あの「3.11」大震災と原発惨事から2か月が経った。大惨事後の新聞投書から見えてくるものは何か。脱原発・自然エネルギー重視をひたすら望む声であり、同時に安全神話に安住して原発惨事を招いた政官財を厳しく批判して止まない姿勢である。これらの声や姿勢は、大惨事をきっかけに突如現れてきたわけではない。少数意見にとどまっていたとはいえ、かなり以前から健在であった。それが「3.11」を境に奔流として広がりつつあり、日本人の大きな意識変化と理解したい。
脱原発と自然エネルギー重視は、合い言葉「簡素な暮らしと経済」につながっていくほかない。この賢明な路線は原発推進派の貪欲・破滅型路線と明らかに対立している。どちらの路線の一員として人生を全うするか、一人ひとりの望ましい生き方の選択が問われている。(2011年5月12日掲載)
以下、新聞投書欄(朝日、毎日両紙)に映し出された「9.11」大災害と原発惨事にかかわる「世論」を追跡する。投書者の氏名と掲載紙名は省略する。
▽ 中部電力浜岡原発の停止を歓迎する
菅直人首相が5月6日、大地震の可能性を理由に中部電力浜岡原発(静岡県)の全炉停止を要請したことに対し、中部電力は臨時取締役会議を開いた末、停止を受け入れた。新聞投書は「停止歓迎」の反応を示した。ここでは投書者の職業、年齢、住所のみを記す。
*浜岡原発停止機に脱原発せよ(主婦 67歳 神奈川県伊勢原市)
中部電力が要請を受け入れたのは喜ばしい。政府はこれを機に脱原発を進めてほしい。(中略)もし東海地震が発生し、震源域にある浜岡原発の事故が起きれば、人口密集地域の数千万人が影響を受け、多数の被災者が出て、経済活動も滞る可能性がある。国土は汚染され、政治・経済の中枢がまひし、国家の存亡にもかかわりかねない。
推進派は原発がないと電力が不足し、経済が混乱すると言う。だが福島の補償問題をみても、原発は超高額エネルギーだ。水、空気、土などの汚染も手に負えない。政府は今こそ代替エネルギーを推進し、脱原発を進めるべきだ。
私は「危険・便利」より「不便・安心」を選ぶ。愛する子や孫、今と未来に育つすべての子どもたちに、清らかな水や空気や土を伝えていくために。
*反原発、まだ間に合うのなら(主婦 59歳 広島県廿日市市)
チェルノブイリ(旧ソ連領)原発事故の1年後に一主婦が、原発の恐るべき影響の深刻さを学び、思いを手紙形式でつづった小冊子「まだ、まにあうのなら」(地湧社)は私の原発を考える原点だ。チェルノブイリ事故から25年、私は原発に強い意識を持ってきただろうかと自問する。
国と電力会社の絶対安全というPRに疑問を抱かず、うのみにしてきたのではなかったか。山口県上関(かみのせき)町に中国電力が原発を建設しようとしているが、その予定地沖の祝島ではお年寄りが力を振りしぼり反原発の声を上げている。穏やかな自然豊かな瀬戸内海に、果たして原発は本当に必要なのか。
今こそ私は、瀬戸内海を愛する一人として、反原発に立ち上がる人々の姿に、多くの人が真剣に目を向けてほしい、と訴えたい。まだ間に合うのなら・・・。
<安原の感想> 望ましい選択は「不便・安心」、「豊かな自然」
なぜ反原発・脱原発なのか。その実現のためにどういう選択があるのか。その答えは二つの投書に盛り込まれている心情が余すところなく語っているのではないか。
一つは<「危険・便利」より「不便・安心」を選ぶ。愛する子や孫、今と未来に育つすべての子どもたちに、清らかな水や空気や土を伝えていくために>である。特に「危険・便利」より「不便・安心」を ― という選択は、これからの日本人としての生き方、暮らし方、ひいては経済のあり方も含めて、その望ましい方向を示唆している。
もう一つは<穏やかな自然豊かな瀬戸内海に、果たして原発は本当に必要なのか>という疑問である。実は私自身、瀬戸内海に面した地域で生まれ、育ったという事情もあり、この投書の願いを共有したい。
▽ 原発事故は「政官民=政官財の共同責任」だ
ここでは原発事故の責任は「政官民=政官財の共同責任」という視点からの投書(見出しと要旨のみ)を紹介する。
*原発事故、政官民の共同責任=政府が経済産業省幹部の電力会社への再就職自粛を通知した。該当者は本省幹部や資源エネルギー庁部長以上、原子力安全・保安院の審議官以上を経験した職員ら数百人規模になる。天下りによって、電力会社の役員や役員含みの顧問などに就いており、官民癒着も甚だしい。(中略)今回の事故は、政官民の共同責任ではないか。
*原発推進勢力の責任を問う=自民党時代に通産相などを歴任した与謝野馨経済財政相は、謝罪するつもりはないのかと記者会見で問われ、「ない」と答えた。心の痛みを感じないのか。国の原子力政策に率先して協力してきた政官財の関係者も、学者も多数いる。(中略)甘い汁だけ長年吸い、重大事が起きてもろくに責任追及もされないのでは国民はやりきれない。
