なぜ、「子育ち」「子育て」は難問題なのか?
5月10日、改正子ども・子育て支援法が成立した。いよいよ10月からの「幼児教育・保育の無償化」が現実化することになった。この「無償化」の基本的な内容は、幼稚園、保育園、認定こども園などに通う3歳から5歳までの保育料(利用料)の全額無償である。当初は、認可園にのみ限定されていたが、認可園不足で、止むなく「認可外保育施設」を利用している子ども・親を除外することは不当である、との意見を受けて、それらをも対象に繰り込んで成立した。その意味では、3歳から5歳の「すべての子ども」が対象になったのではあるが、ただし、認可外施設での保育料(利用料)は、高額の場合もあり、その際は、月に3万7千円という上限が設けられている。
ところで、一方では0,1,2歳児の待機児童の解消が先決問題であり、また保育者の待遇改善が喫緊の課題であるとも言われる中、なぜまずもって「3~5歳児の教育・保育の無償化」なのか、は問われたままである。
ただ、言えることは、10日同時に成立した「高等教育無償化」(10月に予定されている消費税増税分を財源にして2020年4月から施行。低所得世帯の入学金、授業料の減免、給付型奨学金の拡充など)とも相まって、世界に比較しての日本の「教育全般の無償化の立ち遅れ」を意識したものと思われる。3歳未満児の保育よりは、小学校に繋がる3歳以上の教育の方が、国際的な教育・経済競争を意識してとりわけ重要だと認識されているのであろう。
もともと、3歳未満児の子育てに関しては、基本的には家庭(主要には母親)が責任をもてばいい・・・という安倍内閣の基本姿勢が根底にあるのは事実だろう。それにしても、今回の3歳児以上の「幼児教育・保育無償化」が本筋でありながら、ちゃっかりと、0~2歳児の、しかも住民税非課税世帯の保育料の無償をも今回の無償化政策に入れ込んでいる。「所得に応じる保育料徴収」を基本にしている保育界では、すでに低所得世帯に対する負担軽減は実行されているため、今回の「無償化」にあえて言上げして付加するまでもないことなのに・・・。複雑な就学前の教育・保育事情に乗じての、汚い手口である。
話は変わるが、昨年春から今年1月にかけて、いずれも「愛」の文字が使われている「結愛(ゆあ)ちゃん、5歳」「心愛(みあ)さん、小4」の痛ましい虐待死事件が相次いだ。しかも、詳細が報道されるにしたがって、児童相談所、小学校、教育委員会などの連絡不足、判断ミス、不手際等々が明らかになってきた。それに対して政府はいち早く、「児童虐待防止対策に関する関係閣僚会議」を立ち上げ、「緊急総合対策」を決定し(2018.7.20)、さらに関係府省庁連絡会議では「児童虐待防止対策体制総合強化プラン」を策定している(同⒓18)。また、今年に入ってからの心愛さん事件に絡んで、先の「『緊急対策』の更なる徹底・強化について」を決定し(2019.2.8)、3月19日には、関係閣僚会議において、今後の対策強化や具体化のための「児童虐待防止対策の抜本的強化について」を決定・公表している。
それは、今後の児童福祉法の改正や2020年度予算の確保をも含む全般的、現実的な児童虐待防止への全般的な政策の提示である。
具体的には、児童相談所の業務の明確化や体制の強化、児童福祉審議会や市町村設置の要保護児童対策地域協議会との連絡強化、児童福祉司の2000人増、学校・教育委員会や警察との連携強化、家庭裁判所や親権制限(児童福祉法28条)の適切な運用、子育て世代包括支援センターと子ども家庭総合支援拠点との一体的運用、さらには、「社会的養育」としての里親・養子縁組・特別養子縁組などの促進、児童養護施設の一層の小規模化・地域分散、民法の「懲戒権」のあり方の検討、等などである。
それにしても、歯止めのかからない「少子」社会の中で、なぜ「児童虐待」なのだろうか?この難問題を解いていくことは並大抵ではないが、まずは、日本における親子関係の歴史と問題を探るために、民法に規定されている「親権」の歴史と現状から見て行こうと思う。
「親権」の歴史
戦後、民法もまた日本国憲法同様、個人の尊厳や「両性の本質的平等」(憲法24条、民法2条)を基本原理として制定された(1947・昭和22・年)。同時に、明治時代以来続いてきた「家制度」も廃止された。
しかし、結婚・子産みなどに関わる家制度の風習は根強く、法関係者にも意識化されないままに、民法の中には家制度の「常識」が多く取り残されている。たとえば、731条と737条 男女の婚姻年齢(18歳と16歳)と親の許可、733条 女性のみの再婚禁止期間(6カ月)、750条 夫婦の氏(同一、同姓)、772条 生まれる子どもの父の認定(結婚後200日以内、離婚後300日以内)・・・など。
さらに、明治民法の「家」のための「親権」という名称が、その中の「懲戒権」そのままに、戦後民法にも規定されているのである。
明治民法(1898・明治31・年)と戦後民法(2011年改正前)とを参考までに比べてみよう。
○明治民法882条1項(現代文改め):親権を行う父または母は必要なる範囲内において、みずからその子を懲戒し、または裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。
○戦後民法822条1項:親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場にいれることができる。
以上のことから明らかであるが、戦後日本では、公法上では基本的人権が意識化され、政治の前提に据えられたかに見えるが(もちろん、かなり形式的ではあっただろうが・・・)、民法が規定する家族においては、明治民法とほぼそのままの親権が、子どもの監護と教育、居所指定、懲戒、職業許可、財産管理、等々の権利(と義務)として継承されていたことが分かる。
この家父長的な親権規定が見直され、改訂されるに至ったのは、ここでも世界的な動向と圧力があってのことである。つまり、1989年、第44回国連総会で採択された「児童の権利に関する条約(子ども権利条約)」を受けて、それを日本が批准したのは1994(平成6)年4月である。それからさらに7年後の2011(平成23)年、ようやく民法が改正された。
改正された親権規定を見てみよう。
○2011年改正後民法820条:親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
同822条:親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。
確かに、「子どもの権利」を前提にしての「改正」である。親権が「子の利益のため」のものであることが強調されている。それはごく当然の親権への規制であろう。ところが、822条には、「必要な範囲内で」との限定づきではあるが、なお「懲戒することができる」との規定は残されている。
今回の児童虐待防止対策の中でも、この親の「懲戒権」の検討が、課題として挙げられているが、いずれにしても、日本の民法の見直しの動きは余りにも遅い。親権についての根底からの検討を経ないままに、「親権喪失」や「管理権喪失」の拡大、改正時点で新設された「親権停止」のさらなる拡大などが課題に上っているが、「親権」を前提にして、はたしてそれを停止させたり喪失させたりする権限は何に由来するのか、「親権」と「子どもの権利」はどのような関係なのか、等々、検討し直すべき課題は多い。(続く)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1041:190518〕