「社会保障と税の一体改革」は民主・自民・公明3党の野合で骨抜きとなった。小沢新党の誕生はこの状況への抵抗である。私はそう考えているが、世間の大勢はそうではない。メディアは、この「改革なき大衆増税」を強行する野田政権を「決断する政治」として肯定的に評価し、世論調査も「一体改革」にはそんなに批判的ではない。一方、小沢一郎の動きには、メディアも大衆も期待しないとする声が多い。それだけではない。識者の間にも、野田政権の一体改革を評価する言説が生まれている。
《岩井克人の「一体改革」論議》
私は、この奇妙な言論空間の出現理由を探る中で、岩井克人(東大名誉教授)のインタビュー記事に遭遇した(『月刊マスコミ市民』2012年7月号)。記事前書きで、「日本を代表するケインジアンの一人」とされる高名な経済学者は、民主党マニフェストの方向性を肯定しながら、消費税の増税には賛成している。昨今の野田政権評価論との関連で、岩井の現状認識は興味深いものがある。それをここに紹介して読者とともに考える材料としたい。記事は16頁にわたる長文だが、岩井発言の要点として文頭に掲示された〈岩井氏の主な問題提起〉を少しだけ短縮して以下に掲げる。
〈岩井氏の主な問題提起〉
1.日本国債が国内で消化されているから心配ない論は誤り。日本経済の状況が悪いことの裏返しである。
2.消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。
3.日銀のデフレ対策は臆病。インフレターゲット論を明確に打ち出すべし。
4.デフレをめぐり世代間の対立の発生。社会保障による所得再分配で若者を優遇し、子供を生めるようにすべきだ。
5.日本のリベラルは増税と財政規模拡大に反対する。世界にない現象で不思議だ。高齢 化という条件を選び取った財政拡大を。
6.所得不平等への対処。日本の所得再分配は遅れている。厚い社会保障による再分配が世界の動き。
7.資本主義以外に選択肢はない。資本主義を守るには自由放任主義を捨てるしかない。
8.民主党のマニフェストは社会保障重視だったが、国民の負担を語るのを避けた。負担はパイを増やすための生産性向上についての方策が要る。その視点の欠落が現在の混乱を呼んだ。
上記が岩井の言いたいことの骨子だが私なりにさらに論点を以下に整理してみる。
■日本経済の現状
日本経済はいま深刻なデフレスパイラルの中にある。資本主義は「金は有るがアイデアはない人が、金はないがアイデアがある人(物を生産しイノベーションを起こす人)に金を貸して、実際に生産をおこないイノベーションを引き起こす、という基本的な仕組み」であるのに、失われた20年で企業自体が大きな貯蓄主体のなるという異常事態になった。借りるべき企業が国に金を貸している。その上、想像以上に不平等性が高い社会になっていた。資産の偏在は主に世代間の問題として起こっている。
■このデフレ脱却に必要な対策
対策は何か。一つは金融政策である。日銀はインフレターゲット政策を採用してスイス、アメリカ並みの、徹底した貨幣供給増加策を採るべきだ。
二つは増税である。世代間格差を解消する性質のものとする。資産課税、相続税、所得税の累進度増大、それに消費税となる。法人税はどうか。「日本は世界で一番法人税は高い」ので国際競争力が維持できない。「法人税を切り下げると、結果的に国内での企業活動が活発になって法人税の税収が上がることが、いくつかの研究で実証的に確かめられている。私は法人税は大きく下げるべきだと思っている」。消費税も、最終的には欧州並みの20%程度を想定している。ただその前提には「上記の2」にあった北欧型の国民経済ビジョンとセットで考えられていることは留意しておきたい。
■どういうタイプの経済を目指すのか
日本の所得再分配機能は小さいとして次のように言っている。
「スウェーデンの所得分配の平等度の背後には社会福祉の仕組みがあって、社会保障費や税などの国民負担率が62.5%というとんでもない数字です。このような巨大な政府を活用して、税引き前は不平等度を示すジニ係数が、スウェーデンでも日本と同じ0.42くらいですが、政府のフィルター(所得再分配)を通すと、0.22くらいに落ちるんです。日本の場合、税引き後のジニ係数は0.32程度ですから、所得再分配の効果がほとんどアメリカなみの弱さです」。
