自民党など野党が提出した菅内閣不信任決議案は2日の衆院本会議で与党の反対多数で否決された。これに先立ち菅首相は民主党代議士会で「災害対策に一定のメドがついた段階で若い世代にいろいろな責任を引き継いでもらいたい」と述べ、首相としての退陣意志を明言、それと引き換えに民主党が多数で不信任案を否決するよう要請し了承された。午後の衆院本会議では内閣不信任決議案は賛成152票、反対293票で否決された。
こうした党内危機回避の段取りは同日朝の鳩山由紀夫前首相と菅首相との会談で固まったもので、「民主党を壊さない」「自民党政権に逆戻りさせない」「復興と災害被災者の救済に責任を持つ」との基本合意が基礎となった。具体的には「復興基本法の成立」「第2次補正予算案編成のメド」の二点も加えられた。
自らが率いるグループとともに菅首相への不信任に賛成する動きを展開した小沢一郎元代表は表向きこうした妥協工作には加わらず、不信任決議案採決のための本会議に欠席し、不満をにじませた。側近議員ら欠席者は15人にとどまった。小沢氏に従って本会議で不信任に賛成票を投じた松木謙公議員は、本会議場に入ろうとして仲間の民主党議員から「腕力で」引き戻された。小沢グループの中にも温度差があることを露呈した。
菅首相退陣の「一定のメド」については「復興基本法の成立」「第2次補正予算編成のメド」という、ややあいまいな基準が合意されているだけで、菅首相の今後の言動については、再び野党側の不信を買う恐れが残った。さらに後継首相については「若い世代」という、あいまいな言及しかなく後継民主党代表―首相の人選をめぐって再び民主党内がもめる火種も残った。
▽総選挙なら惨敗必至
党内外からの退陣要求に抵抗してきた菅首相が、不信任決議案採決の土壇場で辞任の「前約束」にまで降りたのは、小沢グループや鳩山グループの間の辞任要求が予想以上の広がりと勢いを増した党内情勢がある。このまま本会議採決に臨めば可決とまではいかなくても「僅差の否決」にまで追い込まれ、ただでさえ威信を失っている菅首相がいよいよリーダーシップを喪失する可能性が日増しに膨らんだからだ。
万々一にせよ、不信任案が可決されれば、衆院解散か内閣総辞職に追い込まれる。前者を選択すれば、2009年8月30日の総選挙で「政権交代の追い風」に乗って当選した民主党の新人たちが次々と落選し、自民党などの復調を招きかねない。ことし春の統一地方選では民主党は全国各地で敗退し、それに先立つ昨年7月11日の参院選では過半数を失う惨敗を喫した。
こうした経過からみて、菅首相の手による解散―総選挙は民主新人議員からみて、イコール「落選に次ぐ落選」を意味した。
▽否決の数時間後に亀裂
内閣総辞職は菅首相が「死んでも避けたい」選択である。そうなると、不信任決議案はなにがなんでも否決するしかない。しかし、仮に否決できても「僅差」ではしこりを残し、民主党そのものが分裂含みとなり、小沢グループの意向次第では本当に分裂しかねない。
この結果、不信任案を否決する代わりに、採決前に菅首相が事実上の退陣表明をする、という「奇策」に辿り着いた。しかし、否決後の2日夕から、早くも幹部の間に食い違いが表面化し、退陣の時期が民主党内、与野党間で火種が燻ぶり始めた。
▽嘘つきと反発も
「一定のメド」の解釈をめぐって岡田克也幹事長が合意メモに書いてある通りでなくても構わないと述べ、これを記者団から聞かされて鳩山前首相が、岡田氏のことを「ウソつきだ」と激しく批判した。
他方、岡田幹事長が、本会議を欠席した小沢一郎元代表に対する厳しい処分―除籍―を口にすると、輿石東・参院議員会長が激しく反発した。いずれも「原則主義者」として知られる岡田幹事長が党内長老をまとめる柔軟性を欠いていることが表面化した。
▽原発収束をメドから除外か
退陣時期について合意メモに見当たらないのが、原発事故の完全冷温―収束である。東電が公表した工程表では、「6―9か月後」とされており、菅首相は代議士会での「退陣表明」の中で、「一定のメド」の具体例に言及した際、原発事故の収束についても触れた。
2日の「妥協」に漕ぎ着けるまでのドタバタぶりを振り返れば、実際に菅首相が辞任するまでの間に、まだまだひと揺れもふた揺れもありそうである。民主党にはそもそも巨大与党をまとめて、大震災や原発事故に立ち向かう結束力もまとまりもないのである。被害を受けるのは被災者であり原発作業員、それに日本国民全体であろう。(了)
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