(2022年11月22日)
カタール発の報道は、うさんくさいことばかりでウンザリさせられる。この世にはびこる商業主義は、何にでも手を出してしゃぶりつくす。営利のためには、なにものをも犠牲にして恥じない。汚い金にまみれた東京オリンピックがまさにその典型だったが、その腐敗ぶりにおいてワールド・カップも負けてはいない。
さらには、現代の奴隷制とされる外国人出稼ぎ労働者に対する極端な虐待・搾取の問題である。ガーディアンが報じたところによれば、ワールドカップ開催が決定して以来、カタールでは6500人もの外国労働者が死亡しているという。ジェンダー問題も、性的少数者に対する侮蔑の法制度も問題視されている。夜郎自大に自国のルールに固執することは、文明世界では恥ずべきことと知らねばならない。
人権侵害を批判する世界の声に、FIFAはどう応えているか。ほぼ、IOCと同じだ。「サッカーと政治は切り離すべきだ」という、あの論法。「サッカーに集中しよう!」「すべてのイデオロギーや政治闘争に巻き込まれないようにしてほしい」という姿勢なのだ。オリンピックもワールドカップも、スポーツを通じて平和で公正な世界をつくろうという理念を捨て去ったようではないか。
ヨーロッパでは、人権問題の視点からカタール大会に批判が強い。それを象徴するものが、英・BBCの「11月20日、開会式を放送せず」であった。BBCは、その時間帯には、敢えて「カタールW杯が環境に与える悪影響」の番組を放映した。権力に忖度するところのない、硬骨なポリシーの表現である。開会式を大はしゃぎで放映したというNHKとは、好対照となった。
BBCとNHK、どちらも国内では最大の影響力を誇る公共放送メディアである。どちらも視聴者からの受信料収入で成り立つ。だが、国際的な評価は大きく異なる。一口で言えば、「BBCにはジャーナリズム精神が横溢しており、NHKにはそれが欠けている」ということ。「BBCには政府批判に遠慮がないが、NHKには忖度の姿勢に満ちている」「BBCには人権尊重のポリシーがあるが、NHKにはそれがない」とも言えるだろう。
「国民は、そのレベルにふさわしい政治しかもてない」をもじって、「国民は、そのレベルにふさわしいメディアしかもてない」とも言われる。BBCを今のBBCに育てたのは英国の国民であり、NHKを今のNHKに育てたのは日本の国民と言わざるを得ない。
私は、「消費者主権」という言葉を、この局面でも使いたい。もの言う消費者こそが、その消費市場の選択を通じて、企業のあり方を統制する力をもっている。主権者である日本国民は、スポンサーたる視聴者として、NHKにものを言わねばならない。オリンピックの放映のあり方についても、ワールドカップにおいても。そして、政権への忖度の姿勢においても。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.11.22より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20336
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12568:221123〕