*自民党は自らの責任を自覚せよ=自民党政権下で推進された原子力発電。自分たちにも責任があると自覚している自民党議員はどれほどいるか。
*自民党は原発被害者に謝罪を=安全性を強調する余り「地震の際は原発に避難するのが一番安全」とまで口にした議員もいる。
*東電役員大半が辞めるべきだ=事故発生後の東電の対応のまずさも深刻化に拍車をかけた。東電の官僚的体質は改善されていない。人心を一新させる必要がある。
*原子炉メーカーの説明聞きたい=放射性物質の放出が続く原発の原子炉メーカーは米GE、東芝、日立などだ。メーカー側からみた現状の真相と見通しを生の声で聞きたい。
*反原発デモ なぜ報じないのか=東京・高円寺での反原発デモ行進(1万5千人参加)を新聞、テレビは報じなかった。ドイツなど外国の反原発デモは報道するのに。
<安原の感想>
原発事故の責任は主として誰が負うべきなのか。これは決して軽視できないテーマである。結論を言えば、いうまでもなく原発への反対、疑問の声に耳を貸さず、「国策」と「安全神話」の旗を押し立てて強行してきた原発推進派の責任である。
一口に原発推進派といっても、その構成メンバーは多様で、政官財=政官民(「民」には東電など電力会社はもちろん日本経団連などの経済団体、民間企業も含む)のほかに大学の学者・研究者、新聞・テレビなどのメディアまで含む。特にメディアへの不満・批判はかなり広がっており、上述の「反原発デモ なぜ報じないのか」などはその具体例である。
▽ 安全神話の崩壊、そして脱原発・自然エネルギーへ
原発の安全神話が崩壊した以上、脱原発・自然エネルギー重視が次の重要な課題とならざるを得ない。ここでは自然エネルギーへ転換していく具体策を投書の中から紹介する。
*自然エネルギー重視に転換を(無職 63歳 奈良県田原本町)
原発は一度事故が起こってしまえば、広範囲に、しかも長期間さまざまな被害をもたらすことが明らかになった。たとえ事故がなくても、原発は使用済核燃料や放射性廃棄物を生み出し、それが蓄積され続ける。この処理を未来の子どもたちに委ねたまま、現在の私たちの生活を続けていいものだろうか。
太陽光発電設備の増設などにより、原発への依存軽減は十分可能である。我が家では14年前、屋根に3㌔㍗のソーラーシステムを取り付けたが、家庭の使用電力の約90%はこれで賄えている。国は本気になって自然エネルギー利用システムをさまざまな場所に設ける方向にかじを切る時だ。
*原発20㌔内 太陽光発電エリアに(元大学教員 79歳 東京都杉並区)
もし福島第一原発の半径20㌔圏内の陸上に、可能な限り太陽電池パネルを敷きつめれば、私の試算では原発10基と同程度の発電量が得られる。「原発1基分の電力を賄うには東京の山手線内にパネルを敷きつめる必要がある」というが、20㌔圏内の立ち入り禁止区域はその10倍ほど広い。
昼夜を問わず稼働する風力なら、日本では太陽光の10倍以上の発電が可能という。風は強弱もあるが、広範囲なら平均化し、問題はない。欧州には風力だけで電力の相当部分を賄っている国もある。また中小水力発電でも原発十数基分の発電量が得られるだろう。地域エネルギーの自立・活性化にも役立ち、適地の多い日本は真っ先に開発すべきだ。
その他、地熱もバイオマス(生物資源)もある。「自然エネルギーだけで原発依存を脱することはできない」というのは思いこみにすぎない。日本のエネルギー政策が原発に偏りすぎ、自然エネルギーの開発を怠ってきたことから生じた誤解と思う。原発の電力は安いと言われているが、廃炉や放射性廃棄物の費用などを勘定に入れると飛び抜けて高い。
*団地屋上に太陽光パネルを=日本各地に大規模な住宅団地がある。その屋上の面積は膨大で、そこにソーラーパネルを設置することを提案したい。屋上を電力会社に賃貸し、パネル設置は会社が行えば、住民が高額の出資をすることは不要となる。
<安原の感想> 2011年を「自然エネルギー育成」元年に
原発の安全神話は原発大惨事という事実によって崩壊した。ところが太陽光など自然エネルギーへの転換となると、思いこみや誤解が少なくない。特に上記の元大学教員の<「自然エネルギーだけで原発依存を脱することはできない」というのは思いこみにすぎない>という指摘に着目したい。こういう思いこみはかなり広がっているのではないか。現在の総電力供給量のうち自然エネルギーによる電力はわずかに3%程度にすぎない。
特に欧州諸国に比べてなぜ低水準にとどまっているのか。理由は原子力推進派が自然エネルギー推進を怠ったからである。要するに毛嫌いして育てようとしなかったのだ。折角誕生した赤ん坊も懸命に育てなければ成長しないのと同じである。「3.11」という悲劇の2011年を「自然エネルギー育成」元年にすることを期待したい。
▽ 脱原発とともに暮らしをどう変えていくか
脱原発をめざすとすれば、当然我々日本人としての日々の生き方、暮らし、経済のあり方も含めて変革を伴うことは避けられないだろう。どう変革していくのか。
