『研究不正と国立大学法人化の影-東北大学再生への提言と前総長の罪』の書評

「研究不正と国立大学法人化の影-東北大学再生への提言と前総長の罪」(日野ら)の第三章を中心に論ずる。当該部分は井上明久東北大学前総長の研究不正と二重投稿の一部に対する東北大学調査検討委員会及び日本金属学会の不適切な対応について論じたものである。

まず当該部分の読みやすさについては、二重投稿を論じた部分については一般の読者の方でも十分理解できる内容だと思う。それ以外の部分ではごく一部で専門的でわかりづらいと感じる部分があるが、大部分は材料工学の基礎的な用語や知識をネットで調べながら読めば、理系の大卒者なら十分理解できる内容だと思う。

当該部分で論じられている井上氏の研究不正は具体的には二重投稿、実験条件の改ざんやデータ流用、ヤング率等の材料の機械的性質の改ざんや捏造、応力ひずみ曲線の改ざん、名誉毀損裁判で問題となっているバルク金属ガラス及びそれに関連する同ガラスの捏造についてである。

当該部分では意図的かつ悪質な捏造等があったと論じられている。不正が事実であるかどうかは調査委員会による正式な調査結果が出るまで誰にもわからないことだし、私は井上氏の弁明を聞いていないから、不正かどうかを現時点で私が判断するのは公正ではないので言及しない。しかし、どの指摘も学術的に正当なものであり、不正の疑惑は明白である。

さらに、不正疑惑の質や量を見ると、不正が偶然生じたものだとは信じられず、事実であれば悪質と言わざるを得ない。その根拠は以下の3 つによる。

(1) 不正の疑義の量が膨大で、過失とは信じ難いこと。特に実験条件の記載やヤング率等の機械的性質のデータ、応力の原点を示した応力ひずみ曲線の作成は通常の研究者ならばどれも容易に正しくできるもので、そのようなデータが多数間違っている様は常識的には偶然と信じ難いこと。また、核心的なデータがいくつも間違っており、故意の虚偽記載なら悪質と言わざるを得ないこと。
(2) 実験条件を変更したデータ流用の一部は画像を逆さまにする等の加工がなされており、重複をごまかす意図が感じられること。
(3) ヤング率等の機械的性質のデータ、応力の原点を示さない応力ひずみ曲線は著者にとって都合のよい方向ばかりに虚偽のデータが作成され、偽装で有利な効果を出したいという意図を感じること。

言うまでもないが、本当に過失ならば、何度も確認して発表するのだから、ミスは相当程度に少ないはずだし、特に簡単にデータを作成できるものなら、多数間違えることはまずないはずだ。また、誤りの方向もランダムのはずで、著者に有利な方向にばかり間違えたり、重複をごまかすような偽装工作まがいのことが偶然重なるのは常識的には不合理である。

当該部分で言及された不正疑惑の一部はERATO の研究として巨額な研究費が投入されたし、名誉毀損裁判の争点となっている大きな直径を持つバルク金属ガラスは井上氏に著しい名誉をもたらし、それを基礎とした巨額な研究費投入が行われた。これらはすべて国民の税金からの支出である。また、同ガラスの再現性の確認等のために多くの研究者らが時間、労力、研究費を費やしてきた。仮に虚構に満ちたことで、これらの行為がなされてきたならば極めて悪質で、国民や研究者にとって甚大な損害である。また、不正疑惑を解明しないことは、こうした危険が今後も続くことを意味する。従って、不正疑惑の放置は絶対にすべきではなく、必ず疑惑を解消しなければならない。

当該部分を読めば、本件の重大さと疑惑解明の必要性がよくわかると思う。残念ながら東北大学等では本件の調査は十分なされてこなかった。本件に限らず、藤井善隆氏(元東邦大)の大規模捏造事件等を見ればわかるように、こうした問題は井上氏や東北大学等に限った問題ではなく、競争主義が強化された現在の学界では、程度の差はあるだろうが、いろいろな機関、分野で起こっている。

井上氏の事件はそうした問題の典型例で、本書を読めば現在の学界の問題点がよくわかる。ぜひ読んで、現在の学界の問題点を感じてほしい。そして、健全な学術の発展のため、できれば不正問題の改善の必要性を世間に主張してほしい。
(終わり)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1120:121224〕