「菅直人首相の二つの壁」

著者: 瀬戸栄一 せとえいいち : 政治ジャーナリスト
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 7月11日投開票の参院選での民主党大敗から1週間余経った。代表=首相続投の決意を表明した菅直人首相にとって、眼前に立ちはだかる二つの大きな壁がある。

 夏の2011年度予算概算要求の策定から年末の予算編成にかけて、乗り越えなければならない「参院過半数の壁」と、9月5日にも開かれる民主党代表選挙を乗り切るうえで、これまた不安要因となる「小沢一郎前幹事長の壁」の二つである。

 この二大障壁を乗り越えない限り、あと3年間ある衆院議員の残り任期を内閣総理大臣として続投したい考えの菅直人氏は、3年後の任期満了よりはるか手前で、政権トップの座から降りなければならない。

 もちろん解散権を握る菅首相は、政権運営に途中で行き詰まっても「解散―総選挙」に打って出る道が残されている。だが、追い込まれ解散では、現在ある衆院の民主党307議席という政権基盤を激減させ、いよいよボロボロになって退陣する道しか残されない。

 ▽焦点は予算関連法案

 菅首相は仙石由人官房長官、玄葉光一郎民主党政調会長、野田佳彦財務相らを予算編成の「司令塔」とし、まず7月末にも2011年度予算の概算要求枠を固めるよう指示した。8月中には「政治主導」で概算要求そのものを決定する方針だ。

 問題は2011年予算案を年末に編成しても、その裏打ちとなる予算関連法案を国会で成立させなければならないことだ。憲法の規定で予算案本体は衆院で可決すれば30日間で自然成立する。

 ところが税制改正案を中心に数十本に上る、いわゆる予算関連法案は参院でも可決・成立させなければ予算の執行ができない。予算案の本体だけを衆院可決―自然成立させても、野党に関連法案の可決を参院で阻まれれば「絵に描いたモチ」となって国民生活にたちまち支障が生じる。そして政権は行き詰まる。

 ▽衆院3分の2に及ばず

 11日投開票の参院選が生み出した新たな政治状況の本質がここにある。本格的な「ねじれ国会」が現出したのである。

 2007年参院選惨敗で自民・公明連立与党は参院での過半数を喪失し、以来、昨年8月30日投票の衆院選で民主党圧勝による政権交代が実現するまでの約2年間、ねじれ国会の苦汁をなめ続けた。

 それでもこの2年間は、衆院での自公与党が3分の2(320議席)を超える議席数を保持していたため、参院で予算関連法案が否決されても、憲法の規定に沿って衆院に差し戻し、両院協議会での儀式的な協議を経て衆院で再可決―成立させることができた。すべて連立与党が3分の2を超える議席を持っていたからだった。

 ▽社民離脱は決定的

 ところが、昨年8月の衆院選で歴史的な政権交代を成し遂げたとはいえ、民主党と連立を組んだ国民新党には衆院3議席しかない。当初は連立に加わった社民党の7議席を加えても、民主党(307議席)政権にはわずかではあるが3分の2に及ばなかった。社民党が沖縄普天間基地移設問題を不満として連立から離脱したあとは、決定的に3分の2を失った。

 だからこそ、7月11日の第22回参院選は民主党政権を維持する上で決定的に重要な意味を持っていた。

 ▽54に10議席足りず

 しかし、菅直人首相の消費税引き上げ発言の「唐突さ」が原因で、民主党は現有の改選54議席を10議席割り込む44議席という文字通りの大敗に終わった。

 菅首相が選挙戦中に掲げた「54議席プラスアルファ」との目標ラインよりも10議席足りないのである。

 加えて連立にとどまる国民新党は改選議席ゼロ、わずかに非改選の3議席が「貴重な数」として残るだけである。

 ▽国が動かなくなる

 「政策が動かなくなったらこの国はおかしくなる。どの項目なら賛成していただけるか、われわれは慎重に検討しなければならない」。細野豪志民主党幹事長代理は7月18日のテレビ番組でこう述べた。

 参院選敗北を経た民主党の参院議席は107である。今回選挙の改選議席44に与党系無所属1を加え、それに2007年当選の非改選62を加えた議席数のすべてだ。これに国民新党の非改選3を加えても110議席にしかならず、参院過半数122には12議席も足りない。

 ▽局昇格も不可能に

 そこで、予算関連法案に限らず、すべての法案は参院で野党各党が一致して反対に回れば成立せず、廃案となる。

 現に昨年の政権交代を機会にすべての重要政策・法案を「政治主導=官邸主導」で立案・遂行するとした国家戦略局の設置は、法案成立の見込みがなくなり、現行の「室」扱いのままとなった。仙石官房長官らを予算編成の中心に据えるという便宜的な措置に切り換えざるを得なくなった。

 ▽法案別の部分連合模索

 こうなると、現在の野党勢力の一部に、法案別の「部分連合」を働きかけるしか、打開の道は無くなる。こうした野党切り崩し工作に長けているのは小沢一郎前幹事長しかいない。

 その小沢氏は、菅首相の「脱小沢人事」の断行や「(小沢氏は)しばらく静かにしていてほしい」発言に腹を据えかねて参院選後は姿をくらまし、八丈島あたりで毎日、魚釣り三昧の日々を送っていた。

 ▽公明の協力が切り札?

