『レーニンへ帰れ』。また出版が遅れます。まことにすみません。と言いながら、また宣伝を重ねるのは鉄面皮と言われても仕方がありませんが、どうかご容赦のほどを。(5月出版を目指しています)
さて、本書の中心テーマの一つは、『唯物論と経験批判論』と『ベルンノート』(『哲学ノート』中のヘーゲル研究ノートの部分。張さんはこれを『ベルンノート』と呼んでいます)との関係でしょう。『経哲』と『ドイデ』との関係ほどではないですが、けっこう議論がやかましいようです。その一方には、ドナイェフスカヤなど西洋マルクス主義者の「断絶説」があり、他方には、黴臭い『唯経』・『ノート』「一体説」があります。
もちろん、張さんは後者の黴臭い神話などは信用しておりませんが、同時にドナイェフスカヤなどの「レーニンは『ベルンノート』でヘーゲル主義に転向した」などの見解には真っ向から反対しています。つまり、「人間の意志とは無関係に外的自然は存在する」という一般的な唯物論の原則をレーニンは『ノート』以降も一貫として堅持していたが、ヘーゲルの論理を肉化することによって、そうした「唯物論の原則」が実はマルクス・エンゲルスの唯物論の前提にすぎず、マルクス・エンゲルス独自の唯物論的視角は、所謂「唯物論の原則」とは異なることを発見した―というのです。これは、『唯経』・『ノート』論争における第3の立場と言えるでしょう。
張さんによるこの「第3の立場」の具体的な論証は是非本書を。かなり精緻なものですよ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6034:160416〕