シリーズ「香害」第11回
香りつき商品の成分で化学物質過敏症などを発症する「香害」が深刻になる中で、香害で苦しむ人たちに優しい大型公共施設と菓子工場が、相次いで完成した。
いずれも国内で初めての取り組みで、社会にあるバリア(障壁)をできるだけ取り除き、障害をもつ人たちがそうでない人たちと同じように生活できるようにしようという「障害者差別解消法」の趣旨に沿った動きだ。
◆熊本市に、化学物質過敏症患者に配慮した大型公共施設
化学物質過敏症(CS)を発症すると、香りつき柔軟剤・タバコ・新建材など身の回りにある多数のものから揮発される微量の化学物質に反応し、激しい頭痛・めまい・吐き気・目の痛みなどに襲われ、日常生活ができなくなる。
この人たちは学校や図書館などに入ることが難しくなり、災害時には一般の指定避難所はもちろん、高齢者や要介護者のための福祉避難所も利用できない。通勤も働くこともできなくなる。
こんな現状に風穴を開けようとする取り組みの一つが、熊本市の中心部に完成した大型公共施設「熊本城ホール」だ。
熊本城ホールは、熊本地震からの復興のシンボル的事業として整備された複合施設の一部。約2300席の「メインホール」や大規模な展示会が開催できる「展示ホール」、会議室などがあり、昨年12月に全面開業した。
この施設では、エレベーター・多機能トイレ・救護室・授乳室・会議室2室が、CS患者に配慮した内装になっている。たとえば会議室は、壁を無機質素材にした上に自然塗料で塗装し、床は自然素材で造ったリノリウムにしてある。接着剤もできるだけ安全なものを使った。
この取り組みは、地元の患者団体「くまもとCSの会」が2017年に提言書を提出して始まった。提言書は公共施設内の空気が清浄になれば、CS患者だけでなく利用者全体の健康にも役立つとし、具体的な内装素材などを提案。これを市と設計・施工業者が前向きに受け止め、協議してきた。
協議の過程で患者会は、会員がストレスなく入館できる施設と、新建材のニオイがきつく、会員が長時間は滞在できない施設の両方を関係者に体感してもらうなどして理解を求め、ほぼ提案通りの内装が実現した。
熊本城ホールにもなお課題は残っている。机やいすなどの備品やメンテナンス剤(ワックス)、清掃用洗剤、トイレの芳香剤から揮発する化学物質が、CS発症者を苦しめるからだ。患者会は今後、これらについて不使用や変更を提案していく。
さらに、市内の保育園や学校、図書館、病院などについても今回のような配慮を要望し、それを市内の公共施設の基本的な仕様にするよう働きかけていく考えだ。
◆宮城県名取市には、災害時の専用避難所
患者団体の働きかけは、宮城県名取市でも成果をもたらした。地震や台風などの災害時にCSの人が安心して避難できる専用の避難所ができることになったのだ。
地元の患者団体「みやぎ化学物質過敏症の会~ぴゅあい~」は、2018年度にNHK厚生福祉事業団の助成を受け、「シックシェルター」(空気清浄機つきテント)と「空気清浄機」2台と「汚水を飲用水に変えられる浄水器」を備えた。災害時にはこれで「きれいな空気と水」を確保し、食料や薬は患者が自分に合ったものを持ち込み、安全な避難生活を送る考えだ。
ただ、肝心の避難所は決まっていなかった。このため昨年10月の台風19号豪雨のときは、菊地忍・市議会議員(公明)を通じて市の災害対策本部に要望し、あちこち探してもらった末、ある公民館の会議室を借りることができた。
しかし避難所の決定までに何時間もかかり、場所を患者に伝えているうちに外出が危険な状況になって、利用できなかった。
このときの反省を踏まえ、菊地議員が昨年12月議会で「CS患者専用の避難所をあらかじめ指定しておくべきではないか」と質問し、山田司郎市長が検討を約束した。今後、市の防災安全課と社会福祉課が対象者は何人いるか、どこが専用避難所にふさわしいかなどを患者団体などと協議していく。
ぴゅあいの佐々木香織代表はこう話す。
――障害者差別解消法は、国・自治体や会社・商店などに対し、障害をもつ人からバリアを取り除くよう求められたときは、負担が重すぎない範囲で対応しなければならないと定めており(会社・商店は努力義務)、CSは障害の一つであると政府が認めている。でも声を上げなければ、だれも動いてくれない。名取市のケースを先例として各地で声を上げたらどうだろうか。
