「反格差」の街頭デモが世界に広がった。前例のない地球規模の広範なデモである。1%(富裕層)に立ち向かう99%(貧困層)が打ち出したデモであり、「99%の反乱」ともいえよう。
スローガンは「格差是正」にとどまらない。見逃せないのは「資本主義反対」、「資本主義と戦う」などの資本主義体制そのものを批判するスローガンまで掲げられたことである。このデモは「新時代の先駆け」となるかもしれない。(2011年10月17日掲載)
▽ 世界に広がるデモ(1) ― 新聞メディアはどう伝えているか
10月15日東京をはじめ世界各地で市民参加のデモが行われた。アジア、欧米など世界82カ国、951の都市でデモが実施されたと伝えられる。これは米ニューヨーク・ウオール街で一カ月も続いている「格差是正」などを求めるデモがインターネット上での呼びかけに応じて世界に拡大したものである。以下、日本の新聞メディア(10月16日付)の報道振りを見出しを中心に紹介する。
*東京新聞=一面トップ記事で東京のほか、ソウル、ローマ、ロンドン、ニューヨークでのデモ風景をそれぞれの写真付きで伝え、かなり派手な紙面づくりとなっている。
見出しは、以下の通り。
「反格差」に世界呼応 約80カ国、暴徒化も
反TPP 反原発も 東京も声を束に
*朝日新聞=記事量が多いのは朝日で一面から二面にまで及んでいる。
見出しは以下の通り。
一面=世界80カ国「反格差」デモ 失業不安、ネットで連携
二面=生きるため街へ出る @マドリード=「仕事もない。家もない」 @ニューヨ-ク=「アメリカは不公平だ」 @東京・六本木=学費・原発・TPP
*毎日新聞=一面と社会面で扱っている。
一面=反格差デモ 欧州騒然 ローマでは一部暴徒化
社会面=「参加に意義」 反核差デモ東京は500人
*読売新聞=二面で扱っている。見出しは反格差デモ、世界に拡大
*日本経済新聞=五面で写真(15日、ローマの観光名所コロッセウム=古代の円形闘技場=の前で金融機関を批判するデモ隊)をあしらって記事もかなり詳しい。
見出しは以下の通り。
反ウオール街デモ、世界に波及 「格差」「反緊縮」・・・主張は様々 香港・ロンドン・ローマなどで 東京でも集会
なお朝日新聞(10月15日付)は<外務省「行かないで」>という見出しで次のように報じた。
外務省は14日、経済格差是正などを求めるデモが続いているニューヨーク・ウオール街に行かないよう呼びかける渡航情報を出した。外務省は、デモに遭遇したら、すぐにその場から離れ、興味本位で近付かないよう求めた。
この記事を読んで私(安原)は思わず苦笑してしまった。万一の場合、外務省の雑用(邦人保護)が増えるから、とでもいう懸念があるのだろうか。日本人の海外渡航者は一人前の市民ではない、という外務官僚の意識が垣間見える。それに「反格差」デモ自体を危険視しているらしい。この程度の市民感覚では、その外務省自体がやがてデモの対象になりかねないことを覚悟する必要があるのではないか。
▽ 世界に広がるデモ(2) ― 何を訴えているのか
世界の各地でのデモは何を訴えているのか。新聞見出しだけではうかがえない市民の声を10月17日付までの新聞メディアの報道記事から拾い出してみたい。なおそれぞれの記事について掲載の新聞紙名は省略する。
・台北では約1000人の若者が超高層ビル「台北101」の周りで「仕事が欲しい」などと書いたプラカードを手に行進した。また格差拡大は来年1月の総統選挙の争点でもあり、「資本主義反対」と一斉に唱える人々もいた。
・韓国ではソウル市内で約600人が市役所近くの広場で合流し、横断幕には「1%(の富裕層)を代弁する資本主義は壊れた」の文字も見られた。また「1%に税金を、99%に福祉を」「私たちは1%に立ち向かう99%だ」、さらに保険会社員の女性は「高層ビルで働き、高級を稼ぐ1%の富裕者がいる一方、食べることにも事欠く人々がたくさんいる」と訴えた。
・香港では香港取引所前広場に約500人が集まり、大学講師が「世界の抑圧された人々と連帯し、資本主義と戦う」と話した。
・シドニーの豪準備銀行(中央銀行)前に集結した市民らは「企業の強欲ではなく人間的な要求を」などとシュプレヒコール(一斉の唱和)した。
・マドリードでのデモに集まる大学生主体のグループ「将来なき若者」のスローガンは「家もない。仕事もない。年金もない。ただ、我々には恐れもない」だ。「政治は金融市場の声しか聞かない。私たちが欲しているのは、生身の人間の声が届く政治だ」の声も。スペインの失業率は21%、若者に限れば、45%にのぼる。
・ローマにはイタリア全土からデモに約10万人が集まり、「我々は銀行の資産ではない」などと金融機関や政権を批判した。イタリア下院が14日、ベルルスコーニ内閣の信任案を可決したことや財政悪化に憤慨した一部参加者が暴徒化し、国旗を燃やしたり、車に放火したりした。
