「振り上げたこぶし、ひとまず下し。逆風のオバマ氏、渡りに船とばかり」-信濃毎日新聞9月21日夕刊の短評である。内戦中のシリアの首都ダマスカス近郊ゴウタ村で8月21日未明化学兵器が爆発、米発表では1429人が死亡するという惨事が起きた。オバマ米大統領は、シリア政府軍が猛毒ガス「サリン」で反政府系の村を攻撃した結果だと断定、シリア懲罰の軍事攻撃を決断し同盟国に同調を呼び掛けた。
しかしこの呼び掛けは内外から不評を買い、最も頼りになる同盟国の英国でさえ下院が同調を拒否、相次いで行われた米国内世論調査も軒並み介入反対が多数を占めた。イラク、アフガニスタンとイスラム圏への軍事介入が失敗したことへの米市民の反応である。これで超大国といえども米国が今後、イスラム圏への軍事介入することは事実上封じられたと言えよう。
肝腎の米議会も与党民主党が多数派の上院はともかく、野党共和党が多数を握る下院ではシリア攻撃が承認されるかどうか疑問視された。米軍最高司令官の大統領がシリア攻撃を決断したのに議会の支持を得られそうにないとなれば、大統領の面子は丸潰れである。「振り上げたこぶし」の始末に困ったオバマ大統領に救いの手を差し出したのは、ロシアである。ラブロフ・ロシア外相が9月10日、シリアの化学兵器を国際管理下に置くことを条件に、米国にシリア攻撃を見合わせるように提案、米国は直ちにこれを受け入れた。
ケリー米国務長官とラブロフ外相は9月12日からジュネーブで3日間にわたって連続会談、シリアが保有する化学兵器を国際管理下に置き、来年半ばまでに完全廃棄する枠組み合意をまとめた。これを受けてシリアのアサド大統領は9月18日に放映された米FOXテレビとのインタビューで、米露合意を順守する方針を明らかにした。シリア政府は同20日、米露合意にそって手持ちの化学兵器の所在と分量をオランダ・ハーグにある化学兵器禁止機関(OPCW)に申告を始めた。化学兵器廃棄履行への第一歩が始まった。
アサド政権があっさり化学兵器廃棄を受け入れたのは、それなりにメリットがあるからだ。まず化学兵器廃棄の実行に当たり、シリア側ではアサド政権が主体となることは明白だ。これまで欧米は「アサド政権の退陣」を要求してきたが、今回の合意は米国がアサド政権の存続を認めたことを意味する。シリアの反体制派が今回の合意を非難するのは、こうした事情からだ。シリア政府側から見れば、化学兵器はイスラエルに対する抑止としての戦略的兵器であって、内戦で使う兵器ではない。
アサド政権は数十カ所に上るという化学兵器生産工場、貯蔵庫などを反政府ゲリラから攻撃され、化学兵器を捕獲される事態を防がなければならない。そのために政権は多くの軍装備と兵力を振り向けており、相当の負担になっているとみられてきた。
一方、イスラエルとの関係は基本的に安定しており、抑止力を誇示しなければならないような事態は予想されていない。このため、今のシリアには化学兵器は無用の長物となっていた。重荷になっている化学兵器の廃棄を、国際社会に高く売りつけるチャンスである。そうすれば化学兵器を守るための軍装備や兵力を反政府ゲリラの掃討に振り向けることができる。まさに一石二鳥である。
さて米国はアサド政権がサリンを使用したと断定しているが、それを裏付ける客観的な証拠はない。現地を視察して資料を集めた国連調査団は、サリンを使用したのが政府軍か反政府軍か断定を避けた。オバマ政権はかねがね、アサド政権が化学兵器を使用すればレッドライン(越えてはならない一線)を越えることになると警告していた。警告の意味を知っているアサド政権が、首都の近郊で化学兵器を使用するとは常識では考えられない。まして国連の化学兵器調査団がこの時期ダマスカス入りしていたのだ。調査団の目前で政府軍が化学兵器を使用するだろうか。
