『比翼の象徴』を読み始めた~

 昨年、2024年4月まで、全国紙の新聞記者として皇室、歴史問題を担当していた井上亮(1961年~)による『比翼の象徴 明仁・美智子伝』上・中・下(岩波書店 2024年7月、9月、11月)を読んだ。著者紹介の欄には「全国紙」としか記されていなかったが、「日本経済新聞」と後の情報で知った。1500頁にも及ぶ三冊は、「第1章 万世一系と「神の子」」から「第17章 退位への道のり」と題する編年体の明仁天皇、美智子皇后の伝記である。各章100から150以上の注が付され、著者は「本書の記述はすべて筆者による取材と信頼を置ける資料に基づいており、想像、憶測に基づいたものではない。そのため、煩雑ではあるが文中にはできるだけ出典を明らかにする注を付記した」と、序文の末尾と中・下巻の目次の後に明記している。

 たしかに、本書は、さまざまな関係参考文献、書籍並びに新聞記事、雑誌記事をかなり網羅的に渉猟した形跡を残している。「あとがき」によれば、その基本的資料は、明仁皇太子時代は、記者クラブ「宮内記者会」内の報道室にあった宮内庁作成による敗戦直後からの皇室関係の新聞記事スクラップ帳のコピーと、平成以降の日経社内の歴代の担当者による皇室記事のスクラップの蓄積であったという。さらに、著者自身による丹念な取材が加わって、書き上げられたのが本書である。加えて、長い間、皇室担当の記者という立場での人脈も広く、濃密であったようである。

 私たち外部の人間には知り得ないさまざまな情報を駆使していることは明らかである。しかし、皇室にかかる幾多の「事件」や「事案」についてのことこまかな経過や事情が語られるのであるが、その着地点というのが、書名の由来にもなっている、つぎのような本書の結語であった。

「日本国憲法に定められてはいるが、その『かたち』が明確ではなかった『象徴』を、明仁天皇は美智子皇后とともに形救ってきた。それは各々の翼で支え合い、一立となって飛ぶ比翼の鳥のように二人の思索と経験、人間性によってなし得た『思想』といってもよかった。退位とは、その地図なき旅の終着点であり、総仕上げの姿である。天皇の強い意思と、皇后とともに国民との間に培ってきた信頼、敬愛によって成し遂げられた偉業であり、憲法の想定を超えた象徴天皇制における『革命』であった。」(下巻539頁)

 「革命」とは穏やかでないが、著者が、そのように思うことは自由である。しかし、「本書の記述はすべて筆者による取材と信頼を置ける資料に基づいており、想像、憶測に基づいたものではない」と明記されているが、私が、通読した限り、そう言い切るには、いくつかの限界があるように思われた。 全巻を通じて、いまは、とりあえず、どうしても気になったつぎの二点を指摘しておきたい。

 一つは、明仁・美智子夫妻の言動の評価を、著者の見解や他者からの引用によるのではなく、典拠がないまま、主語が「国民」や「世間」となることが多いこと。

 もう一点、天皇夫妻の短歌をしばしば引用するが、短歌によって夫妻の言動の思想的背景や心情を語らせる場面が多いこと。

 いずれも、皇室担当記者として夫妻への圧倒的な敬愛のあまり、客観性を失い、美化に陥るリスクを負うことになっていないか、の思いに駆られたのである。その一部の事案を例に検証したいと思っている。

 いま付箋だらけになった 膨大な三冊を前に、どれだけのことが書けるのか、挑戦中である。

初出:「内野光子のブログ」2025.7.9より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/07/post-6fff14.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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