「道々の者が消えた」──周回遅れの読書報告(その76)

 「定住漂泊」という言葉が好きである。もっと絞って言えば、「漂泊」が好きである。最近まるでそれが出来なくなったから、余計に憧れているのかもしれない。しかし、私が小さい頃にはまだ見かけた、漂泊の人たち(「道々の者」)がすっかりいなくなってしまった。その代表例が旅芸人である。小さい頃、春秋の祭りのたびに小屋掛けの興行を打っていた、旅芸人の一座もいつとはなしにいなくなってしまった。若い頃は、その旅芸人の一座に参加し、下足番でもしながら、あちこちを漂泊したいと思ったほどだ。一体どうして彼らはいなくなったのか、不思議でならなかった。
 朝日新聞社編『旅芸人の世界』(朝日文庫、1985)の「あとがき」の冒頭に四代目柳家小さんの次の言葉がある。

昔は歩くということが修行のひとつでしたから、電車や自動車ができたからこっち、芸らしい芸はなくなりました。

 この一文を読んで、道々の者がこの半世紀に消滅した理由が漸く分かった気がした。道々の者、あるいは「道々の輩」ということもあるが(「道々の輩」のことはこの報告の「その64」も参照されたい)、彼らは沖浦和光のいう〈アルキ筋〉の人間である(沖浦『旅芸人のいた風景』237頁)。彼らは「足行き」(アユき)する人間であるが、この言葉からすぐにわかるように、決して単に流浪する人間ではない。彼らは何よりも「歩き回る」人間であり、おのれの足で動く人間であった。道々の者とは、正確に言えば、街道筋を自分の足で歩いて──額に汗して──移動した人間だったのである。
 その道々の者が消えた。それは、生活水準の高度化や都市化の拡大・深化などによるのではない。そういうことは、長期的視点で見れば、19世紀後半から始まっていたのだ。1950年代以降の変化をそれと区別する必要がある。50年代以降の変化の大きな特徴は、「電車や自動車」の発展と、その裏返しとしての、道、それも「歩くための道」の急激な衰退というところにある。その「歩く道」がなくなった。いや、道がなくなったのではない。道を歩くということがなくなった。それは直ちに「道々の者」の消滅につながる。単なる移動であれば、電車でも、自動車でも構わないはずだ。しかし、自分の足で道を歩くことをやめた瞬間に、流浪、放浪はそれまでのものと意味が変わってしまったのではないか。少なくとも〈アルキ筋〉の人間ではなくなる。小さんの言葉もそう理解すべきであろう。
 小屋掛けで芝居を打っていた旅芸人の一座も、あらゆる道具を積み込んだ荷車を引いて遠い道を歩いていたのだろうか。そういえば1950年代や60年代初頭までは、道は当然未舗装だったし、まだ車もほとんどなかった。だから歩くしかなかったのであろう。道が良くなることがこんな負の効果を持っているとは考えもしなかった。歩くことが芸の修行の一つであるとは思ってもみなかった。歩くことで体は鍛えられ、歩くなかで様々なことを考えるものだとは思うが、それ以外に「道々の者」は歩きながらどんな修行をしたのであろうか。
 「道々の者」がすっかりいなくなった今となっては、そんなことを聞くことももう出来ない。小さかった頃はそんなことを聞こうと思ったことはないが、あの時聞いておけばよかったと、返す返すも悔やまれる。みんな、なくなってから、初めてその貴重さに気づくものなのかも知れない。
                  朝日新聞社編『旅芸人の世界』(朝日文庫、1985)
                  沖浦和光『旅芸人のいた風景』(文春新書、2007)

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