車を運転しながら、一瞬、耳を疑った。「日本学術会議は研究者の軍事研究を禁じていた。ワクチンの開発研究は軍事技術とも深く関わる分野であり、日本学術会議の方針が日本のワクチン開発を遅らせた」という話が、橋下徹氏のコメントとしてカーラジオから聞こえてきたのだ。もちろん事実無根である。ワクチン開発の遅れの理由は単純ではないが、予防接種による事故・副作用などの被害に対する賠償請求訴訟が1970年代以降に多発し、政府がワクチン開発に消極的になったことが大きい。
維新政党の政治家たちの無責任な数々の発言には辟易してきたが、あらためて橋下氏らの話法のからくりの一部が分かった。
つまり、マスメディアによって報道され、一般市民の耳に届いているが、深い理解は難しい話題を適当につなぎ合わせてもっともらしい話を捏造する。発言の目的は、基本的には政権とくに自民党の応援である。
この場合は、多くの人が関心を持っている「ワクチン」に、しばらく前、菅首相が理由を明示せず、慣例に反して6名の候補者を任命しなかった「日本学術会議」問題を結びつけた。橋下氏は関西のテレビには頻繁にコメンテーターとして登場する。二つの話題を結び付けて、「ワクチンの遅れは政権の責任ではない。悪いのは平和ボケし、既得権益に浸っている学者たちだ」とする話をでっち上げたわけである。
首都圏で暮らしていても、意外なところで維新の話題に出合う。クーデターが発生したミャンマーでジャーナリストとして現地滞在中だった北角裕樹氏が軍に拘束された(その後、解放され帰国)。北角氏の名前はどこかで聞いた記憶があった。大阪市長だった橋下徹氏が学校教育活性化策として民間人校長を多数採用したが、北角氏は2013年に採用された11人の一人だったのである。
新聞記者として橋下氏の取材にあたっていた経緯から採用されている。配属先の中学校では、教員間で校内人事を決める慣例があった。北角氏は、管理職の意向が通りにくいこの慣例に異を唱えて橋下市長から絶賛されている。
ところが、氏は着任翌年の7月、依願退職により学校を去った。生徒に悪ふざけを仕掛ける、教頭を罵倒して土下座させるなど、学校運営を混乱に陥れ、教員・保護者から総スカンを受け、懲戒処分のうえ依願退職が認められたという経緯であった。
筆者は当時、大学で教職課程を担当していたので、いわゆる民間人校長の情報にも注意を払っていた。従来、学校長に就くためには教員免許を持つことが条件であったが、2000年に学校教育法施行規則が変更され、「10年以上、教育に関する職に就いた経験のあるもの」は「教員免許を持たずとも校長に任命できる」とされた。教育委員会の教育行政経験者などが念頭に置かれていたはずである。ところが、「各教育委員会が、それに等しい資質・経験を有すると認める者」も含められ、実質的にほとんど条件が外されたのである。大阪市の場合は、安倍政権の特徴でもあった露骨なネポティズム(縁故主義)である。北角氏の他、橋下氏の大学時代の同級生などが採用されている。
筆者の管見の限りでは、橋下氏が教育に言及する場面は多くはない。発言もキャッチーな言葉が繰り返されるだけである。例えば、民間人校長の登用の理由として、校長に求められるのは「マネジメント能力」であり、民間企業の経営感覚こそが貴重だというだけである。しかし企業と異なり、校長に財政面での裁量の余地は少なく、学校の最大の資源は教員である。校長の役割は、より多くの教員が能力を伸長し、教育効果を上げる環境を整えることであろう。しかし、橋下氏の大学の同級生だった中原徹校長がやったことで話題となったのは、入学式など儀式中の「君が代」斉唱の際、教員が確実に声を出しているかチェックすることだった。
また選挙運動などでの教育に関する主張としては、「現在の大阪の学校教育ではグローバル人材は育たない」というものだった。氏のいう「グローバル人材」が何を示しているのか分からない。それが多民族・多文化状況を指すのであれば、大阪は日本一恵まれた環境にあるはずであり、実際、多くの教員がさまざまな人権教育の取り組みをしている。橋下氏は、「マネジメント」とか「グローバル」とかのカタカナ語が好きなようである。一般の市民が耳にしても、具体的に何を意味するか深く考える機会は少ない。
発言している本人も詳しく説明することはほとんどないから、ワクチンの発言と同じで、何か定見があっての発言ではなく、一般市民の不安な感情に働きかけて、問題の在りからしきものを示唆したり、解決策らしきものを提示したりして、優れた見識をもつ人物として自らを示す手法なのであろう。生活不安を感じている人々が、安定した地位にあるように思われる者に対して抱く妬みのような感情を刺激する陰湿で陰険な話法である。
バブル崩壊後、大阪(関西圏)では、企業活動が停滞して財政力も低下し、行政は余裕を失い、日々の状況対応に追われるようになった。抜本策が打ち出せないままに都市問題が深刻化してきた。大阪府では犯罪が多発し(ALSOK調査では、年間を通じて105人に1人が犯罪に遭遇し全国最悪)、完全失業率は沖縄、青森についで第3位、文科省の学力調査では常に低位置、児童虐待数は数年にわたって全国最多など、多くの指標が軒並み全国ワーストレベルにある。このような大阪で、人々の漠然とした不満の感情を栄養源として成長してきたのが政治勢力としての維新だったのだろう。
この点は、アメリカのトランプ現象と共通するものがありそうだ。2020年に出版され話題となった”Deaths of Despair and the Future of Capitalism”(邦訳:『絶望死のアメリカ』)は、トランプ氏の大統領選出の背景にあるのは、アメリカ社会の貧富の差の激しい拡大だと示唆している。トランプ氏に対する支持は、「貧しい人々のフラストレーションや怒りの感情の表現である」としながら、「トランプの選出は事態を悪くするだけだ」とも指摘する。
著者らは、体の痛みを訴える人の多寡の調査から、痛みを抱える人の比率が高い地域と選挙でトランプ氏を支持した者の割合の高い地域は重なっているとする。産業の空洞化したラストベルト(錆びた地帯)では、やりがいのない低賃金労働に従事する者が多く、彼らは痛みを抱えやすい。彼らには薬局で簡単に鎮痛剤が処方される。アメリカでは、鎮痛剤が大手製薬会社にとって巨大な利益をあげる商品となっている。モルヒネやヘロイン成分を含む強力な鎮痛剤は、日本では医師による厳格な管理のもとで使用されるが、アメリカでは近年、その過剰摂取のよる死亡事故が社会問題化している。しかしトランプ大統領は、鎮痛剤の製造・流通を監視する麻薬取締局(DEA)の権限を制約する法令を通している。
貧困が薬物やアルコールの過剰摂取を生み、さらに離婚や子どもの虐待など家庭崩壊を引き起こし、犯罪の温床も用意する。アメリカの問題も大阪の問題も共通するのは先進国における貧困問題である。トランプ氏のような人物を政治の世界に送り出すアメリカ社会も維新の政治家を支持する大阪も、人間の体でいえば、貧困という炎症によって発熱している状態なのではないか。トランプ氏の退陣や維新政治家が退場しても炎症が消えるわけではない。
事実、トランプ氏はいまだに隠然たる影響力を保持しているし、コロナ禍のなかで露呈している維新による地方行政の混乱にも関わらず、大阪での維新支持は根強いものがある。貧困を栄養に成長する政治勢力の跋扈を許せば、社会全体に不幸を招くことになる。根気強く貧困問題の解消を図る政治努力こそが、いま求められているのだろう。
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