<なにゆえ市民社会なのか>
●第一次ロシア革命(1905~1907)とウェーバー
M・ウェーバーは、「血の日曜日事件」を発端とする帝政ロシアの革命的動乱を追跡しつつ、市民的自由主義の担い手となる勢力を事態の展開のなかに析出しようとした。そのことを主題とする論文「ロシアにおける市民的民主主義の状態について」 (1906年)に簡単に触れる。
ロシアにおいては資本主義の発達にともない労働者階級が形成されていくのでラジカル・デモクラシーが、また農村共産主義(オプシチーナ)に依拠するナロードニキ系譜の社会革命派が、今後主導権を握っていくであろうという見通しをウェーバーは立てる。しかしウェーバーは、農村共産主義は、近代的な意識とは異なる家父長制と一体のものと考えていたので、そこに進歩的な意義は認めなかったようである―マルクス「ヴェラ・ザースリッチへの手紙」との比較。ウェーバーは、レーニン的ラジカリズムの方向性は「下士官の独裁」=「人民専制」で、実質的に「ツァーリ専制」と変わらない権威主義国家化を招くであろうと予測していた。そのうえでレーニン派でもなく、社会革命派でもないリベラル・デモクラシー=市民的民主主義の可能性をロシア革命のなかに追究するというのが、ウェーバーの立場であった。ウェーバーは1905年成立したブルジョア階級の自由主義分派であるカデット党(立憲民主党)を支持。かれらは親英仏であり、市民社会や法治国家の概念を重視した。
――筆者・野上の問題意識=ソ連邦崩壊の一因として、革命後70年にしてついに本格的「市民社会」形成に至らず、党―官僚制を克服できなかったことがあるのではないか。
●ボリシェビキ革命、西欧への波及ならず―イタリアのグラムシらの総括と革命戦略の再構築の試み
帝政ロシアの統治構造は、国家機構のみが屹立しているだけで、それを支える市民社会の裾野が形成されていないため、危機に際して脆弱性を露呈、したがって権力の暴力的打倒は相対的に容易だった。しかし市民社会が成熟している西欧では、市民社会領域でのヘゲモニー争奪のための陣取り合戦(陣地戦)の帰趨が、革命の勝敗を決する。中央の権力闘争だけでなく、地方・地域での政治的陣地の構築や、国民・市民の同意調達のための知的道徳的な優位性の確立の重要性。対独レジスタンスを経て、戦後イタリア政治に重要な一角を占める~しかしイタリア共産党は、1970年代の「ユーロ・コミュニズム」や「歴史的妥協」路線を経て、1991年解党し、社会民主主義政党へ。席捲する新自由主義に対し、一国的な国家―市民社会の枠内では有効な対抗戦略を打ち出せず、敗北していった。
<改革開放と中国市民社会の形成>
参考文献:李妍焱『下から構築される中国 ――「中国的市民社会」のリアリティ――』明石書店 2018年、「中国の市民社会」岩波新書 2012年
駒澤大学の李妍焱氏は、日中両方に目配りする複眼的視点を確保しつつ、中国の発展の鍵を握るものとして、中国独自の下からの市民社会の形成・成熟過程を追跡する。停滞と混迷の度を深めつつある日本の市民社会にとって、中国社会のもつエネルギッシュなイノベーションへの試みは、大いに参考にすべきであろう。
●毛沢東時代―個人は、職場単位システムで囲い込まれた、「管理と動員の対象」としてのマスmassから、改革開放時代になって「個人化」=個人の選択肢と活動空間の広がり、しかしその一方利己的で公共心に欠け、近代的な自我の未成熟の現状。日中共通すると思われるのは、アジア的なconformism(大勢順応主義)、同調圧力の強い精神風土との闘いではないか。
日本における、高度資本主義における大衆社会化状況と近似している。個人の原子化・孤立・孤独、社会関係の希薄化とアモラルな状況(今だけ、金だけ、自分だけ)、「オンラインの賑やかさとオフラインの孤独」(王建民)、荒廃したコミュ二ティの再構築の不可欠性。
―→日中に共通の課題=孤立化した抽象的な個人が、自律的人格を不可欠の契機としながら、人倫性=より普遍的な社会性・共同性を獲得する歩みをめざす、ヘーゲル市民社会論を参照点として。
●市民社会を「公益圏」と呼ぶ中国的な独自な文脈(例えば、権利ではなく権威、法治ではなく人治とか)―公益実現に自覚的に取り組み、自我の確立と自己実現を模索しつつ、下から―ボトム・アップの新しい社会規範と社会関係を創造していく過程を追跡。その新しい社会創出の担い手にスポットを当てる。