(1)まず二つの投書から
*事故の一因、我々の生活にも(無職 75歳 長崎市)
考えてみよう。電力会社に原発を造らせたのは誰だったのか。際限のない便利さや快適さを追求してきたのは誰だったのか。不必要に大きなテレビ、大型冷蔵庫、四六時中つけっぱなしのエアコン、夜通し稼働している自動販売機、派手なネオン、延々と連なる高速道路の電灯など、みんなが要求し続けた結果が、いまの事態とはいえないか。
原発をなくすために私たちはどのような生活をしなければならないか、よく考えようではないか。
*私は原発造らせた覚えはない(無職 74歳 東京都板橋区)
「事故の一因、我々の生活にも」に反発を感じた。私たちはエアコンなしでは暮らせぬ都会の家に住まざるを得なくてエアコンを買わされた。地デジテレビも要求したことはない。私は布団カバーやシーツ以外は手洗いだから、二槽式洗濯機で十分。それが壊れて買い替えようとしたら、店頭にあるのは、ほとんどが全自動、乾燥機付きである。業界の思惑で、ぜいたくな家電だらけの生活に追い込まれていると痛感した。
原発をなくすためにはどのような生活をしなければならないか、よく考えようという意見には賛成だ。しかし原発を国策として推進してきた政官財の口車に二度と乗らないように心すべきだ。
<安原の感想> 内輪もめはこの際、返上しよう!
一見相反するようにもみえる二つの意見は、実は入り口は違っていても出口は同じといえるのではないか。前者は自己反省が強く、自分自身の暮らしをどう変えていくかに重点がある。後者はすでにシンプル(簡素)な暮らしを心がけており、それだけに政官財への批判に傾斜している。
私個人としての心情を言えば、日常生活も含めて後者に近い。大事なことは大局的見地に立って両者が握手することである。内輪もめはこの際、返上しよう! 内輪もめを歓迎するのは、それこそ政官財の曲者たちである。癒着関係にある政官財にこそ目を光らせて、「口車に二度と乗らない」だけの覚悟が求められる。
(2)どう暮らしを変えていくか。
*文明に頼る生活を見直そう=いつの間に、人間は文明の利器がなければ生きていけない弱い動物になってしまったのか。我が家には車がない。夏や冬でも、できるだけエアコンのスイッチを入れないようにしている。単に省エネではなく、その方が身体に良いと思っているからだ。
*電力消費は元に戻さなくていい=自動販売機、トイレの手の乾燥機、一日中鳴り続けるBGM(バックグラウンドミュージック)・・・気が付くと、なくてもよいものがあふれている。原発事故の犠牲を明日への糧に変えるなら、節電の必要がなくなっても、元の生活に戻さなくてよいと思いたい。
*シンプルに暮らしたい=節電・節水・節約は財布にも優しく、地球にも優しい。人間の欲望にはきりがない。しかし欲しい物と必要な物は違うことを認識したい。世界には紛争が続き、飢餓に苦しんでいる国もある。そのことを思えば、平時であっても節約を心がけたい。必要なものだけに囲まれるシンプルな生き方を続けていきたい。
*新しい生活様式を模索しよう=ネオンやライトアップの廃止、屋外自販機の撤去、自動ドアの廃止など。可能な限り夜間は自宅にいて、「太陽と共に活動し、沈む太陽と共に休む」日常にしていく。
*感謝して「今」を存分に生きる=ありがたさを知ること。苦しんでいる人を忘れず、感謝の心で恵みを「頂いている」と思うよう努めている。
*計画停電で知った星の美しさ(中学生 東京都立川市)=停電で外も暗かったが、空を見ると星がすごく美しかった。感動した。夜のネオンが美しいという人もいるが、私はありのままの美しい自然が好きだ。地震は悲劇だけじゃなく、大切なことも教えてくれた。
<安原の感想>大惨事に教わった「簡素な暮らし」と「夜空の星の美しさ」
「文明に頼る生活を見直そう」、「電力消費は元に戻さなくていい」、「シンプル(簡素)に暮らしたい」、「新しい生活様式を模索」など表現は多様だが、要するに簡素な暮らしに変えていくことでは一致している。ユニークなのは「太陽と共に活動し、沈む太陽と共に休む」である。現代の文明社会でどこまで可能か、その実践記をできれば読ませてほしい。
<感謝して「今」を存分に生きる>にも注目したい。多くの日本人は「感謝の心」を見失っているのではないか。原発エネルギーに執着するのは、感謝とは無縁の貪欲な生き方であり、破滅への道でもある。「脱原発」と「感謝の心」は車の両輪ともいえる。
もう一つ、<地震による計画停電が教えてくれた「星の美しさ」>(中学生)は素晴らしい。そのみずみずしい感性を自らの努力でさらに豊かに育んでいくことを期待したい。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(11年5月12日掲載)より許可を得て転載
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