東大出版会のPR誌「UP」3月号に載っていた著者古川安氏の「ブリンマーと津田梅子と私」という執筆余話を読んで、本書を読みたくなった。新刊なので、どうかなと思ったが、市立図書館ですんなり借りることができた。
津田梅子(1864~1929)が、1871年、北海道開拓使による女子留学生五人の内の一人としてアメリカへ渡ったのが七歳で、最年少であった。歴史の教科書で知ってはいたものの想像がつかない世界だった。アメリカの家庭において11年にわたる中等教育を受けて、帰国後、華族女学校の英語教師などに就き、1900年女子英学塾(後の津田塾大学)を創立、女子の高等教育の向上、「職業婦人」の育成を目指した、近代日本の教育史や女性史には必ず登場する女性である。かつて大庭みな子による伝記『津田梅子』(朝日新聞社 1990年)を読んだことがあった。梅子は短歌を詠んでいないかなという関心からだったが、どうも、短歌とは縁がなかったようだ。
本書の著者は、科学史が専攻の研究者で、サバテイカル休暇でペンシルバニア大学に留学中に、従来の梅子の伝記ではあまり語られることのなかったブリンマー大学に再留学し、生物学を学んだ三年間に関心を深めたという。学業に専念し、研究者としての成果を上げ、後に、ノーベル賞を受けるトマス・H・モーガン教授の指導の下、共著の論文を公表していたことも知り、さらに丹念に調べていくうちに本書を書くに至ったという。
本書を読み始めると、1882年17歳で帰国後、就いた英語教師や日本での女性の地位の低さに落胆、葛藤の末、1889年、再び留学を決意、華族女学校からの官費により92年までの三年間、フィラデルフィア市近郊のブリンマー大学で、生物学を学びながら、教育現場の視察などにも熱心だったことがわかる。ブリンマー大学ほかアメリカの大学のコレクションやアーカイブに残された資料、津田塾大学津田梅子資料室、学習院アーカイブ、宮内庁の公文書館などの資料を駆使してしての渾身の津田梅子の伝記である。ブリンマー大学からは、研究者として残ることを勧められながらも、帰国していたこともわかる。もし続けていたら、日本の女性科学者の嚆矢になっていたかもしれない。当時の梅子の心情は、どうであったのか、興味深いところでもある。
それにしても、最初に留学した折の船旅を共にした岩倉具視使節団一行の一人伊藤博文との交情、アメリカでの育ての親ともいうべきプロテスタント教徒のランマン夫妻、ともに帰国した山川(大山)捨松、永井(瓜生)繁子との友情、迎えた少弁務使の森有礼との出会い、華族女学校の下田歌子、女子英学塾の創立に尽力した新渡戸稲造、星野あい・山川菊栄らとの師弟愛・・・。実に多くの人たちとの交流、支援があったこともわかってくる。
本書22~23頁から。右上:1871年渡米直後、ランマン夫妻の家にて。右下:1976年11歳頃。
左:1876年夏、フィラデルフィア万国博覧会で再会した、左から梅子、山川捨松、永井繁子。
そういえば、梅子の父親の津田仙(1837~1908)は、私の住む佐倉市ゆかりの人である。佐倉藩の武士の家に生まれ、1861年江戸の武士の家の津田初子(1842~1909)と結婚、婿養子となり、夭折の子を含め五男七女を成し、梅子は次女であった。早くよりオランダやイギリスの医師から英語を学び、幕府の通訳として訪米したことから、アメリカの文化や農業に触れ、維新後は、外国人用ホテルで働き、西洋野菜アスパラガス、イチゴなどを栽培、1873年ウィーンの万国博博覧会に随行、オーストリアで農業技術を学び、1876年学農社農学校を起こし、農作物の栽培、販売、輸入、『農業雑誌』創刊など、農業技術の発展に努めている。それに先立ち1874年夫婦でメソジスト派の洗礼を受け、青山学院の前身である女子小学校、筑波大付属盲学校の前身である特殊学校の創立にかかわり、普連土学園の名付け親にもなり、女子教育の向上にも努めた。農学校の教師に内村鑑三らを迎え、卒業生には『農業雑誌』の編集人を務める巖本善治らを輩出、足尾鉱毒事件の田中正造を支援するといった、その活動と人脈の広さには目を見張るものがある。
その津田仙を顕彰しようと、佐倉市では、命日の4月23日前後に、市内の全小中学校給食に、西洋野菜をふんだんに使った「津田仙メニュー」が供されている。それも大事だが、明治を駆け抜けた、いわば型破りともいえるの津田仙・梅子親子にも光を当ててほしいな、とも思う。
なお、3月5日にテレビ朝日のドラマ「津田梅子―お札になった留学生」(脚本橋部敦子、監督藤田明二)が放映された。ドラマは、広瀬すず演ずる梅子の最初の留学後、そして二回目の留学後も日本の女性の地位の低さ、女性にとっての職業や結婚への男性の偏見と闘う姿、めげずに最初の留学同期の山川捨松、永井繁子との曲折を経ながらも熱く結ばれた友情、女子英学塾創立に至る時代に焦点が当てられていた。伊藤英明演ずる津田仙もたびたび登場するが、六歳の梅子を留学させる英断、仙の幅広い社会的活動とは裏腹に、旧態然とした家族観、結婚観などが梅子の活動のブレーキにもなっていたことにも触れていて興味深いものがあった。仙には二人の婚外子もいたという。ちなみに、佐倉藩旧堀田邸でのロケも行われたらしいが、舞台が佐倉というわけはない。衣裳考証さん、広瀬すずさん、頑張りましたね。伊藤博文役の田中圭、森有礼役のディーン・フジオカ、ご苦労様でした。二人とも暗殺されるのだが、ドラマではスルー?
2024年、新5000円札は、樋口一葉から津田梅子に代わる。
2022年3月5日放映、テレビ朝日ドラマ「津田梅子~お札になった留学生」のキャスト
広瀬すずを真ん中に池田エライザ(山川捨松)、佐久間由衣(永井繁子)。広瀬以外、二人の女優を私は知らなかった。
初出:「内野光子のブログ」2022.3.22より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/03/post-c1fcb2.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11877:220323〕