なかった」という発言が飛び出す。開き直り、逃げまどう経営者たち。インタビューでは最高権力者(大統領)をバックに出世した傀儡たちの驕りと無責任ぶりが白日の下にさらされる。
一方、解雇されたジャーナリストたちの口からは、怒りと無念さが噴出するが、決して絶望はない。

 MBC労組は6人の解雇者、100人を超す停職・懲戒処分に対して、前代未聞の170日間のストライキで闘った。チェ・スンホ監督(写真上)も解雇者のひとりだ。二つの組合の要求はそろって「報道の自由」と「天下り社長」の退陣要求だ。

<彼らは何と闘ったのか>
 1987年の「民主化宣言」以降、韓国社会は軍事独裁から民主国家として急速な発展をとげた。
 特に金大中政権発足後の自由と活気に溢れた空気を私も知っている。映画もドラマも音楽、新聞やテレビも自由な雰囲気の中で民主化を謳歌した。IMF外貨危機の最中だったが、学生運動、労働運動に続いて市民運動が成長をとげ、MBCもKBSも競うように社会問題をとりあげていたのが眩しかった。中でもMBCの「PD手帖」という報道番組は社会問題について調査、掘り下げる番組として評判だった。その「PD手帖」の制作担当者が今回の映画監督チェ・スンホ氏だった。
 2008年、李明博大統領の就任直後、わが国でも問題になった「狂牛病問題」が表面化。韓国政府がアメリカ産牛肉の輸入を認めたため、韓国社会は大いに揺れた。デモには子どもや主婦が参加、大統領退陣要求に発展したが、政府の実力行使によってデモは鎮圧された。デモを大きく報じ、「狂牛病」に警鐘を鳴らしたメディアに対する報復が始まった。大統領は両放送局へ新社長を送りこみ、抗議する組合員を解雇して露骨な組合潰しと報道への干渉を始めた。
 二つのテレビ局では抗議と処分が繰り返されたが、社員たちは粘り強く闘い続けた。

<暗闇の中で真実を照らす>
 注目されるのは今回の映画を製作した映像報道組織「ニユース打破」が設立されたことだろう。解雇者たちが集まり、徹底した調査にもとづく自由な言論空間を作り、御用機関となった公共放送が伝えない事実を次々と明らかにして脚光を浴びた。セウォル号事件、崔順実ゲートに対する執拗な追及は社会変革の原動力となった。
 2014年の「セウォル号事件」でMBC、KBSは政府の意向を受けて「全員救助」の誤報を伝え、信頼を失って「沈没」した。2016年10月、朴大統領の国政私物化に対する国民の怒りが爆発、翌年3月に大統領は罷免された。両労組の「放送正常化」運動がピークを向かえるなかで映画『共犯者たち』は一般公開。MBC、KBSの闘いは、真実を求め、権力者の不正を許さない1600万人の「ローソク」とともに闘われた。
 このドキュメンタリーは単なる闘争の記録ではない。また正義と不正義を勧善懲悪的な視点からのみ取り上げることはしていない。解雇者たちの病気、生活不安、苦悩が率直に語られる一方で、「傀儡」「かかし」になった経営者たちに語らせることによって、権力者の強がりの中に人間としての弱さと醜さがあぶり出され、ヒューマンドラマにも似た感動を与える。韓国での一般公開は多くの市民に感銘を強く与え、ドキュメンタリー映画としては異例の26万人が見、感動を呼んだ。
 『共犯者たち』の公開の後、2017年5月文在寅大統領就任以降も、MBC、KBSの闘いは続いた。両労組は広範な市民団体の支援を受け「放送の正常化」を目指し、さらに142日間のストライキを行い、前政権が送りこんだ社長の退陣、解雇者の職場復帰、経営の民主化の合意を勝ち取っている。そして何よりも驚くのはMBCを解雇され、この映画を作成したチェ・スンホ氏がMBCの社長に就任したことだ。解雇者から社長へという変身は、政府の侍女から国民の放送へと変わった劇的な変化を物語っている。

<やはりNHKが心配だ>
 このドキュメンタリーをNHKの職員に見て欲しいと思った。頭のいいNHKの諸君は、NHKの経営者は政権の「まわしもの」などでは決してない、NHKは公平、中立だ。韓国は民主化が遅れている。報道をめぐる解雇者や配転などはないと言い募るかも知れない。映画では、「共犯者たち」は天下り経営者たちを指すが、NHKに勤めていながらNHKが見えないなら、あなたも共犯者だ。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8377 :190212〕