また、専用避難所を設置することについて一般市民の理解を得るには、普段から市民にCSという病気の特殊性を知ってもらっておくことが大切だ――。
◆北海道倶知安町のお菓子屋さんに「無香料の工場」
北海道倶知安町の老舗菓子店「お菓子のふじい」で、全国に例のない「無香料工場」が稼働し出して5か月になる。
夫の藤井隆良さんが製造担当、妻の千晶さんが経営担当の社長になり、数人のスタッフを雇って続けてきたこの店は5年前、厳しい状況に直面した。
隆良さんが周りの人たちの衣類から揮発する柔軟剤の成分が原因でCSになり、人の少ない早朝しか菓子づくりに集中できなくなったからだ。人々が動き出し、お客さんが増えてくると、立っていることさえできなくなる。
千晶さんは対策を模索する中で、苦しんでいるのは夫だけではないことを知り、「何とかしなければ」という思いから一昨年7月、CSという病気の存在を広く知らせ、CS発症者を支援する事業「カナリアップ」を始めた。
そしてCS発症者が安心して働ける新工場を店舗のすぐ近くに建設することを決意。資金の一部はクラウドファンディングで寄付を募り、施工はCSやアレルギーに詳しい地元の工務店に依頼した。
昨年8月に完成した新工場は、1階が菓子工場と事務所、2階が4人のスタッフが住む寮になっている。
建物は通気と断熱を重視する工法を採用し、壁は調湿・調温・防カビに優れた自然素材の壁材を用い、窓ガラスには太陽光エネルギーで化学物質などを分解する触媒を塗布してある。電磁波による健康被害にも配慮し、Wi-Fiは設置せず、すべての電源コンセントにアースをつけた。
隆良さんはいま、朝4時すぎから店舗裏の工場でケーキなどをつくり、8時ごろから新工場へ移って和菓子などをつくっている。清浄な空気の中で過ごす時間が増えて体調が良くなり、いらいらすることもなくなった。
お菓子のふじいで「カナリアさん」と呼ばれているCSスタッフの第一号が、葛島かよこさんだ。葛島さんは岐阜市で、無添加のお菓子の専門店を開いていたが、4年前に香害でCSを発症し、外出すらできなくなって昨年1月に店を閉じた。
「えっ――マスクが外せる――3年目くらいに日中、マスクが外せてる――深呼吸できるよ!!」。
千晶さんの誘いを受けて転職した葛島さんは昨年8月、無香料の工場に入ったとたん、こんな声をあげた。いま「めちゃくちゃ快適に仕事をさせてもらっています」という。
岐阜市で葛島さんは家に閉じこもりっぱなしだった。しかしここでは、職場の仲間との交流を通して、再び社会とのつながりができた。体調は少しずつ良くなっており、「店に貢献しながら、できること、行けるところを増やしていきたい」と話している。
この無香料工場には課題も少なくない。CSは個人差が大きく、この工場の空気質に合わない人もいるし、寮生活になじめず、長続きしない人もいる。このため、現在もCSスタッフは1人が欠員だ。設備投資を回収するため、売上げも増やさなければならない。
藤井千晶さんは「CSを発症したため働けなくなった人がたくさんいるが、この人たちは人手不足の中で貴重な働き手だ。ここを一つの参考例にして無香料の職場を増やしていってほしい」と全国の経営者に呼びかけている。
2012年に実施された大規模な疫学調査によれば、化学物質に対して「強い過敏症状」を示す人が成人全体の4.4%いた。人口に換算すれば約550万人になるこの人たちは、専門医の診断を受けていない人も含めて「CSである可能性が強い人たち」だ。
同じ調査によれば、「相当な過敏症状」を示す人が成人全体の7.7%もいた。人口換算で約970万人になるこの人たちは「香害で苦しめられている人たち」といえる。
こんなにも多くの人たちが香害で苦しんでいる現状を考えれば、こうした人たちに優しい公的施設や職場を増やすことは急務だろう。そうした対策は、普通の人たちの健康にも役立つのだ。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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