米政府の発表を受けて欧米のメディアは軒並み、アサド政権が化学兵器を使用したとの大見出しを掲げた。しかしシリア政府は反政府軍が化学兵器を使用したのだと主張し続けた。米国のAP通信のベテラン中東特派員デイル・ガブラク記者は、事件後ゴウタ村を直接取材した結果、現地の反政府ゲリラがサウジアラビアの諜報部門から提供された化学兵器を誤爆させたのが真相だと報道した。この記事はなぜかAP通信の全世界配信網に乗らず、米ミネソタ州のMint Press というウェブサイトにまず掲載された。このサイトにはこの記事を知ろうとして膨大なアクセスがあり、炎上・ダウンしたという。
今年の1月に第2期政権を発足させたオバマ大統領は、自前の安全保障チームを発足させた。上院議員時代からの盟友ジョン・ケリー国務長官、民主党ホワイトハウスに「三顧の礼」で迎え入れた共和党元上院議員のチャック・ヘーゲル国防長官、安全保障担当大統領補佐官にスーザン・ライス前国連大使(女性)、後任の国連大使にバード大学ロー・スクールでオバマ氏と意気投合したというサマンサ・パワー氏(女性)、さらにオバマ氏「子飼いの部下」と言われるマーク・リパート前国防次官補(アジア太平洋担当)はヘーゲル国防長官の首席補佐官に就任した。
このオバマ・チームは思想的には民主党リベラル派の系統に属する人々だが、政治的にはイスラエル・ロビーに弱く、イスラム世界を敵視する傾向にある。とりわけイスラム教シーア派の一派で、シリアでは少数派のアラウィ派を権力基盤とするアサド政権が、40年を超える独裁体制を維持してきたことを嫌悪している。「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が2011年3月、シリアの多数派であるイスラム教スンニ派民衆に波及、アサド政権に反対するデモや集会が燃え上がった。これをアサド政権が容赦なく弾圧したことから、シリア軍内部のスンニ派の将兵が脱走して「自由シリア軍」を結成、政府軍に戦を挑んだことが内戦の発端である。
内戦は3年余を経て決着が着かず、死傷者や難民、国内避難民は日に日に増大している。この間反政府派側に欧米やサウジアラビアなど湾岸首長国からの資金や武器の援助がもたらされた。資金や武器だけでなくアルカイダ系・スンニ派のイスラム過激派が続々シリアに乗り込んで、ゲリラ活動を活発化させた。ウサマ・ビンラディン亡き後のアルカイダの指導者アイマン・ザワヒリに忠誠を尽くすと宣言した「ヌスラ戦線」を名乗る過激派ゲリラが、シリア各地で幅を利かせている。米国は諜報機関CIAを通じて、ヌスラ戦線を含むイスラム過激派に資金や武器の援助を与えている。
ウサマ・ビンラディン暗殺作戦も含め、オバマ安保チームはCIAなどの諜報機関への依存度が高い。第2期オバマ政権ではCIAだけでなく、元CIA職員のエドワード・スノーデン氏が暴露した国際的盗聴網を管理しているNSA(米国家安全保障局)など、諜報機関の活動が異常に幅を利かせている。本来諜報機関は隠密活動が本筋だがCIAが前面に出ている、パキスタン北西部でのタリバンに対する無人機攻撃は、多数の民間人の巻き添え死傷者を出してパキスタンの民心を反米化させている。
ブッシュ前政権がアフガニスタンとイラクに侵攻、二つの戦争遂行に要した膨大な出費の結果、アメリカの財政赤字は深刻化。国防費を削減しなければならない立場に追い込まれている「アメリカ帝国主義の管理人」オバマ大統領の失態は、今後の中東情勢、ひいては世界情勢全般にどう影響するか。今度の失態でアメリカの威信の衰えは一段と進んだが、依然として「唯一の超大国」であることに変わりはない。あと3年数カ月の任期内で、オバマ大統領は「衰えつつある超大国」をどう管理するつもりなのだろうか。
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