古関裕而と菊田一夫の出会いに移る前に、近くの書店を回って、入手できた本について書いておきたい。
⑥刑部芳則『古関裕而―流行作曲家と激動の昭和』中央公論新社 2019年11月(2020年3月 3版)
この本の執筆は、少年時代から古関裕而の大ファンであったことに加えて、NHK朝ドラ「エール」の放送企画が契機となり、古関裕而の遺族、古関裕而記念館学芸員、日本コロンビアなどの協力のもとに始めたと、著者は「あとがき」に記している。そして、「エール」の時代考証を担当することにもなったという。本のオビには「昭和の光と影を歩んだ作曲家の軌跡」とうたわれ、これまで見られなかった史料や既刊の関係雑誌文献や図書を駆使した労作である。同時に、古関への敬慕とオマージュが色濃い書でもあった。私が、まず着目したのは、巻末の「作曲一覧」で、レコード発売作品、映画音楽作品、舞台音楽作品の三つの編年体のリストで、それぞれ、発売年月日、封切り年月日、公演期間と現在の聴取手段が記されている貴重なデータであった。古関を語るには、基本的な資料であり、私の前回、前々回の当ブログ記事を書いている折の疑問が解けたものもあり、データの大切さを知った。
その一つが、古関裕而記念館の「作曲一覧」で「比島沖の決戦」(西條八十作詞/酒井弘・朝倉春子)の発売年月が敗戦後の1945年12月となっていたことで、記念館に電話で問い合わせたところ、電話口の館長は「論理的におかしいですね。学芸員に伝えます」とのことだった。今回、⑥の「作曲一覧」を見ると、1945年2月20日となっていた。本文の記述によると、1944年12月17日に「比島決戦の歌」がラジオで発表され、以降、いくつかの歌番組で放送されていたが、実際にレコードが発売されたかは不明ともいう(⑥129頁)。これは、④の著者の記憶や推測とも一致する。なお、この「作曲一覧」によれば、1945年2月20日には、「フィリッピン沖の決戦」(藤浦洸作詞/伊藤武雄)も発売されていることになっていて、ラジオでは、1945年1月5日まで放送されていたという(⑥128頁)。また、この本について、は後にも触れることにする。
さて、古関の生涯、作曲家としての仕事に大きな影響を与えた菊田一夫との出会いは、菊田の脚本によるNHKラジオドラマ「当世五人男」の音楽を担当することになった1937年が最初であったが、戦時下に途絶え、再会するのは、1945年10月28日から7回シリーズのNHKラジオドラマ「山から来た男」であった。そして、「鐘の鳴る丘」(1947年7月5日~1950年12月29日)、「さくらんぼ大将」(1951年1月4日~1952年3月31日)、「君の名は」(1952年4月10日~1954年4月8日)と続くのである。
私が聴いていた記憶があるのは、前二つで、「君の名は」は、兄たちが「すれ違いだらけのメロドラマだよ」みたいなことを口にしていたのは覚えているが、母も店が忙しい時間帯でもあり、聴いていた姿の記憶はない。銭湯の女湯ががら空きになった、とかの宣伝文句も後に聞いたことはあった。営む店が「平和湯」という銭湯のはす向かいだったので、石鹸やへちま、軽石、アカスリなどのお風呂用品が普通に売れていたが、「がら空き」の件は、もちろん話題にもなっていなかったと思う。当時は、大人の洗髪料金を申し出により?番台で余分に払っていた時代ではなかったか。そもそも料金はいくらだったのかな、など思い出も尽きないのだが。
当時のラジオ番組で、私が欠かさず聴いていたのは、「鐘の鳴る丘」と「おらあ、三太だ」で始まる「三太物語」(青木茂作)であったと思い、調べてみると、後者の放送期間は1950年4月30日から51年10月28日とあり、「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」と一部重なっていることがわかった。
『全音歌謡傑作集』(全音楽譜出版社 1948年10月 45円)は、私が、建て替え前の実家の物置から持って出た、敗戦直後の数冊の流行歌集のなかで一番古いもの。いわゆる仙花紙なので、どこを触っても崩れそうな、補修もままならない。やや扇情的にも思える表紙絵のこの歌集に「とんがり帽子」が、載っていた。「とんがり帽子」は、レコードでもラジオドラマでも、川田正子が歌っていて、海沼実が指揮する「音羽ゆりかご会」の合唱が入っているはずなのだが、敗戦直後の何冊かの川田孝子・正子の愛唱歌集や童謡集にも、収録されていないのが不思議だったのだが。
また、当時の記憶に残る番組は、いくつかあるが、7時のニュースの後に始まる「向こう三軒両隣り」(1947年7月1日~53年4月10日)、「朝の訪問」(1948年4月4日~64年4月5日)、「日曜娯楽版」(1947年10月12日~52年6月8日)、日曜の8時からの「音楽の泉」(1949年9月11日~、進行役の初代:堀内敬三)とたどってゆくときりがない。「日曜娯楽版」が、政府の圧力か、いまでいう、NHKの政府への「忖度」で終了したらしいと、次兄などが悔しがっていたのを思い出す。kこの件は、当時国会でも議論されていて、末尾の「敗戦とラジオ」の記事をご覧いただけたらと思う。