 小沢氏がどこにいようと、菅首相はまず2011年度予算概算要求枠の設定を迫られている。

 首相官邸筋の間には「公明党(19議席)との連携がねじれ解消の切り札」と期待する声もある。先の通常国会で民主党の目玉政策の子ども手当てや高校無償化の採決にあたり、公明党が与党とともに賛成に回ったいきさつがその根拠にある。

 だが、公明党の山口那津男代表は「迷走する民主党政権にわれわれはレッドカードを突きつけた。現時点で個々のアプローチを受けるつもりはない」と冷たい。現に民主党大敗の最大の原因となった参院選選挙区定数1人区で、公明党は自民党候補のテコ入れ・支援に回り、民主党8議席―自民党21議席という決定的敗北を主導したのは公然の秘密である。

 ▽「みんな」にも秋波

 参院選で躍進したみんなの党(11議席)はどうか。仮に連携しても1議席不足しているが、それは何とか補える。枝野幸男幹事長は選挙戦終盤で民主党不調が判明するや「かなりの部分で政策が一致している」と述べて秋波を送った。渡辺喜美代表も選挙後のインタビューで「アジェンダ(政策課題)が一致する範囲内での連携はあり得る」と思わせぶりの発言をした。

 だが、渡辺代表が民主党との連立の可能性を問われると「政策が真逆だ」とにべもなく、その真意がどこにあるのか、まだ不確定要素が多い。民主党側には、みんなの党の目玉政策である国家公務員の天下り厳禁を「丸呑み」すれば連立も可能、との観測もあるが民主党支持の中心団体である自治労などの了解を得られるかどうか、自信がない様子だ。

 ▽「たちあがれ」には大連立も

 菅首相が勇み足発言で敗北の原因を作った消費税に関しては、たちあがれ日本の与謝野馨共同代表が賛意を示している。与謝野氏の背後には財務官僚のみならず中曽根康弘元首相、渡辺恒雄読売新聞会長ら2007年に福田康夫首相をバックアップして、当時の小沢民主党代表と連携しつつ自民―民主の「大連立グループ」が控えているもようだ。

 石原慎太郎東京都知事も推進派の一人で、菅首相の消費税「10%」発言をしきりに評価した。だが、消費税はやはり、選挙中に持ち出せば政権与党に大きなダメージを与えることが証明されたばかりだ。

▽ビールケース上で菅批判

 もう一つの壁は9月5日にも実施される見通しの民主党代表選だ。いまは、小沢一郎―鳩山由紀夫両代表が任期途中で辞任した「残り任期」を菅首相が務めているに過ぎない。本音は「無投票再選」だとはいえ、参院選大敗の主原因が自らの消費税発言にあった以上、この代表選を乗り切らないと本格的な首相続投が不可能となる。

 ところが、小沢氏は持ち前の「すね者的個性」を発揮して、八丈島に隠れて釣り三昧の生活を送り、「会談」を求める菅首相の神経を逆撫でし続けている。

 選挙戦中は自分の幹事長時代に発掘した公認候補の応援に飛び回り、ビールケースのうえに立っての演説で「選挙で約束したことを実行しないなんて、そんな馬鹿なことがあるか」と露骨な菅首相批判を繰り返した。

▽岡田、原口氏ら浮上

 9月5日に代表選が実施されれば、同13日にも召集の、秋の臨時国会に再出発の菅首相として臨む腹積もりだ。

 小沢氏が抱えるチルドレンやガールズは150人を超えるとも見られる。菅代表に対抗して、本人あるいは有力候補(例えば原口一博総務相、岡田克也外相、田中真紀子元外相ら)を立てれば、菅直人首相もおちおちしていられない。

▽本格代表選を指示

 おまけに本来の民主党代表選は2002年9月以来開かれたことがない。代表が不祥事などで突然辞めるケースが多く、しかも野党代表とあって国会議員だけの両院議員総会での選出で済ませてきた。

 ところが、9月代表選は現職の菅首相(代表)の消費税発言が原因で大敗した参院選の責任追及絡みにならざるを得ない。

 しかも八丈島で釣りをしている小沢氏は、既に周辺に対し、党員・サポーターによる本式の代表選びとするよう指示しているもようだ。自分を悪者扱いにして支持率をV字型に引き上げた菅氏に対する不満と不信は、釣りをしている最中も小沢氏の頭から片時も消えなかったと想像される。

▽微妙な不起訴不当

 だが、その小沢氏にも障害物がある。資金管理団体「陸山会」をめぐる収支報告書虚偽記入事件で、東京第一検察審査会が15日、「不起訴不当」の結論を公表したことだ。

 先に「起訴相当」の結論を出して検察当局を小沢氏に対する任意事情聴取に追い込んだ第五検察審査会は、メンバーの入れ替えを予定しており、二度目の審査は8月になる見通しだ。ここで再び「起訴相当」の結論が出れば、小沢氏は強制起訴され、政治力は著しく減退する。

 第一審査会の「不起訴不当」はそれよりは弱い表現だが、第五審査会が既にまとめた結論がわずか3ページ程度の短い中身だったのに対し、秘書と小沢氏とのやり取りをはるかに詳しく書き込んだ6ページに及ぶ結論になっている。

▽強制起訴なら小沢氏不利

 メンバーが入れ替わるため8月の第五審査会の二度目の結論がどうなるか予断を許さないが、強制起訴に結びつく結論にならないという「保障」はない。

 仮に強制起訴の結論が出た場合、小沢氏の立場は押され気味となり、民主党代表選に臨む姿勢も、菅首相にとって「脅威」になりにくい、との予測もある。(了)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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