「韓国の歴史と民主主義を学ぶ旅」2日目 ー 東学農民戦争の跡地を訪ねる

著者: 澤藤統一郎 さわふじとういちろう : 弁護士
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本日は、全羅南道の羅州市を訪れ、東学農民戦争の跡地を訪ね、光州で宿泊する。
東学農民戦争とは、高校時代の歴史の授業では、「東学党の乱」として教えられた。「東学党」とは「西学に対抗する民衆の新興宗教組織」で、「乱」とは腐敗した李氏朝鮮に対する叛乱。大規模な、この民衆叛乱乱の鎮圧の過程で日清戦争が起き、これに勝利した日本が朝鮮を植民地化する。こんなところが、私だけではなく、日本人の多くの認識水準ではないか。

この農民の蜂起は、いま、韓国では「甲午農民戦争」とも、「東学農民革命」とも呼ばれているという。「戦争」という規模であり、「革命」という理念をもった行動であったという評価なのだ。そして、この蜂起は近代化した日本軍の残虐な大虐殺によって鎮圧される。このときの韓国民衆の怨念が、今なお、対日感情の底流をなしている。この点については、中塚明さん(奈良女子大名誉教授)のいくつもの著書で、多少なりとも蒙を啓くことになった。

以下は、ウィキペディアからの抜粋である。
 儒学の修得が長い年月と相当の財力を必要とするのに比べて、東学において、その真理に達するための修養方法は、日常的に「侍天主 造化定 永世不忘 万事知」の13文字を唱えることであった。東学教徒たちは天主(ハヌニム、「天の神」、朝鮮における古代からのシャーマニズムに由来する概念)を仰ぎ、天主はすべての人間の内に住むと述べて、人間の尊厳と平等とを説いた。また、山中に祭壇を設けて天(ハヌル)を祭り、戦いに備えるため木剣を持って剣舞をならった。しかし、東学の教理は、革命ではなく、教化であり、東学党の上層部は常に農民(賤民層)の暴力的闘争を拒否した。

東学には、不殺生の教えが徹底していたという。戦場でなお、彼らは殺生を避けようとした。これに対する日本軍の殺戮は、仮借のないものだったという。本日は、その故地を訪ねることになる。

なお、2019年の「3・1独立運動」に、東学を再興し名称を変更した「天道教」が深く関わっていることはよく知られている。現在なお、南北の朝鮮に多数の信者を有して、一勢力をなしているという。

昨日は、近世日本の朝鮮侵略。本日は、近代日本の朝鮮民衆に対する大虐殺の歴史の探報ということだ。これは、気が重い。
(2019年5月17日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.5.17より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=12623

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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