古関と菊田との仕事の流れを見てみよう。1947年7月にラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が始まる前に、菊田一夫の新国劇「長崎」の劇中で歌った歌が、映画「地獄の顔」で渡辺はま子が歌ったのが「雨のオランダ坂」(1947年1月)であり、それに続いたのが「とんがり帽子」だった。二人が映画やらラジオドラマに関係ない歌を作り出そうとできたのが「フランチェスカの鐘」(1949年3月)だった。サトー・ハチロー作詞「長崎の鐘」(1949年6月)、菊田との「イヨマンテの夜」(1950年1月)とヒット曲が続いた古関・菊田は、その後も、1952年に始まった「君の名は」および関連曲のレコードなど、1956年ころまでは、年に4~8曲は発売されるというブームが維持される。同時に、西條八十、サトウ・ハチローらのベテランの作詞家とともに、古関と同郷の野村俊夫、丘灯至夫(十四夫)とのコンビも多くなるとともに、映画音楽の仕事も1950年代の半ばから後半にかけて、年に5本から多いときは13本までに及びピークをなす。そして、菊田との仕事は、1956年から、東京宝塚劇場、梅田コマ劇場、芸術座などを中心に舞台音楽が多くなり、演目は、歴史もの、文芸作品から母物、剣豪もの、喜劇、ミュージカル、外国の翻案ものなど菊田の多種多様な舞台での名コンビぶりを発揮していたようだ。帝国劇場の「風と共に去りぬ」芸術座の「がめつい奴」「がしんたれ」などの大阪もの、「放浪記」などのロングランは、演劇界をにぎわしていたが、私は残念ながら、これらの舞台とは無縁ではあった。1973年、菊田一夫の死去に伴い、古関の舞台音楽も終わり、同時に、1960年代後半になると、テレビの普及、テレビドラマの台頭により、映画自体の流れも大きく変わり、斜陽産業といわれる時代に至り、古関の映画音楽も終息に向かった。
『歌のアルバム』(全音楽譜出版社 1948年1月)は、12.5×9㎝の横長の小さな歌集で、最終頁に載せられた「雨のオランダ坂」と「夜更けの街」ともに古関・菊田のコンビだが、楽譜はない。左頁の端が切れているが、こんな製本ミスの本も25円で買ったということだろう。裏表紙に父のサインがある。
同じ『歌のアルバム』から「フランチェスカの鐘」、これには楽譜がついている。どこを開いても崩れそうな・・・。
古関とサトウ・ハチローの「長崎の鐘」の歌詞はもっぱら長崎原爆投下の犠牲者の鎮魂をうたっているが、元になった、永井隆の『長崎の鐘』(1941年1月)は、GHQの検閲下、半分近くの頁を日本軍のマニラにおけるキリスト教徒虐殺の記録「マニラの悲劇」付録とするものであった。この著書はじめ、永井は「浦上への原爆投下による死者は神の祭壇に供えられた犠牲で、生き残った被爆者は苦しみを与えてくださったことに感謝しなければならない」と繰り返していた。原爆投下の責任を一切問うことをしていない。「長崎の原爆投下の責任について<神の懲罰>か<神の摂理>を考える」(2013年5月30日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/05/post-15f2.html
も併せてご覧ください
なお、古関は、ドラマ以外にも、多くのラジオ番組のテーマ曲や主題歌を提供した。最初の農事番組といわれる「早起き鳥」(1948年4月1日~終了日?)の「おはよう、おはよう」で始まる歌やにぎやかなオープニングの「今週の明星」(1950年1月8日~1964年4月2日)、ゆったりとした「ひるのいこい」(1952年11月17日~)「日曜名作座」(1957年7日~2008年3月30日)のテーマ曲が思い起こされる。「日曜名作座」の、後継番組「新日曜名作座」(2008年4月6日~)では、テーマ音楽のみが継承されているとのことである。1960年以降になると、ほとんどラジオを聞かなくなるので、これらのメロディーを耳にすることはなくなった。
次回は、古関裕而とスポーツ、応援歌を中心に、振り返ってみたい。(続く)
当ブログの過去記事もご参照ください。
◇2012年9月26日
緑陰の読書とはいかないけれど②『詩歌と戦争~白秋と民衆、総力選への「道」』(中野敏男)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/09/post-9cea.html
◇2010年12月2日・3日
『敗戦とラジオ』再放送(11月7日、夜10時)」を見て(1)(2)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/12/11710-50ed.html
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/12/11710nhk-960d.html
◇2006年2月17日
書評『歌と戦争』(櫻本富雄著)(『図書新聞』所収)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2006/02/post_d772.html
初出:「内野光子のブログ」2020.5.31より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/05/post-48157e.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9801:200531〕