サブプライム問題を端緒としリーマン・ショックを経て現在に至る。この「一〇〇年に一度の津波」(アラン・グリーンスパン)の本質はいまだ解明されていない。「国債バブルは本当だろうか」を10回も書いて「お前の結論はないのか」といわれる。しかし結論などないのである。敢えていえば解決方法不明というのが結論である。
《growth-friendly plans》
前に聴いた浜矩子同志社大学教授の講演が面白かったので、私の属する「日曜クラブ」という集まりでも、浜教授を招いて講演をきいた。講演内容は、『死に至る地球経済』(岩波ブックレット、10年9月刊)、月刊『文藝春秋』10年10月号の論文「一ドル五〇円を覚悟せよ」に、概ね一致する。講演中、私が一番面白く聞いたのは、今年6月の「G20首脳会議」(カナダ・トロント)の共同宣言の解釈である。会議では「積極財政」か「財政規律」かというテーマが論じられた。その結果、宣言は「成長に配慮した財政健全化計画」の必要をうたった。英語では growth-friendly plans というそうだ。浜氏はこれを「胃腸に優しい暴飲暴食」の勧めだと言った。満場爆笑である。「財政拡大による景気回復は必要だが財政恐慌はダメ」と「景気が失速したら終わり、なりふり構わず財政拡大せよ」。財政運営をめぐる二つの矛盾した命題が、主要国首脳会議の結論なのである。これが私の「解決方法不明」の意味である。
《経済学者クルーグマンの苛立ち》
米経済学者ポール・クルーグマンは、その分類でいえば「暴飲暴食」の徒に入ることになるだろう。彼は『ニューヨーク・タイムズ』の常連寄稿者として経済時評を書いている。このノーベル経済学賞の学徒は、積極財政論者として、再分配的な税制改革に反対する米財界や「ティーパーテイー派」の保守的な世論に苛立ちを隠さない。
たとえば9月5日(電子版)のコラム「2010年の中の1938年」では要約すると次のことを言っている。
▼成功するかに見えたルーズベルトの「ニューディール」政策は、1937年に大きく失速した。景気刺激策から手を引くが早すぎたからである。今風にいえば「出口戦略」を急いだのである。ところが1938年3月のギャラップ世論調査で「政府は財政支出を拡大すべきか」という問いに対して63%が「否」と答えた。「企業減税」と「財政支出の増加」とどちらをとるかとの問いに支出増賛成は13%、企業減税が63%であった。38年の中間選挙で民主党は下院で70議席、上院で7議席を失った。政府は景気と政策効果の見通しを誤り、国民もそれを支持したのであった。その解決は第二次大戦に持ち越された。米連邦政府は大戦の過程で、1940年のGDPの2倍に相当する負債を抱えた。今の価値にすれば30兆ドルである。しかし戦後のインフレと経済成長によって赤字財政は克服された。
上記のクルーグマンの考察は、「ニューディール」中間失速の教訓に学ばなかった米国への批判である。その教訓を生かせというのである。
《経済実態の共通認識から出発せよ》
時代の変化に、とりわけアメリカ経済の凋落に、鈍感なこの物言いに私は納得しない。しかし2010年の日本でも世論調査をやれば1938年の米国と同じ結論が出るだろう。現に人々は財政規律強化の必要と消費税導入に寛大な理解を示している。私の周囲のサラリーマンは企業減税を推進せよと息巻いている。
国会論戦は尖閣列島問題、検察の権威失墜、小沢一郎のカネ、に集中するだろう。経済・金融問題は上述の「解決方法不明」の政策を巡って不毛な論戦が続くであろう。いずれも大事なテーマである。日々の生活に密着すれば人々の最大関心は「景気・雇用・社会保障」である。
私は市井の小市民だから「解決方法不明」と言って済ませることができる。しかし立法者と為政者はそれでは済まないのである。
対GDP比180%というクニの借金は真実の数字なのか。「特別会計」は本当に「離れのスキヤキ」なのか。与野党は、経済実態の共通認識に早く到達して建設的な論議をして欲しい。人々の欲求不満は偏狭なナショナリズムへ暴発するかも知れない。水位は次第に高まっている。
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