<マスコミ不信>
3.11の歴史的苦難(2011年3月11日、東日本大震災と大津波が東北地方に壊滅的被害をもたらし、さらに東京電力福島第一原発で爆発事故が発生)のあと、当局(東京電力、経済産業省、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院、菅直人内閣等)の混乱・不手際とずさんな危機管理、あげくの隠蔽工作に憤りを覚えると同時に、日本の新聞・テレビなど大手メディアもその隠蔽工作に荷担し、当局発表を無批判にそのまま伝えるだけの無能かつ権力寄りの報道姿勢に失望した。
こうしたマスコミ不信を生んだ根源的問題として指摘されているのが、日本特有の「記者クラブ」の悪弊であろう。すなわち“大本営発表”(当局側による正当性、成果のみ強調し、失策を認めたり、公表しない宣伝用発表)ともいえる当局側の宣伝用プレスリリースをそのまま無批判に横流しする大手メディア(新聞、テレビ)の無能ぶりと怠慢、しいては国民を愚弄する欺瞞に満ちた情報操作によって、国民は真実を伝えられないまま、当局側の“大本営発表”の正当性と宣伝に踊らされている。
たまたま筆者が参加している研究会において話題となっていたマーティン・ファクラー
(ニューヨーク・タイムズ東京支局長)著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(2012年、双葉新書)によると、3.11の東日本大震災と東電福島原発事故に際して、日本の大手メディアは、『当局の記者発表やプレスリリースを横流しする報道に終始した。・・・・
結果的に日本の大手メディアは、当局の隠蔽工作に荷担することになってしまった。・・・「記者クラブ」制度が抱える矛盾が、日本国民の目の前に一気に表出した瞬間でもあった。』
と指摘されている。
<“ジャーナリズム崩壊”>
「記者クラブ」の弊害を批判した論調は、決して本書だけではない。すでに数年前にも、日本のマスコミに警鐘を鳴らす『ジャーナリズム崩壊』(上杉 隆、幻冬舎新書)も発刊され、それによると、“メモ合わせ”による横並び(同じ論調)とカンニング記事の温床を生む日本特有の「記者クラブ」に所属する記者たちは、記者発表という当局(権力)側からの“世論操作”に無批判に踊らされているという。
同書によって指摘されている日本マスコミ(新聞・テレビ)論の主要な問題点には、次のようなものがある(2008年12月13日、メディアネット・ちきゅう座「『ジャーナリズム崩壊』とメディア危機」)。
「記者クラブに所属している日本の新聞やテレビは、報道機関というよりはむしろ政府の広報機関と同じ役割だ。」
「政府による発表に頼り切り、それを疑問にすら思わない批判精神の欠如がこうした報道を生むのだろうか。」
<「記者クラブ」不要論>
このほか岩瀬達哉 著『新聞が面白くない理由』(講談社)によって指摘された点で注目されるのは、
「“権力の監視機関”でなく、“利権の受け皿”としての記者クラブ」
「政界や官界との癒着などもあって不要論が浮上している記者クラブ」
「強者にはうやうやしく弱者には無情な日本のプレスは、権力との曖昧な関係を維持している。」
などなど、日本マスコミのあきれた実態を克明に論じている。
『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』の中で、ニューヨーク・タイムズのマーティン・
ファクラー東京支局長は、『日本のメディアの報道は実に不思議だ。・・・自らが疑問を抱き、問題を掘り起こすことはなく、何かしらの「お墨付き」が出たところで報じる。これでは「発表ジャーナリズム」と言われても仕方がないと思う。』とも指摘している。だからこそどのテレビを見ても、どの新聞も、全くの横並びで、同じような内容しか報じず、個性・独創性が全くなく、魅力に欠けた報道となっている。
今こそ国民に欺瞞をまき散らし、隠蔽工作に荷担する元凶となる悪しき団体「記者クラブ」を早急に解散すべきである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1037:121017〕