「第三弾目のトラック隊は福島(四倉)に行きました」などー連帯・共同ニュース

2011年4月11日 第104号 
第三弾目のトラック隊は福島(四倉)に行きました

◆第3次東北支援トラック隊は日本レンタカーで2トンのコンテナトラックを借り2台にして行くことになりました。前日に2班に分かれて1班は箱根強羅においしい水を1トン汲みに行くことになり、こちらは正清さんや江田さんなどが出掛けていただいたのですが、100個(10㍑の容器)分の水を用意できました。「嬰水の水」となづけられた名水で、オーナーの方ともいろいろ話をしたそうですが、今後も協力していただけるとのことだそうです。もう1班は岩槻のパルシステムに約1トンの野菜と果物を提供していただきに行きました。こちらは下山さんにご紹介していただいたのですが、パルの方のご配慮だったのかすでに50箱くらいに大方の品目毎に小分けされてあり、ぼくら(妻と)はただ段ボール箱に何が入っているかマジックで表書きしてクラフトテープで閉じるだけの作業でした。品目は、たけのこ、茄子、リンゴ、夏みかん、バナナ、苺、ほうれんそう、小松菜、水菜、白菜、じゃがいも、大根、キャベツ、キクラゲ、人参、パセリ、その他でほぼ1,5トンの荷室は満杯になりました。さらに今後も毎週ご提供いただけるのだろうかと驚きました。改めてお礼を申し上げます。 

◆ 今回も常磐道を通っての道行きでした。四倉のインターチェンジから街に入ったのですが、そこから先は30㌔圏内ということで交通止でした。午後1時半頃、2台のトラックは四倉の海水浴場からたった20メートルしか離れていないけれど高台にあるために助かったという老人ホームに行きました。海水浴場の周辺には瓦礫の山が目につき災害の後も残っていました。老人ホームでは小雨の降る中で8割がた野菜や果物や飲料水を下ろしました。会議室で熱いコーヒーなど振る舞われて施設長とガイガーカウンターの数値などについて話しあったりしました。福島脱原発ネットワークの佐藤市議も相変わらず忙しそうだったけど爽やかな青年のような顔を今日はしていました。もう1箇所は小名浜港まで小1時間程南下したところにある小さな地区労組の事務所で、勤労青年会館の昔ながらの古い木の看板のかかった40年前の田舎の集会所みたいな敷地の端っこのプレハブに残りの2割くらいの野菜と果物と飲料水を下ろしました。どちらにもちゃんと生協のパルシステムさんからの提供であることを伝えています。被災者の組合員が首を切られて困っているらしい。組合員は18人とその家族だって言っていました。

◆ やはり市の災害対策本部には支援物資が山積みされているのに市の職員の手が足りなくてしばらくは末端まで配布されてはいないとのことでした。以前はガソリンや車がないためといわれていましたが、人手も足りなくて隙間ができているという印象でした。その労組地区長の言うには会社の経営者は従業員を市の災害対策本部にボランテイアに出せば解雇しなくても良かったのにとのことでしたがその通りだという思いです。何処に行ってもぼくらは喜ばれるみたいです。正清さんと三上さんの行く先々でぼくらの団体の行動の説明に熱がこもっていました。

◆  帰りは月刊コモンズの恵氏と2人でいわき市湯本温泉ホテルに泊まることにしたのですが、湯本駅の観光案内で聞くと「このご時世でどこの旅館も日帰り温泉しかやってないし泊まりも夕飯はない。」とのことでした。変だなあと思ってよく聞くとスーパゼネコンがここら一体のホテルを全部借り切っているからだそうだ。東電でしょと突っ込むとそれは言えないって笑うのだが原発で働いている人々だと言う。つまり東電の下請けか孫請けの所謂テレビ言っている協力会社の作業員の人々なのです。取材できるかなと聞いたら皆口が固くて無理だと言われたが、湯船に浸かっていたらそばで現場作業員らしい肉体をした人々が85キロあったのに2週間で10キロ減ったと仲間にぼやいていました。30代や40代の若い人もいるのですが、原発で闘っている人々のためにと4月12日には1Fラウンジで東京からジャズバンドを呼んで演奏会が催されると言っていました。せめて渡辺貞夫バンドだったら国民は納得なのだが、否本当に彼らを慰問する気があるなら東電は身銭を切って渡辺貞夫バンドを呼んでやるべきなのにね、というのが偽らざる感想でした。

