「資本主義の次に来る世界」(ジェイソン・ヒッケル著:東洋経済新報社、2023年4月刊)要約  (三)

編集部:註
本稿は長文のため筆者の了解を得て三回に分けて掲載する。全体は下記の通りである。

はじめに 人新世と資本主義            (一)
 第1部 多いほうが貧しい
  第1章 資本主義――その血塗られた創造の物語   (一)

   https://chikyuza.net/archives/131145
  第2章 ジャガノート(圧倒的破壊力)の台頭    (二)
   https://chikyuza.net/archives/131202
  第3章 テクノロジーはわたしたちを救うか?    (三 今回)

 

 第3章 テクノロジーはわたしたちを救うか?
 進化に関するダーウィンの発見は、支配的な世界観を根柢から覆した。似たようなことが今まさに起きようとしている。生態学は人間の経済を生態系から切り離されたものとしてではなく、生態系に組み込まれたものとして捉えることを私たちに求める。これは現在の支配的世界観と資本主義そのものに対する挑戦である。
<パリ協定の危険な賭け>
 2015年12月に締結された「パリ協定」にもとづき各国は温暖化を1.5度C以下にする計画書(国が決定する貢献・NDCと呼ばれる)を自主的に作成した。しかし2020年現在この目標に達成する見込みはない。今世紀の終わりごろには、すくなくとも3,3度C上昇するのは確かだ。幸い世界の指導者たちは、解決策を見つけた。2001年マイケル・オーバーシュタインという学者が新技術に関する論文を発表していた。この新技術(BECCS)に目をつけた。この技術は大規模な植林をし、森林にCO2を吸収させ,それを伐採し、ペレットの加工し、発電所で燃やし、発電所から排出されるCO2を煙突内で回収し、しれを地下に貯留(CCS)し閉じ込めるというもの。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、シナリオを有力な仮説として取り入れた。しかし、大規模なバイオ燃料プランテーションは、巨大で何時できるか見通しはたっていない。「今は排出、後で回収」という戦略は、極めてリスキーである。2018年、欧州科学アカデミー諮問委員会は、BECCS技術への依存を非難する報告書を発表した。
<1.5度Cをめぐる戦い>
 ICPPは、2018年10月特別報告を発表した。気温上昇を1.5度Cは以下に保つ為には、世界の温室効果ガス排出量を2030年までに半減し、2050年までにゼロにする。という内容である。
<グリーン成長は解決策となり得るか>
 この危機を乗り越えるには、政府が大規模なアクションを起こすしかない。クリーンエネルギーに移行すれば、資本主義は生態系に関する懸念から開放される。クリーン成長への道を開き、経済を永久に拡大し続けられるようにする、とグリーン・ニューデールの提案者はいう。科学者たちは経験的な根拠がないとグリーン成長に期待していない。クリーンエネルギーは増加しているが、成長に伴う需要増の一部を賄っているに過ぎない。2050年までにクリーンエネルギーによってゼロ排出を実現するには成長を抑制し、エネルギー消費を縮小することが必要である。問題なのはクリーンエネルギーの需要が増えるに従って資源の過剰な採取が一層過剰になることだ。ガソリン車を電気自動車に切り替えるには、グローバルサウスからの資源採掘量を爆発的に増やさなければならない。予防策を講じなければ、クリーンエネルギー関連企業は、化石燃料企業と同じように破壊的になりかねない。もし気候の安定化が失敗したら、高波その他の災害に対して脆弱な原子力発電所は放射能爆弾と化す恐れがある。
<つくり変えられる惑星>
 成長を継続できると主張する人々は、次第に突拍子もないアイデアに目を向けるようになった。それは太陽放射管理と呼ばれている。ジェット機部隊で成層圏にエアロゾルを噴射し、地球の周囲に巨大なベールを形成して太陽光を反射させ、地球を冷やす、というアイデアだ。科学者は、太陽放射管理はあまりにもリスクが高いと考えている。他の地球工学的計画と同じく、迅速な輩出削減という目標からの危険な逸脱とみなしている。こうしたアイデアは、地球を単なる「自然]、即ち、抑圧、征服、支配できる物質の集合体とみなすものだ。その二元論では、資本主義が永遠に繁栄するために地球が人間の意のままにならなければならないものだ。その二元論の欠陥は、生態学的に筋が通っていないことだ。太陽放射管理によって対処できるのは私たちが直面するごく一部だけだ。海洋酸性化、森林破壊、土壌劣化、大量絶滅の進行を遅らせることはできない。
<グリーン成長という夢ものがたり>
 もし100%クリーンなエネルギーを手に入れたとしても、経済システムが指数関数的スピードで製造と消費拡大を続けるのであれば、化石燃料でやっている事と同じことをするだろう。多くの森林を破壊し魚を獲り、山を掘り、道路を作り、工業型農業を拡大し、廃棄物を埋立地に送り込み、地球の限界を超えた影響を生態系にもたらす。技術革新による資源の効率化(デカップリング:成長と資源消費量の切り離し)やサービス業の拡大もマテリアルプリント(資源の採掘量、消費量)という指標で見ると富裕国の資源消費量は減っていない。GDP成長率を上回る勢いで資源消費量は増えている。
<技術革新はエネルギーや資源の消費を減らさない>
 技術革新により効率が向上しているにもかかわらず、エネルギーと資源の消費量は資本主義が始まって以来常に増え続けている。効率化によって生み出され蓄積された資本は新たな成長に向って再投資され、成長は新たな資源を必要とする。GDP成長を資源及びエネルギー消費の増加とは切り離すことはできない。技術革新は重要であるが、資本主義の下では、技術革新の成果は更なる成長に向けられ、生態系にもたらすはずの利益が帳消しにされてしまうのだ。私たちが違う種類の経済(成長を中心としない経済)に即して生きていたら技術革新は私たちの期待に応えてくれるだろう。ひとたび成長要求から開放されたら、私たちは別の種類の革新に焦点をあわせることが出来るだろう。それは、採取と生産をスピードアップするための革新ではなく、人間と生態系の福祉を」向上させるための革新である。
<グリーン成長というディストピア(暗黒世界)>
 グリーン成長の提唱者たちは、理論上はグリーン成長は可能なはずだ、資源の消費量を年々減らしながら収益を上げることは可能なはずだ、と言う。しかしそれは無責任なギャンブルだ。この問題を解決する方法が一つある。それは資源の年間消費量に上限を設け、毎年その上限を下げていき、やがてプランタリー・ブランダリー以下に収めることだ。しかしこの提案には成長論者は乗ってこない。資本主義は自然からの抽出に依存してきた、金の卵を失いたくないと、心の底では気づいている。生態経済学者ベス・ストラトフォードは研究の中で、資本が資源の限界に突きあたると、攻撃的なレントシーキング((企業などが政府官庁に働きかけて、自らの利益の為に法律や政策などを変えさせようとする活動)に出ることを明らかにしている。
<「成長しなければならないと」という絶対的な思い込み>
 ここまで見てきて印象的なことは、経済成長の追及を正当化するために、人々は並外れた努力をするということだ。GDPを増やす為に文字どおりすべてを危険に晒そうとしている。彼らの誰一人としてその核になっている前提、即ち「毎年生産を増やし続ける必要がある」という前提を疑おうとしない。もしこの前提が間違っていたらどうなるだろうか。私たちの文明と地球を成長要求という束縛から解放する方法があるとしたら?
                       終

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion13375:231114〕