『検証 日本の社会主義思想・運動1』

 自著紹介 『検証 日本の社会主義思想・運動 1』
                               大藪龍介
☆ 研究の問題関心、課題、対象

日本における社会主義思想・運動は、生成以来100年有余の歴史を刻みました。しかし、今日ほど退潮し衰勢になったことはありません。それを象徴するのは、戦後左翼勢力の主座を占めてきた社会党の消滅です。日本の社会主義は危局に立たされています。
本書『検証 日本社会主義思想・運動』は、その敗退の史的過程を分析し、思想・運動上の根拠を探索します。
顧みると、19世紀末草創の日本社会主義は、大正デモクラシーを背景に、安倍磯雄、片山潜、幸徳秋水、堺利彦、山川均らの先駆的苦闘を通じて基礎的な事績を定礎しました。
1917年のロシア革命、そしてソ連共産党・コミンテルンの世界共産主義思想・運動の興隆は、日本の社会主義思想・運動の展開にも深甚な影響を及ぼしました。1922年の日本共産党の創立も、その解散後の共産党の再建も、コミンテルンの強力な働きかけに依りました。1926年からの第二次共産党は、あらゆる面でコミンテルンに服属し、日本の資本主義経済・国家の封建遺制を強調して、半封建的な「天皇制の廃止・打倒」を主題とするブルジョア民主主義革命路線をとりました。それとともに日本のマルクス主義勢力は共産党と『労農』グループに分裂し、社会民主主義勢力の建設せる無産政党は、中間派、右派に分立しました。1930年代後半、軍部の中国・アジア侵攻拡張、政治的支配体制のファッショ化の進展とともに、マルクス主義派と社会民主主義派のすべての運動は掃滅されました。
戦前のマルクス主義と社会民主主議の諸政派間の軋轢と対抗関係は、戦後に共産党、社会党、民社党などに引き継がれ、およそ1970年代まで続きました。
1989~91年にソ連・東欧「社会主義」体制は倒壊し、ソ連共産党主導の20世紀社会主義思想・運動の破産は誰の目にも瞭然となりました。親ソ連性を特質としてきた日本の社会主義陣営には決定的な打撃でした。
日本資本主義経済・社会・国家体制に対する社会主義的変革の闘いは敗退しました。今求められているのは、失敗、敗北から徹底的に学ぶこと、そして多様な視角で新たなる再興への座標を定立することです。
『検証 日本の社会主義思想・運動』の全体的な構成は、次のとおりです。 
第一分冊 前編「山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」
     後編「向坂逸郎の理論・実践 その歴史的功罪」
第二分冊 前編「日本共産党の栄枯 徳田球一・宮本顕治・不破哲三を軸に」
     後編「宇野弘蔵の社会主義論考」
       「宇野学派の現代社会主義と資本主義をめぐる内部論争」
第三分冊 余命に恵まれれば、安倍磯雄、賀川豊彦を扱う予定
 この数年、日本の社会主義思想・運動をめぐって膨大な史料の調査、検討を図り、専門的研究者達の数多の達成業績の摂取に努めました。今日までのマルクス主義的社会主義の思想・運動に関わる諸々の論説に対して、疑問や批判は尽きません。そこで、旧套の根本枠組みの打破を試行する一石を敢えて投じることにしました。見解を異にする人達との論争、それを通しての研究のレヴェル・アップへの期待も込めています。
社会主義思想・運動について真摯に考究する人々はもとより、長年の通俗的定説からの脱却に苦吟している旧い世代、新たな未来を拓く可能性を秘める若い世代に、なにがしかの問題提起を果たせれば望外の喜びです。

☆ 今回の第一分冊の論目 

前篇「山川イズム 日本におけるマルクス主義創成の苦闘」
 戦前社会運動の道
   マルクス主義理論の体得
   第一次共産党 結成と解散
   無産政党の形成と山川の無産政党論 
   『労農』グループの形成
   無産政党運動の発展と終末
   プロレタリア革命の条件は実在しなかった
 戦後平和的な民主主義革命を求めて
   新たな革命政党創立への挑戦、蹉跌
   『社会主義への道は一つではない』
   山川イズム論評の変遷
   山川イズムの歴史的意義  

後篇「向坂逸郎の理論・実践 その歴史的功罪」
  戦前の活動 
  『経済学方論』―理論的原点
  社会主義革命諭
  社会主義社会論
  三池闘争
  向坂社会主義協会 俗学マルクス主義と社会党強化
  社会党の停滞低落、社会主義協会の拡充強化
  ソ連讃歌
  社会主義協会、隆盛から閉塞、分解へ
  歴史的功罪

☆ 特に読みとって欲しい点

「山川イズム」の篇では、①戦前遂行した無産政党創設、労働組合運動強化の闘争を、第二次共産党の天皇制打倒に武装決起する「機動戦」に対抗する「陣地戦」とする観点を導入しました。②1949~50年にスターリン主義全盛期ソ連を「国家資本主義」と厳しく批判した先見性、そして社会党・共産党に替わる革命政党創立への挑戦に心をうたれました。
 「向坂逸郎の理論・実践」の篇では、ソ連「社会主義」の手放しの称揚を明示して論判しました。戦後左翼陣営の代表的存在だった社会党が消滅するにいたった理由を解き明かす鍵を示すことにもなっているでしょう。
 通常一体視される山川と向坂の思想・運動上の著しい相異も描きだしています。

 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1336:250107〕