◆  さて市内の道路を走っているとまるで津波も地震も福島原発もまるで何もなかったかのように街並みの風景は東京郊外と同じだしいかにも平穏な日常そのものといった感じでした。まるでぼくは拍子抜けだった。たしかに四ツ倉インターを降りると急に自衛隊の兵站輸送用の幌を被った大型トラックを何台か見かけたけど、1万人の行方不明者の捜索はどこでやっているのだろう。それとももう彼らは全員波にさらわれて海の向こうの遠くの方に沈んでいるのだろうか。あまりに惨いと感じられるのはぼくだけなのか。海岸線から少し山間に入ったところののんびりした家々の庭には今が見頃と桜が満開で穏やかな時間が流れています。街を行き交う人々の顔に不安はなく何処か知らないところで誰もが知らないうちに順番に死が待っているだと言いたげにおもえました。ああぼくは福生に帰って多摩川の土手に土筆を採りに行こう。いつも毎年そこら一帯は菫やたんぽぽがいっぱいに咲き乱れているはずなのにどうしたのだろう。来週もう一度行って見よう。ああ家の前の玉川上水の鯉達も一斉に姿を消している。(文責 長船青治)

■ 4月10日(日)には東京では大規模な二つの集会とデモがあった。一つは芝公園で行われたもので、「原発を止めよ大集会とデモ」だ。これは芝公園から産業経済省や中部電力東京市支社。東京電力本社前等を通り常盤橋公園までのコースで行われた。5千人の人々が参加する大きなデモとなり、「浜岡原発止めよ」という声が都心に響きわたっていた。もう一つは高円寺一体で展開された「反原発集会」でこちらは万を超す人々であふれかえっていた。高円寺公園での集会のあと、いくつもの挺団になった高円寺周辺をデモし、原発に対する抗議の声をあげていた。こちらは若い人たちが中心でバンドあり、楽器ありでエネルギーに満ちていた。放射能を垂れ流して原発災害を広げている福島第一原発に対する人々の怒りは今後ますます大きな声となっていく。これらについては詳しい報告はあらためて行いたい。

——————————————-

2011年4月12日 第105号  
大震災対応をはじめとする重層的な行動が要請されている

■ 高円寺駅の周辺は若者たちの姿であふれかえっていた。4月10日のことだ。チンドン屋風の出で立ちで音曲をかき鳴らす一団もいれば、楽器を奏でる人たちもいる。別に桜まつりというわけではない。現在も続く福島第一原発の災害に抗議し、政府や東京電力の対応に異議申し立てをする人々の集まりと声である。1万5千人超える人々は高円寺一体をデモ行進した。ネットメディアを中心にするしかも短期間の呼び掛けでこれだけの人達が結集するのは驚きだが、それだけ原発の動向、政府などの対応への危機感の浸透を物語っている。また、芝公園には3千人を超す人々が集まり、「浜岡原発の稼働停止」を中部電力などに要求した。福島第一原発は依然として予断を許さぬ状態にあるが、その危機感の中で人々の原発への声は高まってきている。 

■ 4月11日で東日本大震災から1カ月が過ぎたが、今、僕らは何をなすべきか。僕らの内部でも周辺でもいろいろの声や意見もあり、また行動も存在している。こうした中で僕らがなすべきことはなにか、また、可能なことは何かと自問すればこういう応えがさしあたりの事として出てくるのではないか。それは大震災救援や復旧を含めた重層的な行動ではないかということだ。あれかこれかではなくて、あれもこれもである。これを示せば次のようになるかも知れない。

■  「9条改憲阻止の会」の立ち上げ時の世話人であった山田恭暉さんからの提案のなされている「原発暴発阻止行動プロジエクト」がある。これは専門家(技術屋)を結集し福島第一原発の暴発阻止に向けた具体的提案であり、僕らはこれのために注力をそそがなければならない。また、現在稼働中の「浜岡原発」の稼働停止を実現することである。人々の声を結集し、意志表示も含めた行動を組織して行くことである。これらは東日本大震災が原発災害として続いている現状あるいはそこから波及する事態に対する対応である。福島第一原発の暴発阻止、浜岡原発の稼働停止を火急のこととして提示し、その具体的行動を展開することだ。さらに東日本大震災緊急救援市民会議の行動として第3弾までなされている支援活動を継続することである。これについては第4弾,5弾がなされなければならない。また、大震災で休止のごとくみえる沖縄の基地問題への取り組みを継続して行く必要がある。選挙支援もある。原発対応、救援活動、沖縄基地問題、選挙支援等を重層的な行動として展開することが現在の必要事である。具体的であることをこころに置きながら多くのことに対応した行動こそが今は要求されているのだ (文責 三上治)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1329:110413〕