メイン・スローガン「誇りある豊かさ」を考案した翁長さんの解説によると、「誇り」は革新が、「豊かさ」は保守が、それぞれ大切にし、実績を上げてきた価値の象徴。誇りなき豊かさでは、企業や自治体はひたすら利益追求に走り、県政はただ県民所得の向上をめざせばよい。豊かさのない誇りなら、精神主義に傾き失業と貧困を放置することになる。つまり「誇りある豊かさ」とは、精神的豊かさの手段としての経済的豊かさというわけです。
彼の話はわかりやすく、これまで革新に対し保守は「誇りでメシを食っていけるのか?」と、保守に対し革新は「カネで命が買えるのか?」と批判しあってきたが、目的が「誇りある豊かさ」ならお互いに感謝し「心ひとつ」になれるというのです。一人当たり県民所得は47位でも生活満足度は16位―「誇りある豊かさ」の基盤はすでにある!と訴えると拍手喝采。「沖縄の将来に自信を持とう」という説得に絶大な効果が表れ、涙する人さえいました。
政府はもとより日本の政党は、「誇り」に象徴される満足や幸福を本格的に追求しているとはいえません。その証拠に、政府の2012年度委託研究は「GNPの急激な伸びにかかわらず、1970年代以降、国民の幸福度や生活満足度は一向に向上していない」と警告しています[1]。“ヤマトぐるみ”の意図的な沖縄差別の結果、幸福や満足、まして「誇り」を感じることのできる人は、よほど無感心で鈍感か自己中心的という状況になっていると思います。
いま総選挙の最中ですが、「格差・差別はアベノミクスによるだけではない」「沖縄差別は日本の恥」といった声は、ヤマトからまったく聞こえてこないではありませんか。沖縄の民意に背き、名護市辺野古と東村高江の自然をつぶして米軍基地を強化・拡充し、さらに与那国島で自衛隊基地を新設しようという日本。それは、民主主義の破壊によって「平和」にしがみつく「恥ずべき国」といわなければなりません。
「翁長枠」国会議員をふやすことによって恥ずべき日本を糾弾し、沖縄差別をストップさせる展望が拡大します。日本の中に「誇り」をとりもどそうという連鎖反応が起こる可能性も、ゼロではありません。(文責:河野道夫=読谷村)
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[1] 2012年3月京都大学「持続可能性指標と幸福度指標の関係性に関する研究報告書」p4―2011年度内閣府経済社会総合研究所の委託研究。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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