本稿は、『自発的隷従論』Discours de la sevitude volontaireという本の紹介である。
古い本である。しかし「ちくま学芸文庫」では2013年の新刊である。それにしてもおどろおどろしい書名だ。「隷従」は辞書に「手下となって従うこと。また家来、部下」(『岩波国語辞典』)と書いてある。日常語ではない。この本は、いつ、だれが、どこで、なぜ、書いたのか。
《何百万もの人々がみじめな姿で隷従しているのを目にするのは》
時は16世紀中葉のフランス、著者はエティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(1530~1563)という人物である。新教徒ユグノーが勃興し、カトリックの王国に宗教戦争の嵐が吹き荒れていた。法律家の家系に生まれたボエシは幼くして両親を亡くすが、ギリシャ・ローマの古典文芸に詳しい聖職者の叔父や、地元小都市サルラの碩学の枢機卿の影響を受けながら、オルレアン大学で法律を学び古典とルネサンスを勉強した。ボルドー高等法院の評定官となり、そこで終生の友となるモンテーニュを知った。33歳で死んだ青年は「終生王国の体制と宗教の擁護者たらんとつとめた司法官」(訳者山上浩嗣)であった。
彼は理解力に優れた法官としてあれこれの宗教的、政治的活動を行ったが、何といっても彼の名前を今日に残したのは、16歳か18歳で書いた『自発的隷従論』の存在である。同書開巻直後にボエシはこう書いている。
■私は、これほど多くの人、村、町、そして国がしばしばただひとりの圧制者を堪え忍ぶなどということがありうるのはどのようなわけか、ということを理解したいだけである。その者の力は人々がみずから与えている力にほかならないのであり、その者が人々を害することができるのは、みながそれを好んで堪え忍んでいるからにほかならない。(略)何百万もの人々がみじめな姿で隷従しているのを目にするのは、たしかに一大事だとはいえ、あまりにありふれたことなので、それを痛ましく感じるべきではあっても、驚くにはあたらない。彼らはみな、巨大な力によって強制されているというのではなく、たんに一名の魔力にいくぶんかは惑わされ、魅了されて、軛の下に首を垂れているように私には思われる。
《いまなぜ日本でボエシなのか》
文庫本70頁ほどの文章でボエシはこの問題を諄々と説いていく。古代古典を引用しつつ時務との関わりを排しながら、動物でさえ自由を求めるのに人間がそうでなくなるのは何故かという根源的な問いを自ら発したのち、彼は被支配者と支配者の双方にその原因を求めてこういう。「人間においては、教育と習慣によって身につくあらゆることが自然と化すのであって、生来のものと言えば、もとのままの本性が命じるわずかなことしかないのだ」。
勿論、習慣は自然の産物ではない。支配者は様々な手口で支配し隷従させる体制を構築する。パンとサーカス、称号の贈与、パフォーマンス、宗教心の利用などによってである。
解題によれば、ボエシの思想はのちに、特にフランス革命期に、また19世紀の革命の時代に、反体制運動の擁護論としても読まれた。
しかし日本で、いまなぜ、ボエシなのか。解説者の西谷修はこう書いている。
■十六世紀半ばのフランスで夭折した一法官の遺した若書きの論文を、二十一世紀初頭の日本でなぜあらためて紹介しなければならないのか?(略)早熟な若者の手による論文が、その後のどんな類書よりも事柄の本質を直裁に突いており、そこに開示された「真理」がとりわけ現在の日本で、支配的秩序の構造を照らし出すのにうってつけだというだけでなく、共同存在としての人間のありようを根本から考えるうえでも啓発的で、ぜひこの論文を手近に読めるものにしたいと考えたからである。
《近代日本150年における「自発的隷従」》
私の読後感を記す。これは手強い書物である。判ったと思うとその理解がスルッと抜けてゆくような書物である。まず壮大でナイーブな問題提起の凄さがある。人はなぜ支配者に自発的に隷従するのか。しかもそれを自覚すらしていないのか。
そしてこの問いに対するボエシの回答の「正しすぎること」の凄さである。支配する者と支配される者との合作が自発的隷従をもたらすというのである。ヒトラーやスターリンや毛沢東の独裁を批判―今なら共産党一党独裁の中国という批判―する根拠を、我々は持ちうるのか。そんな素朴な疑問が立ち上ってくるのである。
近代日本150年間、日本国民は「自発的隷従」を遂行してきた。1945年までは「大日本帝国」に対して、以後現在に至るまで「日米同盟」の主人公に対して。「自発的隷従」の理由を、ボエシは「教育と習慣」という。教育勅語と天皇制のメカニズム。アメリカ民主主義と日米安保。これは「教育と習慣」以外の何ものであろうか。
2013年12月21日には東京外語大の府中キャンパスで「ラウンドテーブル 自発的隷従を撃つ」というシンポジウムが開かれていた。西谷修、小森陽一、真島一郎、中山智香子らの諸氏によるものである。本書は丁寧な注、解題、思想家シモーヌ・ヴェイユと人類学者ピエール・クラストルのボエシ論が付いていて有り難いが、全体の構成が少し判りにくいところがある。
■『自発的隷従論』、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著、西谷修監修、山上浩嗣訳、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2013年、1200円+税
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