ここでは、北欧型の社民主義的分配論を採るか、英米―特に米国―型の新自由主義型の分配論を採るか、の分岐が提示されている。岩井は、欧米りリベラルは「財政規模を大きくするために増税を許容」するのに、日本のリベラル派に増税反対派が多いのは「不思議で、よく理解できない」という。
■資本主義論と「民主党」マニフェスト批判
「資本主義」の他に選択肢はない。これが岩井の立場である。彼は社会民主主義的な所得配分政策の支持者ではあるが、社民主義は「社会主義」ではないという。とはいえ自由放任には反対して、こう言っている。
「今回の危機はレーガン政権から始まったアメリカが、途中社会主義が崩壊したわけですが、資本主義というのは全くの自由放任で良いという思想を前面に出したことがその最大の原因です。(略)自由放任主義が今回の金融危機を生み出した、と私は思っています」。
民主党のマニフェストについて社民的な要素を含むことを認めつつ、「社会民主主義であれば、社会保障は、成長や生産性向上をペアにしたものになるはずですが、それがなかった。しかも、増税はしないよ、といっていた。そこがまったく正直じゃなかった。だから、単なるマニフェストに終わってしまった。本来、責任政党であるなら、国民負担の話はきちんと書くべきであった」という。
《民主党政権はなぜ敗北したのか》
今時のケインジアンはこのように考えるのかと思いながら私はこの記事を読んだ。共感する部分は少なくない。しかし同意できない点もある。最大の論点である増税の是非について、岩井は「北欧型社民主義モデル」を頭におきながら、日本の民主党が、国民の負担について語らなかったと批判する。
民主党のマニフェストが100%正しかったと私も思っていない。しかし、巨額の財源が捻出できなかったとして、「もともと出来もしないインチキな約束」をした。それが間違いだったとメディアも野党も批判する。岩井の財源論批判も共通点がある。しかし事態はそんな簡単な話だろうか。
東電原発事故の報道を通じて、我々は、原子力産業に群がる「企業・官僚・政治家・学会・メディア」による既得権集団の実態を知った。それは、頑迷で、非合理的で、非人間的で、貪欲で、排他的な、容易には解体しそうもない複合体である。国家財政に関しても明治維新以来、140年間に蓄積された「強固な既得権複合体」が地中深く根を張っている。この集団に戦いを挑んだ民主党政権が、橋頭堡すら築けずに敗退したのは、体制側の強さと新政権の弱さを示している。敗北したのは、理念と方針を誤ったからなのか。そうではない。彼我の戦力比較を怠り、戦術が甘く、戦力が脆弱だったから敗北したのである。
《「階級闘争」は死語になったのか》
岩井はある質問に答えて次のように言っている。
「国の在り方に対する旧い見方が残っているからですね。かつての階級闘争的な見方が残っている。日本ではリベラルにおいてもそうです。階級闘争的な見地からは、政府は支配階級の道具でしかなく、基本的には悪ですから。(略)国家や政府機構を自分たちが選び、そして作り上げるという意識がまだ弱いからだと思います。あるいはかつての〈お上〉意識の残存ですかね。社会契約論的な立場から言えば、国家はまさに国民がみずから作り上げるものであるのに、その国民主権の意識が弱いのかもしれません」。
私は、岩井の階級闘争観―正確には「階級闘争は古い」という認識―に反対である。たしかに「階級」は昔の定義のままの階級ではないだろう。19世紀の革命家が描いた「プロレタリアート」は存在しないだろう。支配する階級も、絵に描いたような「資本家」としては存在しないだろう。むしろ「資本家」は複雑な複合体として強化された存在となっているであろう。そしてそういう権力は真の階級闘争でなければ決して倒れることはないのである。
日本の「紫陽花革命」は第一歩を踏み出したばかりである。
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