・ロンドンでは1000人以上が金融街シティーの中心に終結、「ノー・カット」と書かれたプラカードを掲げ、緊縮財政を批判したほか、「銀行は我々の経済をギャンブルの対象にした」と金融機関や巨大企業を批判した。建設作業員の男性(28)は「大勢の若者が失業に苦しむ中、公的資金に助けられた銀行の行員は高額のボーナスをもらっている。あまりに強欲だ」と怒りをぶつけた。
・ニューヨーク・ウオール街近くの公園の「占拠」が始まって1カ月(10月17日)になる。昼間は連日1000人以上でにぎわい、夜も数百人が野営する。シカゴから来た野営組の一人(28)は「初めて私たちの世代が団結して<アメリカは不公平だ>と声を上げた。アメリカは変わるかもしれない。参加しなければ一生後悔すると思った。資産次第で地位や接し方まで決まる米国の<拝金社会>を変えたいと願う」と。
カリフォルニア州から来た男子大学生(19)は訴えたいことが山ほどある。「人間はなぜ差別するのか。ソマリアで多くの人々が飢えているのに米国では毎日多くの食料品が廃棄されている。親も友達も、僕をクレージーと思っている。でも、今よりましな世界をつくるにはどうしたらいいか、ここでは議論できる」と。
・東京都内では日比谷、新宿、六本木の各会場でそれぞれ200人前後の人が練り歩き、「格差をなくせ」「東京を占拠せよ」と叫んだ。東京電力本店や経済産業省の前では「原発反対」「福島を返せ」の声も。TPP(環太平洋連携協定)反対を訴えた品川区の料理講師(45)は、「世界中で一緒に立ち上がろうという声に呼応してみようと思った」と笑顔で話した。
手作りのプラカードには「みんなに家を! 職を!」、「原発も格差も根っこは一つ」、「だれかを犠牲に安穏と生きるのは卑怯な生き方だ」など多様な声が映し出されている。
▽ 過去の大規模な米国市民運動とどう異なるのか
今回の反格差運動と、過去の米国で発生した大規模な市民運動はどこが異なるのか。毎日新聞(10月17日付)は「アメリカの文化戦争」などを著した作家、1960年代に学生活動家で、現在コロンビア大学のトッド・ギトリン教授(社会学)の見解を載せている。その大要は次の通り。
60年代に米国では二つの大きな市民運動が発生した。人種差別撤廃を訴えた公民権運動と、ベトナム反戦運動だ。いずれも隆盛となった後に一部は先鋭化または武装化して、運動は分裂した。今回は初めから分裂しており、経緯が逆なのが新しい。
各地の運動は、地域ごとにその形態が異なるようだ。米国の文化的な多様性のためだが、何が起きているのか分かりにくくしている原因でもある。
「我々は99%」のフレーズは、さまざまに受け止めることができる。私はこれを「米国には富裕層があり、それは廃止させなければならない」と読んだ。他の読み方をする人もいるだろう。つまり運動が普遍的で参加しやすいのだ。
明確さを好む私のような人間は当初、この運動を「すぐ終わる」と疑っていた。だが1カ月続いた。虚心に注目していきたい。
60年代の運動から得るべき教訓はまず「非暴力」の重要性だ。これはとてつもない力となる。運動組織内の融合を図ること、一時的な熱狂に支配されず、長続きする運動とすることだ。
<安原の感想> 世界に広がるデモは「新時代の先駆け」か
上述のギトリン教授の見解は興味深く読んだ。特に次の2点に着目したい。<この運動を「すぐ終わる」と疑っていたが、1カ月続いた。虚心に注目したい>であり、もう一つは<「非暴力」の重要性>である。
前者はかつての学生活動家も今回の運動の持続性を読み誤ったことを意味する。それだけ運動に過去とは異なる質的変化がみられるということだろう。後者の非暴力の重要性は、いくら力説しても、過ぎるということはない。ローマで一部参加者が暴徒化したと伝えられるが、「一時的な熱狂」にすぎないのか、それとも陰で操る「反デモ」工作が存在したのか。
さて問題は、世界に広がるデモの波は新しい時代の始まりなのか、どうかである。結論を急げば、私は「新しい時代の先駆け」ではないかという思いを棄てきれない。もちろんデモの波がいつまでも続くわけではないだろう。しかしデモのスローガンに書き込まれた要求、希望、期待は、やがて雲散霧消するという性質のものではない。
正面に掲げられたスローガンは「反格差」である。それは当然の要求として、世界に広がったデモでは「反格差」のほかに「資本主義反対」、「資本主義と戦う」、「原発も格差も根っこは一つ」などが掲げられた。これは格差は表面に出てくる現象であり、それをもたらす根っこにあるもの、つまり現資本主義体制そのものに目を向けようとする姿勢である。かつての米国での公民権運動、ベトナム反戦運動などの市民運動の枠を踏み越えようとしているようにもみえる。「新しい時代の先駆け」とはそういう意味である。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(11年10月17日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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