「すべての子どもは家庭で育つ権利がある」?
― 「養子縁組」(「普通養子縁組」「特別養子縁組」)を改めて考える
いわゆる「子どもの権利条約」は、1989年に国連総会で批准され、日本も1994年にようやくそれを批准した。それまでは、とりわけ法の世界では「未成人=未成熟」ゆえに、子どもは独立した人格主体とは見なされることはなかったが、それ以来、「子どもの権利」は普遍的な理念として主張され、子どもは、「人として」すなわち「人格」として、まぎれもない「主体」であることが確認されてきた。
もっとも、現実においては、子ども、障がい者、高齢者に関しては、日々の生活の監護(養護・介護)や支援、後見などのサポート・施策は、必要不可欠なものとして求められ、法的にも整備されてきている。「人格主体としての権利」と「支援のための福祉的施策」とは、矛盾するものではなく、両立させなければならないものなのだ。その意味では、「子どもの権利」をめぐっても、現実の法や制度が、はたしてどこまで「子どもの権利」を保障するものになっているのか、逆に、「子どもの権利」を阻害するものになっているのか、個々の局面で、かつ具体的に、絶えず点検されなくてはならないのだと思う。
ところで、先の「子どもの権利条約」第20条では、「一時的かつ恒久的にその家庭環境を奪われた子ども」また、「子どもの最善の利益にかんがみて」「その家庭環境にとどまることが認められない子ども」に対しては、国は「代替的な監護を確保する」と規定している。そして、その「代替的な監護の場」として、里親、養子縁組、次いで施設、があげられている。
さらに、2009年、国連は「児童の代替的養護に関する指針」で、「施設収容」つまり「施設養育」は、「子どもの最善の利益に沿った特別な場合に限る」と述べており、確かに、「家庭的養育」に、より近い里親、養子縁組を推奨した形になっている。
もちろん、一般的に「子どもは誰もが生まれ落ちた家庭で安らかに養育される」ことを望まない人はいないだろう。それゆえに、「家庭環境を奪われた」子どもたちに対して、可能な限り「家庭的な養育環境」を整備しようとする意図に、心から賛同するのも当然である。
しかし、ここは難しい論点ではあるのが、だからと言って、「すべての子どもは家庭で育つ権利がある」と言い切ってしまっていいのだろうか?もう少し慎重な視点や複層的な視角抜きに、この方針の下だけで、子どもの「社会的養育」の制度化が里親、養子縁組にのみ特化した形で、疑問の余地なく進められて行って良いものだろうか?
「家庭」とは、それこそ個別にはさまざまであり、多種多様であるだろう。愛情の行き交う場であるのはもちろん、対立、憎悪の場ともなり、死や別れも免れることはできない。そのような「家庭」を前提にし、かつそのような「家庭」で生きざるを得ない子どもたちの現実に寄り添って、何が必要なのか、・・・このような視点を含み持ちつつ、子どもの福祉としての「社会的養育」=とりわけ今回は養子縁組の日本の現実の姿を探ってみようと思う。
「良好な家庭的環境での養育」志向へ―2016年児童福祉法改正以降
上記のような国連を中心とする動きに呼応するように、日本でも、2016年の児童福祉法の改正によって、まずは基本として、「国および地方公共団体は、児童が家庭において心身ともに健やかに養育されるよう、児童の保護者を支援しなければならない」と規定された。続いて、家庭における養育が困難な場合、あるいは適当でない場合は、「家庭における養育環境と同様の養育環境において継続的に養育されるよう」必要な措置を講じなければならない、と規定されている(第3条の2)。
戦後の浮浪児対策以来、70年あまりにも渡って、0歳児(時によって3歳児未満や就学前の子どもも)の「乳児院」と1歳~18歳までの「児童養護施設」に委ねられてきた日本の「社会的養育」の形態が、改めて意識的に変えられようとした転機である。(やや古い10年前の比較ではあるが、例えば里親の委託率:オーストラリア93.5%、アメリカ77%、イギリス71.7%に対して、日本は12%である。つまり残りの90%近くが児童養護施設への収容となっている。厚労省調査2010年)
これ以降、施設の小規模化(地域小規模児童養護施設・グループホーム、小規模グループケア・分園型)や、小規模住居型のファミリーホーム、さらには里親、養子縁組への強化・移行が目指されることになった。