―→日本の左翼の病弊だった観念性、理論偏重(訓詁解釈学)、上からの発想と距離を措き、フィールド・ワークの手法で事象と人物に貼り付き、変革主体形成の可能性を見究める、優れた李氏の研究実績。これは対象が日本の市民社会であっても通用する方法であり、対象が受動的な与件としての在り方を超えて、調査主体との相互作用によって対象のもつポテンシャリティを可視化させる作用を持つのかもしれない。
<市民社会形成における中国的特徴>
●中国的公共性概念=天理にかなうこと。天理とは「万民の均等的生存」を保障する正当化の原理、これから王朝が外れれば、打倒されてもやむをえない(孟子の易姓革命)。西欧の公共性概念が個人の権利を出発点とするのと異なると、李氏は強調する。
筆者・野上の私見になるが、儒教的伝統の修身斉家治国平天下=修養と、ヘーゲルの教養との違い(権利なり、自由なりを自明の原理とする)。五倫五常の中国的人倫とヘーゲル的人倫のちがい。しかし儒教的人倫はあくまで家族的原理に執着するものであり、広い公共的空間を獲得するには自己変革が必要ではないか。中国官僚層におけるすさまじい腐敗汚職は、儒教的な家族=宗族原理と切っても切れない関係にある。こうした中国的伝統の負の側面に、李氏はまったく触れていない。
●法による規制と国家への取り込まれ(権威主義体制による制約)。「慈善法」の意義と限界。慈善事業やボランティア活動が中国社会に急速に浸透する中で、その健全な発展を促進するための基本法として、2016 年に制定された「慈善法」。政治と公共的事業を独占してきた党権力から、市民社会が公益事業に参与する法的な根拠をもぎ取ったという意味で大きな前進。しかし他方でそれは国家権力に取り込まれ、監視と管理の制約を受けるという負の側面もある。
●日本の市民社会が学ぶべきと思われる中国的特徴
西洋型市民社会を範型とする日本の市民社会では、競争よりも協働・協同、効率性よりも人間性優先を優先させる。市民社会のうちに市場原理を取り込もうとする中国とはちがって、日本では市場ではなく、市場の失敗(環境や貧困、差別など)に対処するのが市民社会と考える。市場原理に取り込まれるのを、極力回避しようとする。西洋型市民社会では、公共圏の特質を言論・コミュニケーション空間の開放性に求め、市場経済とは別個の領域設定をするーハーバマス、アーレント。
毛沢東時代の機械的平等主義から能力主義への転換。しかし筆者・野上それは社会の活力を引き出す利点があるものの、新自由主義への傾斜とあいまってアジア的現象ともいえる受験地獄-過剰競争招来するという大きな負の側面を持つ~若者文化の衰退、将来の社会目標の喪失。
中国のエネルギッシュな躍進を支える、市民社会における市場制度の大胆な活用(公益市場主義)、ビジネス・モデル化、ソーシャル・イノヴェーションの興隆など、日本の市民社会が必ずしも得意としない領域での多くの実績に学びたい、反面教師という意味でも。
国家体制比較
◎中国における統治形態―法による支配rule by law=権威主義的支配(制限付きでも市場の自由の原理と市民社会空間を内包している)
上・左が、改革開放後体制構造、右・上が、公益社会としての市民社会の位置
▼権威主義国家にとって、言論の自由の制限と監視・検閲制度は不可欠――しかし市民社会の形成と発展を阻害するもの、ソ連邦は革命後70年たっても、まともな市民社会形成できなかった。
◎西洋型市民社会=自由(意志)が体制的出発点、法の支配rule of law=合法的支配(←→伝統的支配、カリスマ的支配)
▼文明国家として民主主義の必須条件―普通選挙とその結果に基づく責任能力ある政府の選出
政府の機能転換―統治権力の市民社会への権限移譲~市民自治の拡大
複数政党制のもと政党は、政府と市民社会の機能的媒介者、すなわち政府側からの民意の調達機能=民意の政府への伝達機能
中国との国際関係―①地域・国家の安全保障、②企業利益―自由貿易体制の維持、③市民社会の人権等の要求充足、の三領域を同時に満たすという課題を日本に負わせている。官僚主義との闘いは、日中共通。
※おそらく、近年習近平が権威主義的支配を強化してきたなかで、下からの市民社会形成の条件は悪化しているであろう。いや、だからこそ中国市民社会がどのようなサバイバル戦略を持ち、運動を展開しているのか、ますます関心が湧くところである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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