また、厚労省は「新たな社会的養育の在り方に関する検討会」を立ち上げ、抜本的な見直しを試みようとしたが、それには至らず、とりあえず当面の課題が「新しい社会的養育ビジョン」として提案された(2017年)。具体的には、たとえば里親への委託率アップが数量化されて提示されている(3歳未満児は5年以内、就学前児童は7年以内に委託率を75%、学童期以降は10年以内に50%にする、など)
里親に関しては、前回フォローしたので、今回は「子どもの福祉のための養子縁組」に焦点を当ててみよう。
「普通養子縁組」―「家」制度を引きずりながら
「養子縁組」という言葉は、世代の古い人間にとっては、例えば「あのダンナさんは婿養子」とか「あの子は伯父の家に養子に貰われて行った」とか、日常的によく耳にしていた言葉であり、慣行であった。それが語頭に「普通」と付けられるようになったのは、1987(昭和62)年、後に述べる「特別養子縁組」が民法に規定されて以降である。
この「特別養子縁組」は、1973年の菊田昇医師による「赤ちゃんあっせん事件」をきっかけに問題が顕在化し、その対策が検討された後に、ようやく民法(関連して児童福祉法)に規定されたと言われる。
しかし、先に述べた「普通養子縁組」は、どちらかと言えば、「家(家業)」の存続のための制度であった。家業や財産の相続、墓の維持など、「子どもの居ない夫婦(家)」にとっては、「跡継ぎ」を必要としたからである。したがって、養親と養子の年令が逆転しない限り、年齢制限はない(もちろん養親は成人である)。ただし、15歳未満の子どもが養子になる時は、元の親権者(あるいは法定代理人)の承認が必要とされ、未成年者が養子になる場合は、いずれも家庭裁判所の許可が必要とされる。
今でも、親が存命であってもなくても、祖父母が彼らの孫を「養子」にするケースも稀ではない。ただこの場合も「子どもの福祉」という側面が皆無ではないだろうが、多くは祖父母の家産の相続のためであることが多い。
この「普通養子縁組」は戸籍に明記されるので、実親との関係も事実として継承される。ただし、養子縁組が続いている限り、親権は養親に帰属する。
このように、「普通養子縁組」自体が、戦前の「家」制度を引きずっているために、「家族」や「親子」に関しても、日本の家族独特の「父子関係重視」「家族共同体」意識が濃厚である。したがって、離婚や再婚によって構成される大人と子どもの「生活共同体」を、その姿のありのままに「異父・異母」の兄弟姉妹関係そのままに暮らす、という形は日本では未だ当たり前に「認知」されていない。「結婚」によって成り立つ「家族」には、父がいて、母がいる、さらにその両親の「子ども」たちがいる・・・そのような姿こそ「家族」として認められているからである。したがって、離婚した夫婦が、それぞれ再婚した場合、相手の連れてきた子どもと「養子縁組」をするケースが多いが、元の親との関係や、父や母を異にする「兄弟姉妹」関係はややこしい複雑な状況に置かれることが多い。
もっとも、この「普通養子縁組」は、結婚制度と同じく、「離縁=解消」は可能である。そして、離婚と同じく、協議離縁、調停離縁、裁判離縁がある。
以上のような、戦前からの「家」制度を引きずる「普通養子縁組」の「良し悪し」含めた根本からの見直し作業のないままに、実の親との関わりを、現実の場面でも、戸籍の上からも完全に切り離す制度として「特別養子縁組」が法定化されたのである(1987年)。
「特別養子縁組」含めた日本の「養子縁組」の課題(次回に)
いずれにしても、実の親子関係ではない人為的な親子関係を子どもの福祉としての「養子縁組」(adoption)と認め、さまざまな手当てをも保障しているアメリカ(2013年で年間約12万件)、フランス(同5500件)、イギリス(同4734件)と比較しても、日本の「養子縁組」には「普通養子縁組」「特別養子縁組」ともに、なお多くの課題が残されている。
「子どもの福祉」のために特化した「普通養子縁組」は稀少であるし、逆に「子どもの福祉」を銘打つ「特別養子縁組」は、2014年度で513件となっている。
字数の制限もあるので、「特別養子縁組」を中心とする日本の「養子縁組をめぐる問題」については、次回に改めて整理することにしよう。
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